久しぶりに機動戦士ガンダム0083見たんだけどニナ・パープルトン言うほど悪い女じゃなくね?

amazon機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORYを約15年振りに一気見しました。スーパーロボット大戦αで知ったデンドロビウムノイエ・ジール観たさに兄弟でDVDを借りてきたのが中学生の頃でしたから、本当にそれ以来の事になります。

 

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さて、本編の面白さは最早語るまいでございますが、今日書きたかったのは悪女扱いされるニナ・パープルトン嬢の話です。御年21歳。

 

まずガンダム強奪。もうこの時点でかわいそう。
彼女にとっては大事な自分の担当ガンダムであり、重力下の試験の為にわざわざアルビオンくんだりまで出向してきて、テストをするだけだったはずが核弾頭を搭載した上で持ち去られるわけですから顔面真っ青です。そりゃあ「私のガンダムが」の一言ぐらい言いますって。

さて、一気に時計の針をソロモンの観艦式襲撃まで進めましょう。結局、試作2号機の核攻撃を止めることは叶いませんでした。しかもその上で、試作1号機と試作2号機を失うことになります。「どうしてこんなことに」と打ちひしがれる彼女は、コウと傷を舐め合うような関係になるわけです。忘れたいのよこの悪寒を。キャッキャウフフ。

ここの「戦いが身に染み付いてしまって忘れたくても忘れられない。そうなってしまうのが怖い」というのは戦いの中で立派な連邦の士官となっていくコウや、ジオンの理想……というか理想の旗のもと過激なテロリズムに走り自らの元を去っていったガトーを知っているからの言葉でしょう。もうこれ相当かわいそうですよニナさん。

更に続く試作3号機受取(強奪)では同僚のルセットにまで死なれます。しかも殺したのはガンダム開発計画をアナハイムに発注した連邦の人間なんだから限界です。ニナ限界プルトンです。そのニナがちゃんと次に出てくるのはというと、最大の争点となっているコロニー内最終軌道修正の場面です。あら、案外出番少ない。

 

ハゲが死にました。精一杯生きようとしてるシーマ様、獅子身中の虫と言われようが彼女が一番のヒロインであることは疑いようもありません。どこへ引くって言うんだい。デラーズを手土産に連邦側に寝返るシーマ様の事情など知ったことじゃなく、爆導索で無双する試作3号機。「お前は一体どっちの味方だ」ってのはごもっともで、「長い砲身にはこういう使い方もあるんだ」(スパロボオリジナル台詞)(私あんまりこれ好きじゃない)とばかりにメガビーム砲の先端が彼女の墓場になってしまいました。この時点でコウは試作3号機を強奪どうこうよりそうとうまずいことをしている気がするんですがいいんでしょうか?

話が逸れました。逸れましたがコロニーの軌道は逸れません。「コロニーは間違いなく地球に落ちる」 この時点で正に勝敗は決しています。子犬系オタク男子だった今カレはアナハイムガンダムビグザムで大暴れするバーサーカーとなり、元カレはもう良いだろって言っても「済んではいないッ!!!」「君には分からんのだッ!!!!」と聞く耳持たず。しかもこの期に及んで「俺のことは忘れてほしかったんだよね。俺はジオンの再興に身を託したからさ。君こそが星の屑の真の目撃者かも知れないなあ」などと激エモな事を言い出すんだからたまったもんじゃありません。「もういい加減にしろ!!」と彼女が叫ぶのも当然のように思えます。

大局が決した上での戦いが「もはや私闘だった」と言うのは、クロスボーンガンダム鋼鉄の七人でも語られていたとおり。ニナが「やめて」と言っていたのは裏切りというよりは、この二人の私闘そのものを止める事にあったように思えます。しかもこの時のコウは「俺への気持ちは!!!」だの子犬バーサーカー度全開です。「ガンダム2号機を!!!!」に対して「そういう事じゃないのよ」なんて、御尤もじゃありませんか。

このネタについてツイートしていた所、性別を反転したらもっとニナの行動が腑に落ちるとの指摘がありました。かつて恋仲にあり、彼氏の為を想って突然姿を消したテロ屋の元カノと軍属の子犬系オタク女子今カノがイケメンメカニックの目の前で殺し合おうとする。あっ、止めるわ。これは止めるわ。核がどうとかじゃないわ。

 

さて、この後のニナはと言うと、ガトーとロクに話すこともなく腹パンで気絶させられ流れ流れてジオンの艦へ。今カレはあんまりの報われ無さにビームライフルを乱射してフェードアウトし、元カレはアクシズ先遣艦隊に回収されること無く連邦の艦に体当りして散る事となりました。

 

時は流れて北米オークリー基地での再会となるわけですが、恐らくここがニナを悪女たらしめる事となる原因だと私は思いました。ニナは戸惑うべきでした。いや、コウが駆け寄り抱きしめるまで、微笑んではいけなかったはずです。私闘に狂った末にMSでなく自らの手で、戦局を決する場面でなく感情で人を殺しては後でじくじくと膿む心の傷を作ってしまう。それを止めたニナを理解し許すという描写も何もなく、コウはただニナを見つけて呆然としているだけです。ここで戸惑った後にすぐ微笑んでしまったからこそ、人々から四半世紀に渡り「キースはゲルググでその女踏めよ!!」と言われる事になってしまったのでしょう。ああ、かわいそうなニナさん。でもやっぱりキースはゲルググでその女踏んだほうが良いと思います。

 

次に見た08MS小隊に出てくるアイナの方がよっぽど悪女なんじゃねえかなとか想ったりしたわけですが、これはまた別の記事があったら書こうと思います。

amazonプライム、年間3900円なのにガンダム見放題なので入ったほうが良いと思います。届くの速いし。

 

 

 

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3DS『サバクのネズミ団!』レビュー。この1本のために3DSを買ってでも遊ぶべき作品だ。

 

見渡す限りの砂漠が広がる、とある惑星。
そこにはネズミと、ネコと、チキュウジンと、厄介な怪物が暮らしているのでした。

 

銀河のさいはて サバクの惑星に生きるネズミたち
移動要塞サバクフネにのりこんで めざせ! まぼろしの黄金郷!!
――灼熱のサバクをわたり
風の吹きすさぶ荒野をこえ
荒廃した廃墟の向こうへ
鋼鉄のフネにのり、砂の海をゆけ! ネズミ団!!

