『ドクター・ストレンジ』を公開初日に観たのでネタバレ込みでその話をしたい。

天才脳外科医が運転中のながらスマホで交通事故を起こしてさあ大変。手に11個もボルトを打ち込む事になっちゃって自分の名前も書けやしない!リハビリの最中にとある症例~背骨をバッキバキに骨折した人が失踪した後、下半身不随の筈が歩いていた~を耳にした元外科医は藁にもすがる思いでその男に会いに行く。すると紹介されたのはネパールの首都・カトマンズ。辺鄙な東南アジアでゴロツキにぼこぼこにされちゃうし、これから彼はどうなっちゃうの~~!?

 

という、ゆるふわっぽく書こうとしても割と可哀想な出で立ちなんだけれども何せその両腕になった理由がながらスマホなので擁護しようにも無理な男が主人公の映画。
『ドクター・ストレンジ』IMAX 3Dで観てまいりました。

思えば世の『シビル・ウォー』の熱狂にいてもたっても居られず、気づけばハルクとソーの映画以外本当に全部観てしまったのが去年のこと。一番のお気に入りは勿論『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』です。いやーMCU作品の1本目はいちいち外さねえなあと思っていたところ、ついに訪れましたIMAXで観られる最新作!!という2017年の1月でございます。

謎のケルトおばさんエイシェント・ワンが率いる魔術師集団に入り、メキメキと力を付けていくストレンジ。魔術描写は「オレンジ色の火花を散らしながらサークルや武器の輪郭がバシっと浮かび上がる」というもので、とにかくエフェクトがド派手。こういうエフェクト盛り盛りのアクション映画はIMAX 3Dで観ると大迫力でたまりません。

ストレンジが登場する度に身に付けている衣類=ランクが変わり、また持ち前の優れた頭脳で「常識を捨て、新たな理論を自らの中に構築していく」というのは現代が舞台でありながら異世界ものの状況を呈していきます。そしてある程度能力を手に入れ、時間に関する上位の魔導書に手を出した所で話がいっきに動きます。

序盤にも出てくるカエシリウスという†ダークディメンションのパワーに魅入られた魔術師†が、地球に設けられた3つの聖域を破壊して†ダークディメンション†の力を開放しようというのです。そんな魔術大戦に巻き込まれるのはゴメンだ、とストレンジが逃げようとした所で早速ロンドンの聖域がカエシリウスによって破壊。その衝撃で弾き飛ばされたストレンジはニューヨークの聖域まで行ってしまうのでした。

予告編で出てきた「複数人の魔術師がニューヨークをインセプションみたくべきべきに折り曲げて戦うシーン」はここ。細かく切るとニューヨークの聖域での最初の戦い、一度病院に運ばれて霊体での戦い、戻ってきて聖域での二度目の戦い、ミラーディメンション(現実に影響を及ぼさない領域。一部特撮で出てくる都合のいいアレ)のニューヨークでドンパチする戦い、そしてエイシェント・ワンとカエサリウスの対決と敗北へとつながっていきます。

 

もうね、このバトルが全部すごいの。アサシンクリードのアニムス内の描写とか、クウォンタムブレイクの時間が割れる描写とか、インセプションで夢の中で重力とか街の風景が大変なことになる描写とか、そういうの好きな人絶対に観に行って。観たかったものが観られる。武器をバッと召喚して戦ったり魔法のブーツで二段ジャンプしたりカプコンとかプラチナゲームズのアクションゲームかよって絵面を映画館で観られるからそういう人も観ろ。脳が情報を処理しきれなくなって圧倒されること間違いなしです。

 

さて、カエシリウスに負けたエイシェント・ワン。本日二度目の謎の急患が運び込まれるストレンジの勤め先(一回目はストレンジ本人)で緊急手術が行われます。が、エイシェント・ワンの直ぐに心停止。これは霊体で抜け出したなとストレンジが同じように霊体で追いかけて、「二人だけの時間」での会話が行われます。

ここもIMAX 3Dならではのポイントです。二人の霊体は半透明。だから背景の奥行きと半透明の霊体の奥行き、そして舞う雪や遠い空の雷が、静かなシーンなのにグッと圧倒してくるんです。最高か。

 

 