  公式サイトより

 さて、『サバクのネズミ団!』の記事です。どうやら特定タイトルについてのゲーム記事って実に1年振りらしいですよ。さっさと本題にとりかかろうと思います。皆様、おまたせいたしました。

 

クラフト×アップグレード×リソース振り分け=ネズミ

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 『サバクのネズミ団』が何をするゲームなのか簡単に説明すると、「拾ったアイテムを加工してフネを強化し、最終目的地である【黄金郷】へ突っ走るゲーム」です。

ゲームの流れをざっくり説明すると

  1. マップ画面から隣接した目的地(街や集落)を選ぶ
  2. サバクフネが走り出す(自動走行)
  3. 走ってると色んなアイテムを拾う
  4. 走ってる時間でアイテムをフネの設備で加工する
  5. 加工したアイテムで設備を強化・建設する
  6. 到着した目的地でアイテムを売買し、次の目的地へ向かう

という作りになっています。

 クラフトに必要なアイテムは「自動走行中に自動で入手」であり、ツルハシやスコップを振る必要はない。地域によって入手可能なアイテムが異なり、このアイテムの違いがそのままゲームの進行度に直結しています。新たな目的地のアンロックにはカネが必要とされるため、アップグレード用のアイテムだけでなく取引用のアイテムの製造も重要ですね。

 クラフトするために設備の加工画面を見ていると、明らかに「今の段階ではお目にかかれないアイテム」が立ち塞がります。この先に何があるんだろう。これを作ったらどうなるんだろう。まだ見ぬ未知の世界を求めて、ネズミと共にプレイヤーは旅することになります。

 加工の為には設備の稼働をさせなければならない。そして設備を稼働させるためにはネズミを1匹割り当てなければならない。ネズミは疲れるし腹が減る。だからキッチンと寝床を作ってやらなきゃいけない。それも清潔なシーツとフカフカなマットレスの寝床だ。キッチンだって合成ミルクと合成チーズの食事じゃ腹持ちが悪いから、サボテンを加工してワインとパンを食べさせよう。

 

わちゃわちゃします。

フネの中はゲームの最初っから最後までわちゃわちゃします。

 

 働いた後は「チカレタ…」と眠りにつき、「ハラヘッタ」と食事を取り、アイテムを入手すれば「ヤッター」「モウケモン!」と大喜び。食堂の料理には「ウマイ!」と舌鼓をうち、そして敵が現れたときには「キャー」とフネ中大騒ぎ。このゲームはクラフトのコツコツ感もそうですが、このネズミたちのセリフ選びやアニメーションも絶品です。見ているだけで楽しくなりますよ。

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 そしてクラフトです。クラフトも一筋縄では行かず、スクラップ→鉄板→鉄パイプや歯車やらなんやら…といった形で、アイテムツリーがゲーム内に存在します。作りたいたったひとつの装置のために、設備はいつもフル稼働。『サバクのネズミ団!』のやることと言えば、「次は何を作るか」を設備に設定するぐらいなのですが、この素晴らしきワチャワチャ感の中で割り振るのが楽しくて仕方ありません。気付けばあなたは数時間、夢中でネズミたちと旅していることでしょう。

 

それはネズミに与えられるべき罰なのだろうか?

 さて、そんなネズミ達の旅ですが、進めていると3度乗り換えのタイミングがやってきます。乗り換えなくとも、手狭になったフネで設備をリプレイスしたくなるでしょう。ここで『サバクのネズミ団!』最大の問題というか、数少ないマイナス点が出てきます。それは「設備を解体するとアイテム全てが素材に還元されるわけではない」というシステムです。

 これがRTSや別のシミュレーションゲームで、成長の度合いを競うゲームであれば潰す際のリターンと今のまま運用するリターンのどちらの方が良いかを考える事もゲーム性の一つとなります。しかしこのゲームは極論を言ってしまえば「プレイ時間をゲーム内のアイテムに加工していくのを楽しむゲーム」であり、その中でやれることが増えるわけでもないのにアイテムが失われると言うのは何の面白みにも寄与しません。

 どんどん建設して設備を入れ替えていく、というのは「作りたい物」がどんどん変化していく『サバクのネズミ団!』の面白さのひとつに成り得た要素であり、この「全ては戻らない」というシステムのせいで「この位置にこの設備を建設するのは間違ってはいないだろうか」と若干の億劫さを孕んでしまうことになりました。

 なにより、我が団のネズミは自分で建設した部屋ならカンペキに解体して再利用できるはず(断言)であり、ネズミ達が頑張って加工した素材を使って強化した部屋が無駄になってしまうというのはネズミに、ひいてはプレイヤーに与えられる罰になってしまいます。

 次回作があるのであれば、ここをもう少し上手く作ってくれることを望みます。

 