エイシェント・ワンとの別れ。そして残る最後の香港の聖域……という所で、話がちょっと失速します。クライマックスなのにって?クライマックスなのにですよ。何故って、香港の聖域はもうとっくにカエシリウスに滅ぼされて、香港がメキメキとダークディメンションに侵食されていたからです。

ここで「街の時間全てを戻す魔術」を使い、ヤクルトの看板(目立つ)を含め巻き戻ろうとする世界の中で更にカエシリウスと戦うというのはメチャメチャ格好いいです。スタンド使い達でさえ「止まった時の中」か「加速する時の中」で戦っていたのであって、「巻き戻る時間の中」での戦いはやりませんでした。この映画魔術だからってやりたい放題やり過ぎだろ…脳がパンクするわ…ありがとう…

で、ある程度の巻き戻しが終わったので仕切り直し。さあもっと熱いバトルが繰り広げられると思いきや、ドクター・ストレンジは開いてしまったダークディメンションへ単騎で飛んでいってしまいます。

 

ダークディメンションの奥にはドーマムゥという大変恐ろしいやつがおり、全てはこいつが出てくるのを防ごうというお話。そこに単騎で突撃して、かっこ良く戦、

 

あっ、やられた。

やられたと思ったら奥からもう一度ドクター・ストレンジが出てきた。

ドーマムゥがまた同じセリフを言おうとした所で……

ドーマムゥ「一体どういうことだコレは!?」

 

ドクター・ストレンジが使ったのは「タイム・ループ」の魔術。しかもタチの悪いことに、ドーマムゥには記憶が残るタイプのループです。そうだね。リンゴォ・ロードアゲインのマンダムだね。ドクター・ストレンジはこのドーマムゥに「無限コンティニューによる精神攻撃」を仕掛けたのでした。まさか2017年最初に観た新作映画の主人公が「暗黒次元の悪いヤツをリセマラで倒すわ」とか言い出すだなんて思ってもいなかった。ガチャは悪い文明だと思います。本当に。

 

そしてドーマムゥ、観客から観るとかなりあっさり目に根性負け。ダークディメンションに属した魔術師共々地球からサラっと居なくなり、香港はあっという間に元通りになるのでした。ドクター・ストレンジは魔術集団の長となり、アベンジャーズが物理的に戦う裏で異次元からの敵とたたかう道、医学とは別の「人の命を助ける道」を歩き始める…という所でエンドです。

 

ネタバレだと書いたにも関わらず本編見ずに記事を読んだ人は「オチ弱くない?」と思ったでしょうが、そうです。オチというか香港に入ってからが弱い。目の前の光景は凄いんだけど、やってることは「パパとママの敵討ちをおっ始めようとしてるから殴って止める」というシビル・ウォーとどっこいどっこいの可能性があります。

例えば『アントマン』。最終決戦では後戻り出来ない量子世界へ飛び込み、超格好良く生還します。模型の上で最高にバカバカしく、そして最強のパパが戦うクライマックスはMCUで僕が二番目に好きなシーンであります。

そして『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』、この作品はザンダー星上空で主人公勢+ザンダー軍vsロナンの軍勢が小学五年生及びかつて小学五年生だった男の子なら咆哮すること間違い無しの大空中戦を繰り広げ、船内に突撃しロナンと決戦。グルートに守られながら船とともに地上へ落下し、主人公達は再び窮地に立たされます。そして最後の最後に一人じゃとても耐えられないインフィニティ・ストーンの力に、仲間と手を繋いで耐えきり「俺達は、ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシーだ!」とロナンを消し去るクライマックスが最高でした。大好きです。MCUで一番好きです。マジで。

 

それと比較すると、やはり「無限コンティニューアタックでラスボスを根性負けさせて追っ払いました」はちょっと弱いかなあというのが、正直なところでした。

 

例えばなんですが「今までとは常識の異なる世界で修行する」と言えば『バケモノの子』があります。メキメキと成長していくキュータこと蓮くんは、あっという間に17歳になってきました。それこそが彼の強さや成長を物語っていたわけですが、さて一体ドクター・ストレンジは何年修行して上り詰めたんでしょう?最初にアベンジャーズタワーがあったって事は修行はだいたい4年ぐらいって所ですかね…?