完全にフレーバーと合致したクラフトアイテム、そして愛おしき日々

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 『サバクのネズミ団!』には、サラっとCivilizationの要素も含まれています。最初は何で動いているのか分からないサバクフネに乗り、集落を回ってお使いをこなすだけだったネズミたち。彼らはいつしかスクラップからレンガを作り、竈を手に入れます。そして手先が器用なネズミ達はスクラップから歯車装置を、希少な鉱石からマグネットを加工し、モーターを入手することによってついに「マシンガン」「バーナー」「ロボットアーム」といった高度な文明を復活させます。

 そしてそのアイテムを手に入れる頃には、酒場で人々の口から語られる言葉によって「大昔、地球人がこの惑星に移民を試みた」「大量のスクラップは、衛星軌道上に浮かぶ宇宙船の残骸である」などの情報を得られていることでしょう。

ま、ひたすらに「黄金郷」を目指しているネズミ達にはあんまり関係ないんだけど。

 新たな目的地に辿り着くたびに明かされていく世界の全貌。鉄板を起点として効率的に様々な物を作り出していくファクトリー。そしてラボやロボティクスによる「電子工学」を手に入れたネズミたちは、「現代」に到達します。

 最終目的地である「黄金郷」のアンロック条件、それは「大昔からこのサバクの星を見ている機械」と通信し、位置を割り出すこと。ネズミたちは旅の果てに「人工衛星へのハッキング」を試みるのです。今までモノやカネの為にフル回転してきたサバクフネの設備が、ついに「黄金郷」のために稼働する。物語はクライマックスを迎えます。

 

 もう、ですね、ここらへんの盛り上げ方がたかが800円のゲームの作りじゃないんですよ。テキストもアイテム周りもものすごく丁寧。よくぞこのゲームを日本で作ってくれたと心からの賞賛を贈ります。

 

 私のクリア時間は20時間。「黄金郷」へは「ヌシ」の撃退によって辿り着きました。終盤に「ウシの骨」起点のアルカリや、そもそも「ラボ」へ偏りすぎてしまうアイテムツリー構成で生産がおっつかなくなるなど、惜しい点はちらほら見受けられますが、本当に素晴らしいゲームです。

 「ザ・タワー」「アジト」「アクトレイザー」「FTL」あたりがピンと来る人には、グサーっとささる一本になることでしょう。あなたも是非、この惑星でネズミ達と旅してください。

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 『サバクのネズミ団!』は、ニンテンドー3DS専用ソフトとして800円で配信中です。

 

 

Newニンテンドー3DS LL ピンク×ホワイト

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  あなたにも、銀河に広がる例のアレの加護がありますように。

「君の名は。」を観た時の記憶が薄れる前にマッキーで殴り書きするようなブログ記事をここに残す。

君の名は。』観ました。

 

物凄く真っ直ぐな「ジュブナイル」を見せて貰えた。本当に良い映画でした。情け容赦なくネタバレするのでネタバレフォビアの人は今すぐこの文字を見た時点でブラウザを閉じPCを破壊しスマホを放り投げタブレットを四つ折りにしてください。

いいですか。

いいですね。

 

さて、『君の名は。』の話をしたいと思います。この手のにありがちな「入れ替わりの巻き起こすトラブル」の部分を『前前前世』をかけながら軽快にパパっと済ませる時点で凄いなと思いました。普通、入れ替わりの引き起こすトラブルが深刻化(それこそ人との約束をすっぽかすだとか、学校やバイト先や家族との間で現状が危うくなるような大きな失敗をしてしまう)することにより解決せざるを得なくなるとか、何らかの不快感・ストレスの解決のために会いに行ったりしたはずです。

が、瀧君は違う。そういうゴタゴタではなく、「何故か入れ替わる事がなくなった。記憶の中にあるあの街に何としても言ってみたい。話してみたい」という大変ポジティブな理由でした。場所が飛騨にあることを突き止めるのも、三葉ちゃんがバイト先のイタリア料理店で彼女なりに頑張って取り付けた先輩とのデートの中で見つけた写真というのがまた「互いの行動が絡み合っていく」という感じで大変良かったです。

そしてティアマト彗星。実は同一の時間上で入れ替わっていたのではなく、時を越えて入れ替わっていた事が判明する場面の話をします。どうやら世間では「あの瞬間まで瀧くんが彗星のことを忘れているなんて」という事がひとつの引っかかりポイントになっていたようですが、僕にはそうは思えませんでした。というのも、彼は都会も都会の新宿区の四ツ谷駅周辺住まいで、バイトと学校通いに忙しいただの高校生。中学生時代起きた、500人が犠牲になった災害やその詳細な地名まで彼は覚えちゃいないでしょう。

僕だって、東日本大震災で住民の半分が流されてしまった町があったことは知識としては覚えていても、その町の名前を今や思い出せません。ましてや、そんな「日本の片隅でそんな事があったかもしれないなあ」とぼんやりと覚えていたことが、自分に関係のある範囲での現実とリンクするなんて、失礼ながら想像がつきません。

少しずつ「夢だった」と記憶が揮発していく場面で、手首に巻いた組紐をみる瀧君。「誰がこの紐をくれたのか」を手繰り寄せ、その人が「瀧に記憶が無いにも関わらず、3年前のあの日の前日に逢いに来てくれた三葉だった」と思い出してから山登りを敢行するのがまた頼もしい。ラーメン屋の店主の人の良さもそうですが、瀧君が入れ替わりの中で目に焼き付けてきた糸守の風景とそれを描ききった彼自身の想いに答えたのもありましたよね。「あらあ、良かった」って。

 

「結び」という言葉で表現された「因果」や「輪廻」、僕はそこに『陰陽師』(著:夢枕獏)で使われた「呪(しゅ)」と同じものを感じました。「呪」とは関係性であり、思いであり、そして最も短い「呪」は「名である」と作中で安倍晴明は言っています。一介の高校生に過ぎなかった瀧君が、何の因果か糸守の山中の神域に辿り着く。その「結び」を更に強め今一度「3年前」に戻るため、三葉の口噛み酒を飲む=彼女を身体に入れる。ああ、瀧君。どうしようもなく主人公です。

ちょいとここでオカルト方面に振りすぎた感は否めません。とは言え、ここで只の「何らかの受け皿」ではなく、自ら一歩踏み出した故に三葉の全てが流れ込んできて、そして彗星の日に戻る。糸守を救えずについに1200年経ってしまった「今」をようやく救うのは、ティアマト彗星が天を駆けるあの日にリンク出来た瀧君だけです。

ココらへんの超常現象の話は、作中で詳細には語られません。町長と一葉ばあさんが少し語るだけ。私は別にそれでも良いと思います。マユゴロウの大火で何もかも焼けてしまって、それでも絶やさぬようにと紡がれた糸。それが「3年前の10月4日」へ結ばれる。彗星のように美しいじゃないですか。

 

ドタバタの入れ替わりの序盤、入れ替われなくなってから御神体へたどり着くまでの中盤、そして終盤とエピローグ。ドタバタの序盤のみに予告を絞っていたのは割りと正解だと思います。ほんと、中盤からが大事なので。

 

さて、瀧君が三葉の中に入って3年前の世界を変えようとしても、彼には人の心ひとつ変えることは出来ませんでした。ココらへんの孤独な戦いは時間遡行物の醍醐味です。というかここに至るまでの所、オカルトというかファンタジー面に振りつつSFな描き方もちゃんとやってました。

2人が(というかどちらの肉体も神域へ持っていったのは瀧君ですよね。お疲れ様です)幽世に足を踏み入れ、更に訪れたカタワレ時。どうしようもなく惹かれ合っておきながら、2人が直接会話したのはあの数分間だけでした。特に、日をずらすことなく年だけをずらして「彗星の日」を迎えた三葉ちゃんにとっては、瀧君ほどの「結び」はなかったはずです。あったのは宮水の血筋と、少し不思議で楽しかった東京での日々だけ。それでもティアマト彗星の傷跡を見て自らに訪れた結末を悟り、瀧君に渡した組紐を受け取った後は彼女の物語がスタートするんです。

 

幽世に足を踏み入れたものは、いちばん大事なものを失わなければならない。一度出会い、言葉を交わした筈の彼女らが差し出しだのは「結び」そのものであり、最も短い「呪」である「君の名」でした。あんなにも大事だった、大切な「君の名」を忘れ、どうして「神域」に居たのかも忘れ、何故「糸守」の事があんなに気になっていたのかも忘れていく。瀧君はマッキーで書かれる前にカタワレ時が終わってしまったので、「糸守」という地や「誰か」に焦がれていたといううっすらとした「結び」だけが残りました。彼の時はそのまま、5年後(恐らく大学4年)の時まで流れていきます。3年の時を経て自らの手元に戻った組紐と、マッキーで書かれた三文字。三葉ちゃんには瀧君と比べると強めの「結び」が残りました。

なんてことのない一本の組紐。 だけども、幽世で手渡された3年の月日を経た組紐を身に着けた三葉ちゃんは、例え瀧君の名前を忘れても、何故渡されたのかを忘れることはありません。

終盤、世界各地で砕ける彗星を人々が見ながら思っていた事は「美しい」でした。美しい。ただただ美しい。その光景の真下で、町がひとつ消え行くなんて知っていた人間は誰一人いませんでした。そんな流れ星から人々を救うため、何らかの形で「未来からの知識」を得た少女が、ただただ、走る。

運命だとか未来とかって 言葉がどれだけ手を伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする

スパークル』の流れるクライマックスは、本当にただただ「美しい」としか言いようのない光景でした。『秒速5センチメートル』の桜のように、『ef』や『言の葉の庭』の雨のように。

 

さて、エピローグです。正直、僕はここから一番手に汗を握っていました。このまま瀧君は「可哀想なことに500人弱を救った救世主だと言うのになんかすげえ気になるって呪いをかけられたまま新宿でさっぱりしない人生を送っていくのだエンド」を迎えるのかと。

5年を経て、周囲の人も変わって、糸守で逢った2人も結婚して、自分だけがもやもやした何かを抱えたまま結果を出せず幸せになれない。そんなビターエンドでまた新海誠は終えてしまうのかと。歩道橋ですれ違う2人のシーンなんか、もう「絡まれ!」「交われ!」「紡げ!」って必死に祈っていました。

 

で、アレですよ。

 

俺達の総武線が2人を引き合わせるんですよ。

 

もう、お互いに気づいてから僕はただでさえボロッボロだったのに、泣きっぱなしでした。そうだよね。「結び」って、「呪」ってそういうものだよね。一度階段ですれ違って、やっと出た言葉。そして堂々のタイトルロゴ。「君の名は。

 

新海監督。

僕がYs2エターナルのOPを見たり、『ほしのこえ』のDVDを観て感動してから、15年近くの月日が経ちました。efのOPムービーは、本当に馬鹿みたいに毎日繰り返して見る時期だってありました。そしてまた今日、あなたの最高傑作を目にし、ボロ泣きしている僕が居ます。

こんなエモいにも程があるものを見せてくれて、本当にありがとうございました。

 

君の名は。 Another Side:Earthbound (角川スニーカー文庫)
 