それと、何より「アガモットの瞳」(インフィニティストーンそのものです)に触れたり、時間操作を試みるのがまだソーサラースプリーム(至高の魔術師)にもなっていない未熟なドクター・ストレンジのいっかいこっきりというのが非常にもったいないです。どうせならカエシリウスが自爆して、扱うのに大変危険な力ぐらいやってもよかったように思うのです。上に書いたように、インフィニティ・ストーンの争奪戦やその力の行使で本当に生きるか死ぬかをやった『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の後だとインフィニティストーン自体の扱い方が弱かったかもしれません。

 

いろいろ書きはしましたが、映像美は最高ですし何よりMCUの新たなヒーローであるドクター・ストレンジの誕生を見逃す理由はありません。いいか!もう一度言うぞ!

ドクター・ストレンジをIMAX 3Dで観ろ!
字幕は黄色いし3D深度や位置も調整されてるのか凄い読みやすかったぞ!

Grand Theft Auto 5 キャンペーンモードレビュー:その世界そのものに価値は無かった。

グランド・セフト・オートオープンワールドゲームで世界一売れているゲームなのは、まず間違いがないだろう。が、肝心のゲーム内容といえばどうだろうか?数々のフォロワーが生まれ、そして代を重ねて行く中で「グランド・セフト・オート」は何か尖れただろうか?

2016年12月、ついにGTX1080を手に入れた私はPC版を入手して一気にシングルプレイヤーをクリアした。大晦日も2017年の元日も全て費やして、私が得たのは。

「もうこの作品を遊ばなくていいのだ」という、安堵だった。

ロス・サントスという空っぽの街で。

GTA5の舞台はバカでかい島の南部の都市「ロス・サントス」と北側の田舎「ブレイン郡」に分かれている。まあ、広い。広いし、街のコピペ感みたいなものは全くない。確かに作り込まれているし、何処を撮っても画になる街だと思う。高速道路を5分走れば街の景色がガラっと変わるし、眺めるだけなら飽きないだろう。眺めることが好きで好きでしょうがないなら、だが。

だがこのサン・アンドレアスの地はゲームの舞台であり、プレイヤーが暴れ倒すステージである。眺めるだけで面白いというのならGoogleストリートビューで良いはずだ。プレイヤーがキャラクターを操作して、そして行動の結果を受け取る。ゲームとは双方向性の娯楽なのだから。

長々と書くのはやめよう。
ロス・サントスには何も無かった。空っぽだった。

いや、確かに武器屋はある。服屋もある。多数のミニゲームを起動出来る場所がある。パクってきた車をしまっておくガレージもある。カネを費やせば店や施設が買える。だから何だというのだ。

プレイヤーは施設の破壊だとか地域の制圧だとか支配だとか、そういう形で遊ぶことはない。フリーラン中に出来ることと言えば警察に喧嘩を売って一人で籠城事件を起こすだとか、特段ドラマチックな事が起こるわけでもないカーチェイスをやるだとか、それこそドライブをするぐらいだ。その警察に喧嘩を売るのだって特別面白いわけじゃないし、何よりゲームからの報酬はない。

例えば『サン・アンドレアス』はどうだったか。あのゲームは正に縄張り争いの作品だった。ミッションだけでなくそういう小競り合いの作品だった。『ゴッドファーザー』はどうだろう。同じように縄張り争いのゲームだ。こっちの場合は更に面白くて、フリーランで自分の組のものじゃない店をひとつひとつ潰して自分たちのものにしていくのがゲームの軸の一つだった。『ジャストコーズ』はカオスを巻き起こす事が目的のゲームだからというのもあるが、小さな村から巨大な軍事施設まで片っ端から潰していくのがミッションの発生条件ですらあるのだから、そのオープンワールドとの戦いそのもののゲームだった。

同じクルマのゲームなら『ニード・フォー・スピード モスト・ウォンテッド』はどうだったかというともう10年以上前のゲームだと言うのに未だに「カーチェイス」を主軸にしたゲームで右に出る者がいない。レースや勝つために車を買ってカスタマイズし、そしてビッグになるために警察から逃げ回る。警察から逃げると「バウンティ」という名声が高まるので、警察との戦いにゲームから価値を持たされているわけだ。

その警察とのカーチェイスが絶品で、タイヤをパンクさせる「スパイクベルト」を始めとした様々な妨害要素と追いかけてくる警察車両の数がえげつない。そしてその警察を巻く為に街中にある「パースートブレイカー」というオブジェクトの存在が大きい。これは例えば「巨大な看板の柱を破壊して路上に転がす」だとか、「ガソリンスタンドを超格好良く通過して大爆発を起こす」だとか、ドラマチックな演出とゲーム内の実益を兼ねた要素だった。そうしている内に自分の中に「逃走ルート」みたいなものが出来てくる。あの角を曲がれば大爆発。走り込めば走り込むほど街を使い倒せるようになっていく。

GTA5には、そういうものはない。ランダムイベントぐらいしか街を走る意味すら無い。全て「ミッションを始める」か「ミニゲームを始める」ために、タクシーに乗っていれば良いのだ。

 

作中でトレバーが言ったとおり、ロス・サントスはハッタリの街だ。

 

行動に応じてキャラが成長する?だから何だというのだ。それが目に見えて性能が変わって、ミッションの難度に影響してくるというのか。車のカスタマイズが出来る?確かに一部ミッションで自分の車両を使うことはあるが、ちょっと早くなったからって何だというのだろう。オープンワールドの常だが、車両はダメージが蓄積していくし、だから使い捨てていくものだ。更に今作では「逃走車両の確保」が一部ミッションに組み込まれていることが必然的に盗んだ車を使うことになる。車を弄ったからってどうなるわけでもない。

確かに衣装は買える。だがこの衣装もキャラクターをスイッチする事で勝手に着替えてしまうし、ミッションの中で変装するなど「アバター要素」としては失敗している。各種施設のミニゲームでキャラが成長することもあるが成長が特にゲームに影響を及ぼすかと言われたら前述のとおりだ。

となると街で重要なものと言えばもう一つぐらいしか残っていない。武器屋だ。武器屋ではザコ敵から拾えない爆発物…特に重要なロケットランチャーやグレネードランチャーの弾を買うことが出来るし、防弾チョッキを買う事ができる。またスナイパーライフルに高倍率のスコープを、その他の重要な銃に拡張マガジンとライトとサプレッサーが付けられる。これだけは流石に代替が効かないしミッションの行方を左右する。ミッションで戦闘が生じた場合は補給していきたいし小まめに通うことになるだろう。

確かに妙な収集物はある。あるがそれはトロフィーや実績解除に躍起になっている人でもない限り、関係のないものだ。

プレイ時間の8割プレイヤー介在の必要なし

GTA5のプレイ時間の8割は「待つ事」と「話を聞くためにハンドルを握ること」に費やされる。このゲームで一般的な流れを整理してみよう。

  • ゲーム開始、もしくはミッションクリア直後
    次のミッション開始地点が表示される。特定のキャラクターでないとミッションが始まらない事があるのでキャラクターを変更。キャラクターを変更時に大きく場所が変わってしまうため改めてミッション開始地点を確認。タクシーを呼ぶか車で移動するか決める。
    タクシーを呼ぶ場合はスマホを操作して、30秒ほどタクシーが来るのを待つ。バグか何か分からないが来ない時があるので観念して数分間のドライブを経てミッション開始地点へ到着。
  • ミッション前のイベントデモ。やはり数分間見る。
  • イベントデモ終了。ミッションの目的地へ向かう。
    これが1キロ2キロ離れているだけなら良いが5キロとか10キロとか平気で遠くの場所を指示することがたまにある。タクシーを呼べるならいいが、無線もしくは同乗者の話を聞くために数分間のドライブを強制される場合は諦めてドライブする。
  • ミッションの目的地に到着。
    大体、人殺し(アクション)かカーチェイス。カーチェイスの場合無線もしくはイベントの起きる場所まで移動するために殺して終わりにすることが出来ないので、事実上ただのドライブである。いやまあ置いて行かれたら失敗でまたドライブやり直しだけど。尾行任務の場合もっと悲惨で時間費やして待ったり、ちんたらちんたら安全運転して終わり。
  • 一段落後にまた移動。
    「同乗者を家へ送っていく」とか「盗んだ車を届ける」とか「盗んだブツを運ぶ」とかまあ理由はいろいろあるけど、つまりやることはドライブ。長いやつだと5分とか。

こんな感じだ。あぁークソったれ!!!!ファック!!!ふざけるな!!!俺は銃をぶっ放しに来たのかボイスドラマのついでに退屈なハンドル操作とペダル操作をさせられに来たのかどっちなんだ!!ええ!?定価60ドルのゲームでこれはどうなんだ!ファック!!!!!!