 

君の名は。(通常盤)

君の名は。(通常盤)

 

 どちらもKindle版及びiTunes版を速攻で買いました。
二回目が、本当に楽しみです。

ラブライブ!サンシャイン!!8話。そして始まる物語について。

アイドル。
偶像。
注目される人。
憧れの対象。
例え「他人からどう思われるかじゃない」と言えど、「他人からどうとも思われない」のでは、あまりにも報われない。

それが「スクールアイドル」が「アイドル」たる所以である。興行によって利益を生むだとか、それを生業とするだとかではない。ステージに立つ以上、観客が見てくれなければ、注目されなければ、心に残らねば、報われないのだ。

ラブライブ!サンシャイン!!(以下ラッシャイ)8話は、「スクールアイドル」が「アイドル」であるが故に、少女たちが「現実」と対峙する話であった。

でもSaint SnowはA-RISEより全然オーラ無かったしあれで「圧倒」みたいなこと言われても無理だと思います。酒井くんコンテもっと頑張って。(冷静)


そして夢が終わる。


周知さえすれば。人目さえ引ければ。キャラで目立てば。地味&地味&地味でもどうにかなるんじゃなかったのか。「東京」は、どうしようもなくAqoursの彼女達だけをステージに引きずり出した。生まれ育った故郷の住民ではなく「自分達を見に来たわけではない観客」の前では、彼女たちは「30組出てくるスクールアイドル」の1つでしかなかったのだ。


一年生が入ってくれれば、廃校なんて話でしか聞いてなかった状況が舞い込んできたのなら、ネットで動画が好評ならば、これだけ話がうまく転がったのなら「ラブライブ!優勝もあり得るのではないか」……高海千歌は、事あるごとにそう口にしてきた。スマホの画面の中で踊るμ's達は手が届きそうなほど地続きの存在で、だから手が届くんじゃないかと思っていた。


その結果が、得票0である。


しかもただの得票0ではない。彼女達にも手応えがあったのだ。一番ミスが少なく、のびのびと最高のパフォーマンスを出来たという手応えが。手応えがあったからこそ、尚の事自分たちに言い訳が立たなくなってしまった。一番先に泣いたのは、昔からスクールアイドルがやりたかった女の子、黒澤ルビィだった。うまく行かなかったのではないのだ。うまく出来ても、誰も選んでくれなかったのだ。


「くやしくないの?」


そう問いかけたのは、誰よりも高海千歌を知っていた渡辺曜だ。幼馴染がずっとずっと燻っていて、ようやく見つけた「やりたいこと」に付き合う為にスクールアイドルを始めた子だ。曜は千歌の側で輝き続け、そして幼馴染が輝くためにスクールアイドルを始めている。今はどうあれ、きっかけは千歌のためだ。


これまた渡辺曜は水泳大会の経験者で、桜内梨子はピアノコンクールの出場経験のある娘というのも大きい。何かを真剣に取り組んできたということは、真剣に続けてきたからこその悔しさを知っている。人に知られず流した涙がある。その彼女達の前で、千歌がとったのは「でも、満足だよ。私は嬉しかった。みんなであそこに立てて」……今まで通り、「やってみること」そのものへの言葉だけだった。


「わあ、すごい、キラキラしてる」というのは、輝らされて輝くモノを見る側の言葉だ。スカイツリーでアイスを皆に振る舞う時に妙に明るく放つのがこれなのだが、下手をすれば悪趣味になりかねないギリギリの演出だなあと私は思った。


変わる思い。変われない世界。


かつて浦の星にもスクールアイドルがいた。しかし彼女達は「廃校を回避するため」にスクールアイドルを始めた子達であり、スクールアイドルのためにスクールアイドルを始めたわけではなかった。


「外の人に見てもらうとか、ラブライブに優勝して学校を救うとか、そんなのは絶対に無理なんだよ。」


彼女達の動機は、自らの外側にあった。外側を変えることにあった。結果、彼女たちには世界を変えることは出来なかった。「自分たちには変えられない」という思い出だけが胸に残った。


だが、マリィはどうだろう?あの中で一人だけ、学校を救うために動いたわけではなく、誰かの為に歩きはじめた子ではないだろうか?そして唯一、「まだステージで歌っちゃいないこと」をわかって、今も走り回っている子ではないだろうか?


「果南」と呼びかけ広げたマリィの両腕は、かつて自分を変えてくれたそれと同じだ。

変わったんだから、変われる。

変ったけど、変えられない。

変えられなさに誰が傷付く前に、スクールアイドルプロジェクトはやめるべきだ。2年という時間は、少女の心の傷をジクジクと膿ませるのには十分過ぎる時間だった。果南とマリィはすれ違う。世界は変えられる。君がそう教えてくれた。「宝物だったあの時」を取り戻す為に、必要なものはなんだろう。きっとそれは、遠い彼方にあるわけじゃなく、何処かに置いてきてしまったものに違いない。


わたし、やっぱり、くやしいんだよ。


現3年生達のスクールアイドルと、千歌の違いは何だろう。私は「何かの為のスクールアイドルか、そうでないか」だと思う。千歌は、変わりたかった。輝きたかった。廃校という状況の為じゃなく。誰かの為でもなく。自分がそうしたかったから。結果、どうだったろう。練習をして、衣装を作って、歌を作って、パフォーマンスは出来た。それでも、夢の東京で手に入れたのは「0」だった。


「とにかく、行動します。」


闇雲に、いたずらに、無邪気に、思いつきで、輝いた目で、彼女は走ってきた。意地の悪い言い方をすれば「スクールアイドルとして活動する事」そのものを千歌は面白がっていたふしがあった。「そう?面白くない?」で突き進んでしまう所があった。