思わずトレバー化するぐらい酷い。一昔前のゲームが「ムービーゲー」ならGTA5は「ドライブゲー」といっても良いだろう。カーチェイスゲーじゃない。「ドライブゲー」だ。タクシーを呼んで待たなきゃいけないファストトラベルの仕様そのものにもうんざりするが、ストーリーテリングカットシーンと移動時のボイスドラマにほぼ任せてしまったのは悪手としか言い様がないと思う。

カットシーンもボイスドラマも、どちらも時間の主導権がゲーム側にあるのが問題なのだ。並べられた台詞を読む(ダイアログ)ならばプレイヤーに一気に情報を流し込むことが出来るし、ボイスメモを聞く(内容が書き起こしてあるならモアベター)のもプレイヤーが選ぶことが出来る。スマホのメールやWebブラウズで世界観をもっと叩き込んでも良かっただろう。だがカットシーンは会話の上なによりキャラクターが演技するから見ていることしか出来ないし、ボイスドラマもフルボイスで聞かされてそれを飛ばすことも出来ない。言い方は悪いがオートモードを強制されたエロゲみたいなもんだ。その尺に合わせてドライブの時間が設定される。操作しなくていいだけエロゲのほうがマシだ。もちろん目的地が設定されているので、到着が若干遅れた場合はダーク♂尺余りが発生するし、逆に到着が早まった場合は全て聞く前に別のイベントが発生する。ファック!!!あとこれは字幕なのが悪いが運転中に画面の下端見てられるか!!ファック!!!!!!!!!

GTA4からGTA5の間に様々なゲームが生まれ、そのゲーム達は様々な方法で世界と物語を語った。それと比べるとGTA5の「語り方」は、あまりに拙く、そして押し付けがましいものだったと言わざるを得ないだろう。

 それでも駆け抜ける3人のギラギラした男達は素晴らしかった。

さて、語り方の話はもういい。語られた内容の話をしよう。

GTA5には3人の主人公がいる。日々ビッグになりてえなあと思いながら車泥棒を続けるフランクリン。9年前に銀行強盗に失敗しFIB(言わずもがなFBIのパロディだ)の非公式の証人保護プログラムの元でぬくぬくと生きる中年男性マイケル。キチガイと一言で切って捨てるにはあまりにも純粋で、可愛く、そして輝こうとする男トレバー。

ミッション内外で3人を切り替えていく試みは、ハッキリ言って成功している。燻っているフランクリンの物語が元犯罪者のマイケルに接続し、マイケルの現在の燻りとフランクリンの燻りが重なって宝石店の強盗へと繋がっていく。マイケルもマイケルで腹回りが弛んでいる割には娘や息子の非行や危機、そして嫁さんの浮気には全力で動くアグレッシブクズ親父なのが遊んでいて最高に面白い。

そしてその宝石店の報道が砂漠で暮らすトレバーに届いた瞬間、物語は一気に加速する。ヤク中のバイカー(しかも4のDLCの主人公!!!)から彼女を寝取りながらの登場という前代未聞の顔見せとなった男は、現在の身の回りのイザコザを全て爆破し燃やし尽くしてからロス・サントスへと向かう。トレバーも変なスイッチさえ入らなければ―後々、幼少時の事が原因で精神障害になった事が分かるのだが―いいやつなのだが、何にせよトレバーはトレバーだからしょうがない。儲けられそうな事があれば構わず頭を突っ込むし、周りのことなんて知ったこっちゃない。電子戦担当のレスターと合流し、新生泥棒チームはロス・サントスを股にかけて暴れまわ……るわけではなかった。

 

ここからがGTA5の最大の問題、というか好みのばっつり分かれる所だ。家族の出来たマイケルは9年前にFIBのデイブと取引をし、トレバーを殺そうとした。その弱みを握られた為に、主人公たちはゲームの終了時点までずっとFIBのスティーブという男の言うことを聞き続けなければならなくなるのだ。