「変わりたい」ばかりで、「どうしたい」のか、具体性のないまま千歌はここまできてしまった。ラッシャイ前半に漂っていた千歌のフワフワした印象は、まさにその通り演出されていたものだったのだ。そして千歌は、それと遂に対峙してしまった。


昔とは違うとか。
差がすごいあるとか。
周りのレベルが上がったとか。
数がどうだとか。
そんなの。
どうだっていい。


スクールアイドルがアイドルである以上、観客がいて、観客の心に残って、誰かにとっての輝きになってはじめてアイドルになれる。それが「0」だった。


「やっぱり、わたし、くやしいんだよ」


それはメタ的に見れば、アイドル物そのものの成熟や、ラブライブ!の名を冠しているが故の人気のある現状すら、全部吹き飛ばすような叫びだった。


「輝きたい。」

千歌は、梨子に始まりの日にそう言った。それは今も変わらない。だが、走り出してしまった今、言い出しっぺの彼女は、発起人だからこそ気丈に振る舞うしかなかった。責任だって感じていた。私が泣いたら皆が悲しむから、装うしかなかった。「笑顔にするのがスクールアイドル」という言葉は、彼女の呪いのようになってしまった。


「変わりたい。」

それは千歌だけじゃなく、皆同じだ。千歌の為にやっているのではない。自分がやりたいから一緒に来た、同じ夢を見た「仲間」だから。『泣いちゃえば、付き合うよほら』と、歌の通りに手を取ってくれた。


「私も知りたいの。それが出来るか。」

変わりたいと泣いた梨子に手を伸ばした千歌の手を、次は梨子が握る。笑顔にするのが、スクールアイドルだから。

『始めたいMy Story

『変えたいなMy Future』

Aqoursは、ここから始まる。わからないままで何とかなるさと始めて、面白そう!とジャンプして、さあおいで!と手を伸ばしてやっと0まで辿り着いた。ラブライブ!サンシャイン!!は8話かけて、ようやくここまで来ることが出来た。とは言え、そこにあったのは足踏みではなく、目標に向かって届こうとする全力疾走だった。

 

 

こうなると、1話のスカスカした感じが非常にもったいない。それとキャラ掘り下げにさして寄与しなかった7話もだ。こういう話を出来るのに、所々で詰めが甘いのもラブライブ!と言えばラブライブ!かもしれない。が、どうしても私は立ち上げから完璧だったμ'sの物語が8話で正式にスタートを切ったことを考えてしまう。現状だと1期のビシっとした筋の通り方と2期のシリアスになりきれないもわっとした感じが混在している。

とは言え、ここで「0を100にするのは無理かもしれない」という台詞や、「廃校の阻止」や「これからのスクールアイドル」の為に動いたμ'sとは違う「輝きたい」という目標が、Aqoursの物語を単なる続編やキャラ替えに留めていない。何より私はもっと見ていたいのだ。Aqours達がどんな風に輝いていくのか。

さしあたっては、果南にとっての『もう逃げないで進む時』がいつ来るのか。早いところ彼女をもう楽にしてあげて欲しい。確かに現3年のスクールアイドル計画は失敗して、傷ついて、涙を流したかもしれない。だけども、千歌達はいっぱい泣いて、手を繋いで、また屋上へかけ出した。絶対に同じ結末は辿らない。


傷つくかもしれない。泣くことだってあるだろう。時にはぶつかり合うことだって。だけど彼女達はこう歌ったから。きっと大丈夫。

『何が起こるか分からないのも楽しみさ!』

って。だから、きっとダイジョウブなんですよ。大好きがあれば。

この文を自由度という名の蜃気楼に捧ぐ

ニード・フォー・スピード モストウォンテッドという名作がある。Xbox360のローンチソフトにして、街中をフリーランして警察とおっかけっこをするタイプのカーアクションゲームの最高傑作だ。

このゲームの最大の特徴は「パースートブレイカー」と呼ばれる爆発・大破壊オブジェクトの存在だ。おっかけっこも多勢に無勢では無理があるので、超かっこよく通路を駆け抜けてガソリンスタンドの崩壊にパトカーを巻き込んで逃げちまえ!というアメリカン極まりないシステムである。

おっかけっこ、といっても脅威は後ろからやってくるだけではない。所謂アザーカー(一般車)や、真向かいから体当たりを目論む「ライノ」というパトカー、更には強固なバリケードにタイヤを破裂させるスパイクなど。妨害要素がてんこ盛りである。

さて、このゲームのアホな所は、そのパトカー共を華麗にぶっ飛ばした瞬間にカメラアングルが切り替わり、トリプルアクセルをかますパトカーと「ぶっ飛ばした超かっこいい俺」がスローモーションで映るシステムが搭載されている所に尽きる。

突如現れるアザーカーやライノ。空から追い詰めるヘリコプター。飛び交う無線。敷かれる包囲網。それらを掻い潜り、ふっ飛ばし、逃げるプレイヤー。街中に散りばめられたパースートブレイカーが「どこへ逃げてもいい自由」に一瞬だけ指向性を与える。そして「パースートブレイカーを用いての追手の排除」という短期目標をプレイヤーが設定し、それらを見事に達成した瞬間、最高に馬鹿馬鹿しい爆発や大崩壊やスローモーションで吹き飛ぶ車が「この世界にプレイヤーが与えた影響」を描く。

ゲームとは双方向性の娯楽である。世界に影響を与え、また世界から影響を及ぼされるからこそプレイヤーは必死に考える。そして自ら選んだ選択が予想通りに運び、時に予想を上回った時、脳からジュワッと汁が出るのだ。


自由度。
バズワードになり、そして死んで久しい。
自由は死んだ。自由とは何だ。


自由とは雨の中、傘をささずに踊る人間がいても良いことだと、とあるネゴシエーターは言った。


自由とは、1兆通りの組み合わせからオリジナルのbuildを設計する事だろうか。
自由とは、危害を加えて良いNPCに危害を加え、ゲーム世界から殺されそうになる事だろうか。
自由とは、10種類以上の武器と多彩な防具を組み合わせてモンスターとたたかうことだろうか。


むしろ自由でない、という話をすれば、自由でないものが分かるのかもしれない。


コールオブデューティは人を殺さねばならないので自由ではない。これはイカをわっしょいする過程で死ぬほど聞いた。
日本のRPGは自由ではない。これはFalloutNVの広告で掲げられた言葉だ。
無課金にはプレイの幅がない。不自由だ。課金って言葉は金を課すって書くんだから作る側がいう言葉であって消費者が支払うときに言う言葉じゃねえよな。閑話休題

自由ではないとはどういう事なのだろう。プレイ体験が画一化されることを自由ではないというのだろうか。「選ばされる」とプレイヤーが感じた時点で自由度は無くなるのだろうか。


自由度という言葉は、バズワードになった。
故に厳密な意味はない。本来使われるべき言葉を置き去りにして、僕らは自由を叫び過ぎた。


自由だから何だというのだ。箱庭の世界で暴れたところで、劇的な何かをもたらさない戦いは退屈極まりない。ジャストコーズというゲームを知っているだろうか。このゲームは「敵の猛攻を凌ぎ、施設を破壊しきる」という指向性や「敵の猛攻から防衛オブジェクトを守り切る」という指向性があってこそ輝き、だからこそメインシナリオや基地攻めがすこぶる面白い。しかしクリア後は退屈極まりない。ただでさえオーバーパワーの主人公が、散発的な敵の襲来を退けて終わりになるからだ。オープンワールドのゲームはこうなりがちである。メインシナリオの出来が良ければいいほど、指向性のなくなった世界は退屈に映る。

行動に見合った報酬が支払われる、というのは報酬をあてにした指向性をもたらす。オープンワールドでゾンビを爆発物付き鎌でずたずたにするのは、ひとえに経験値のためである。人は暴れるにしても報酬を貰わないと暴れがいがないとぞ喚く大変面倒くさい生き物なのだ。

こんな選択をしても評価をちゃんとしてくれる!自由だ!といえばスプリンターセル ブラックリストである。ステルス、アサルト、ノーキルなどなど、あの手この手で評価と報酬をよこすのは各々の目標設定という自由を許容する。

ゲーム内で短期目標を提示する。その目標に達するため、何をすべきかという小さな目標を設定する。それに向けて遊ぶ。その結果報酬を得る。更なる報酬の為短期目標をクリアする。この小さな目標の設定とクリア方法をどうやっても良い。どれを選んでも良い。というのは確かに自由の一つの形である。

ゲーム内で何かやっても報酬が支払われない。それはゲームの評価対象外であり、やっても特に意味のないことである。意味を持たせてもらえない行動である。だだっぴろい世界をだらだら走って、時にはNPCを撃ってみても体験という報酬が支払われない。「自由であってもそこに感動はない」のが、蜃気楼となった「自由度」の末路である。

「○○したら報酬が貰える」というのは、「○○しなきゃ報酬が貰えない」に等しい。この艦を使わなきゃルートを固定出来ない。このモンスターを手に入れなければ突破は難しい。ゲーム内で愛しの誰かさんは価値を持たせてもらえない。そんなことがあったとしたら、それは見掛け倒しの自由とその犠牲者である。

自由という言葉で覆い隠されたもの、覆い隠してしまったものは何だったのか。

指向性なき世界というのは、存外に退屈である。
報酬なき行動というのは、専ら無味乾燥としている。
影響を及ぼせない活動というのは、虚空に叫ぶのと似ている。
それは人生においても、ゲームにおいても変わりない。

 

ラブライブ!サンシャイン!!5話。中二病でもスクールアイドルがしたい!

ルビまる回、あまりの尊さに言葉が行方不明になってしまった。で、それに続いての5話である。花丸ちゃんルビィちゃん相手のときは受け受けしいのにヨハネ相手のときはジト目攻めなのなんなの?一年生トリオ美味しすぎる。まったくラブライブ!は今も昔も公式が最大手だぜ。

 さて、善子回である。5話は善子回であると同時に、ラッシャイ初のワチャワチャ回であった。未来ずら。未来ずらよ、ルビィちゃん。

浦の星堕天祭り

他人からの反応が欲しい!注目を集めるならこれだ!とラブライブ!2期6話を彷彿とさせる事を言い出したAqoursちゃんたち。幸運なことに部活アイドルだのKISSのコスプレだのをさせられずに済んだし、衣装についても大変かわいらしいゴスロリ風ということで変な方向に行かなくて本当に良かった。悲劇は二度と繰り返してはいけない(戒め)

ファイブマーメイドのくだりですっかり馴染んでいる梨子や、先輩たちの冗談に乗っかっていくルビまるを描くのも非常に良い。というかすっかり梨子が前作での海未役になっている。千歌の家でみんなで衣装を試着して騒ぐのも5人になったからこそのワチャワチャ感である。3人集まるどころか6人集まっても文殊陥落の様相。まあ結果から言えば一発限りで終わるのだが、それも彼女たちの踏み出した一歩のひとつであった。