FIBのスティーブ、その友人で資産家のデビン、2人から請け負う仕事は危険な割に実入りがない。この記事の前半で書いたとおり、このゲームで実用的なカネの使いみちなんてのは武器しか無い。だが本当にストーリー上でも報酬が無いとなると、いよいよそこに残るのは徒労感だ。

仕事はうまく行かなくても、少しずつ第二の人生の為に家族とまとまって行くマイケル。始まりは誘拐とは言え、パトリシアと懇ろになれそうだったトレバー。元交際相手の頼みとあらば昔からのダチは絶対に助けるフランクリン。それぞれの物語が一歩ずつ一歩ずつ進む割に好転しない情勢は、最後の大強盗ミッションである連邦金塊保管庫襲撃を経ても変わることがなかった。

このずっしりとした徒労感と閉塞感を抱えたまま、物語は最終局面を迎える。デビンと敵対したマイケルを殺すか、危険人物であるトレバーを殺すか、事態は選択をフランクリンに迫る。

ここに至るまでの3人の切り替えの度に、「何かをしている最中」の彼らをプレイヤー達は見てきている。渋滞で並んだり、娘を送り迎えしたり、ゲロを吐いたり、人肉を食らったり、人を追いかけ回したり、テレビを見たり、バイクを磨いたり、オナニーしたり、警察に追われたり、ミッション外での彼らの人生を垣間見てきている。そんな主人公たちを、プレイヤーは殺せるだろうか?

「戦いたいから戦い、潰したいから潰す」……俺たちに大義名分など無いのさと暴れまわってきたプレイヤーに、GTA5は「それなら主人公を殺せるか?」と突きつけてくるのだ。私が迷わず選んだのは第三の選択。「死を覚悟する」即ち、因縁のある奴らとの全面対決だ。詳細は省くが、見事に主人公たちは厄介者達を全滅させることに成功する。夕日を映しながら、スタッフロールが始まる。

GTA5はミッション内アクションのバリエーションや、キャラクターのフレーバーに相当助けられたゲームと言ってまず間違いないだろう。だがそのフレーバーが、魅せ方が2010年代前半のゲームの中で異様なほどにギラギラと輝いている。退屈な「語り方」を耐え抜いてでも、見るべき物語がそこにあった。

GTA5。

正に良くも悪くも、2010年代前半のゲームの集大成とでも言うべきゲームであった。

 

余談。もしくは本題。GTAOについて。

さて、GTA5のオンラインである。何が凄いってこのモード、クランで盛大なごっこ遊びをするためのゲーム側のサポートが素晴らしい。役職を割り振って施設でいろいろ出来るし、物を飾ることだって出来るし様々な仕事ができる。そしてその仕事の妨害も出来れば何も考えずに車をカスタマイズしてレースに明け暮れたり、はたまたパーティーゲームよろしくミニゲームに講じる事も可能だ。

金策周りがパッと見で腐っている事を除けば、1本買っておけばとりあえずネットワークを用いたダラダラとした遊びをたくさん出来る。これは間違いなくオンリーワンの魅力だ。一年おきにCoDのように買い換える必要も無いし、迷走を続けるNFSを待つ必要もない。バイクに乗ってああのこうのする作品もパッとしない今、地味にバイクゲーとしての魅力もある。流石2年も3年もアップデートを続けるコンテンツだけあるといえるだろう。

 

GTA5はGTAOのチュートリアルだったのかもしれないなと思うことがある。が、チュートリアルだろうがなんだろうが、フランクリンとマイケルとトレバーの物語は惜しいことに空虚ですっからかんのサンアンドレアスで一先ずの幕を下ろすことになった。そしてRockstarはこれからもGTAOに注力していくことを様々なメディアで明らかにしている。GTAのナンバリング新作は当分拝めそうにない。

次のGTAは、街が退屈じゃないことを祈るばかりだ。

 

 

 

Grand Theft Auto V(日本語版)  [オンラインコード]

Grand Theft Auto V(日本語版) [オンラインコード]

 

 

2016年読んだレズ漫画列挙祭りはっじまっるよー!!