前半のこのワチャワチャ感が「やってみたけど駄目だったよ」という善子のくすぶりと、気持ちのいい早朝ストレート猛ダッシュに繋がっていくのだからラッシャイはたまらない。

「いつか羽根が生えて」

そして津島善子自体の話をしよう。彼女の素晴らしいところは既にネットアイドルとして大成しているところである。ニコ生は大盛況な上に、ルビィがささっと検索して見つけられる程度には有名のようだ。1年の頃失敗し、そのあと2年間を薄暗いアイドル研究部の部室で過ごした音ノ木坂の妖怪とはえらい違いである。1年の1学期(動画の投稿時期から推測するに7月)にリカバー出来て良かった。ああ、本当に良かった。

で。

でだ。

善子は既に、ヨハネとして受け入れてくれる場所を見つけていた。カーテンを閉め切った部屋で、Webを通じて誰かと既に分かり合えていた。しかし、彼女はそれを続けることを良しとしない。「堕天使ヨハネとして振る舞う事」と同じように、「学校に行くふつうの女子高生になる事」も、彼女の立派なやりたいこと。

朝に登校して、
クラスメイトに挨拶して、
部活動に出て、
友達の家に行って、
誰かと一緒に何かをやる。
そんな当たり前が彼女のやりたい事だった。

善子の良いところは、周囲が若干引いていることにきちんと気付けるところだ。あれが教室で暴走する善子を花丸が止めて、「分からなかった」と部室で喚く展開だったら目も当てられなかった。そこら辺のバランス感覚が今作非常によろしい。善子は「何とかして!」と頼める誰かに女の子なのです。

何とかしようと頑張ってみた。頑張ってみるもそれはやっぱり付け焼き刃で、しまいには巻き込んだ皆まで一緒に怒られてしまう。「一緒にいたら迷惑がかかるから」と離れていく彼女を、Aqoursの皆は止める事が出来ないのでした。

 

いつか羽根が生えて、天に帰る。

それは実現し得ないと分かっていても、子供の頃の夢だったから。いつか本当にそうなると、信じていた夢だから。自分が普通の女の子だったとしても、それを信じていた事まで嘘にする必要はない。フェルトの羽根だったとしても、彼女は羽根を生やして確かに輝こうとしていた。そうやって輝きたかった事まで、嘘にして得る普通は本当に楽しいだろうか?

アイドルになりたかった。地味なままでいたくなかった。スクールアイドルが憧れだった。もっと上手にピアノを弾きたかった。音楽をここで終わらせたくなかった。スカートを履いてみたかった。自分も誰かとユニットを組んでみたかった。ラブソングを歌ってみたかった。仲間が欲しかった。

きっかけはちっぽけでも良い。ちょっと恥ずかしくなるような理由でもいい。確かに周りがちょっと引いちゃうような事なら自制して、はっちゃける時は思い切り堕天使をキメちゃえばいい。そうやって振る舞うのが最高に格好いいと思っているのなら、それを諦める必要なんかどこにもないのだ。リア充になりたいからって、羽根を捨てることなんてないのだ。

自分の好きを、迷わずに見せる。
それこそが学生たちの間で「スクールアイドル」がA-RISEとμ'sの後も脈々と続いてきた原動力だった。

一度は捨てた羽根を、千歌から受け取る善子。
微笑む彼女はもうひとりぼっちではないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 そしていつものように不穏なクリフハンガーで終わる第5話。
いつになったらマリィさんは参加するのやら…

ラブライブ!サンシャイン!!4話。5年後の君にもあげるよ元気。

スカートが似合わないから。

口調が変だから。
人前に立てないから。
運動が苦手だから。
将来が決まっているから。
今まで続けてきた事に背くことになるから。
おねえちゃんがかなしむから。
 
スクールアイドルなんて、私には出来ない。
 
 

眩しい夢に気づいた君に

ラブライブ!サンシャイン!!(以下ラッシャイ)の4話、完璧である。完璧すぎて今更僕が書くことなんてあろうか。いや、ない。
 
ないのは寂しいので思いの限りを書く。
 
 
国木田花丸と黒澤ルビィ。
それこそ子供の頃からスクールアイドルが大好きだったルビィと対照的なのが、今までスクールアイドルにそれほど関心のなかった花丸だ。
 
ルビィの夢を後押しするのが、ユメノトビラを開くのが夢。とっくに夢に気づいている君を、輝くステージへ送るのが夢。そんな花丸を動かしたのは、歌や踊りでなく一枚の写真だった。
 
当時、高校一年生。秋のファッションショーに招かれてのライブ。その時の写真である。
 
憧れ方だって十人十色。国木田花丸が見つけた夢の鼓動は、「悩まないで夢を見よう」という歌の通りに動き出したのだ。街頭の大型モニタに映し出される姿に憧れを抱くものもいれば、本屋で立ち読みした雑誌から始まる夢もある。
 
ルビィを送り出し、また一人で図書室へ戻る花丸のシーン。名残惜しそうにページを閉じる指の演出がまた素晴らしい。たった1枚の写真、そこに至るまでの物語を私達は知っている。そしてその物語を親友である花丸に語るのは、背中を押された黒澤ルビィだった。
 
だからね あげるよ元気 そのままの笑顔で
歌おう 歌おう あげるよ元気 悩まないで夢を見よう
 
ショートカットの、実は恥ずかしがりな、一人のスクールアイドルが居た。その女の子の姿は5年経った今も、誰かの心を動かしていた。やっとμ'sだけでなく、「スクールアイドルのいる世界」を描けるに至ったラッシャイはこれからも見逃せない。