前置きは要らない。

 

終電にはかえします (ひらり、コミックス)

終電にはかえします (ひらり、コミックス)

 

 『甘々と稲妻』がアニメ化した雨隠ギドの単行本。
表題作『終電にはかえします』はその一本前の作品から続く不良と勘違いされがちの長身イケメン後輩と主人公の話。高校卒業後のデートで「もうずっと私女子高生でいい。ツネ(後輩)といっしょにいる」って二人してわんわん泣く所がもうほんと好き。服が何故かおそろいになる幽霊少女と一緒に育ち、少しのすれ違いの後に泣きながら二人でウェディングドレスになるシーンが印象的な『永遠に少女』も絶品です。頼む~~~こういう単行本もう一冊出してくれ~~~

 

星をふたりで (ひらり、コミックス)

星をふたりで (ひらり、コミックス)

 

 若干、各々が拗らせレズを炸裂させがちな短編集。
お気に入りは彼氏の出来た幼馴染との「友達」の距離から喧嘩しながら一歩踏み出す『あなたと彩る世界の色』ですね。女の子達が手を繋いで歩きだしたらそれだけで無敵なんですよ。ところどころで拗らせた挙句に罵倒するシーンがあるので苦手な人は注意。

 

 

この世にただひとり (ひらり、コミックス)

この世にただひとり (ひらり、コミックス)

 

 「少女漫画」と「レディコミ」で分けるなら後者の短編集。
何かしらのドラマチックなやりとりをして感情がウワーっと盛り上がるような恋愛漫画……ではなく、とつとつとした会話の中でチリっとした火花が胸に散るような作風。連作『少女アソート』の女執事さんとお嬢様のかけあいが甘すぎずよろしい具合です。割とエモさに振り切ってるので苦手な人は苦手かもしれない。

 

 

レンアイマンガ 新装版 (百合姫コミックス)

レンアイマンガ 新装版 (百合姫コミックス)

 

 子供時代に感銘を受けた漫画家の編集に抜擢されて喜んだのも束の間、その漫画家は年中パーカーでダサ眼鏡の引きこもりで。という話。新装版で追記された所でようやくカップルになるけれども、恐らく本来の部分だと「この関係は百合だ!本人たちが思ってなくても!」というシチュエーションだけ楽しまれていたであろう作品。ヒロインの黒井先生がドツボです。「作家が一人の読者の手紙に支えられた」系のお話が好きな人も是非。ちゅっちゅしません。しなかった(激怒)

 

誰にも言えない (楽園コミックス)
 

 しんどい恋愛の話描かせたらあんまり比肩する人の居ないシギサワカヤの短編集。前半は死ぬほど生き方が不器用な姉と、惚れた弱みだししょうがねえやっていう妹の各々の恋愛の話(絶品)で、後半が社会人百合の『Ending』という作品で構成されている。
『Ending』の「パートナーの両親が訪ねてくるもパートナーに直前にバックレられてしまい、面と向かって付き合っている事も何も言えず嘘を重ねていく主人公」のシーンがシギサワカヤ作品の中でもトップレベルのしんどさです。私達何を間違えたんだろうね。ラストページのモノローグで大泣きしました。是非。

 

 

 

妹ができました。 (ウィングス・コミックス)

妹ができました。 (ウィングス・コミックス)

 

表題作よりも連作の『私の好きなあの子の事』 が酷く刺さった作品。関係が変わっていくのは怖いけれども、嘘をついてそのままでいたり嘘で失うことのほうがもっと怖いよね。『たゆみなくいきよ』でもそうだけど、一回すれ違った後に大泣きしながら互いの心情を吐露されると僕の心の柔らかい所に強烈に刺さるからやめろ。やめないで。一個前の『誰にも言えない』もそうだけど、同性愛に対する他人の目が二人でいられない理由になり得るって作品のギミックとしてならまだ良いけど、現実でもこれに苦しむ人が居ることを考えると世の在り方にちょっと憂鬱になります。故郷である札幌が一歩踏み出すようでなにより。

 

 

 Pixivで16ページで終わらせときゃいいのに。みたいな作品。

 

 

明日の君に花束を (百合姫コミックス)

明日の君に花束を (百合姫コミックス)

 

 ちょっと萎びてきた人妻に思いのたけをぶつけてきたのは、なんと幼少時からよく知ってる娘の友だちだった。という「人妻×女子高生」百合。お母さんサイドの内心ぐつぐつ煮えている心を隠そうとしても、高鳴る胸を抑えきれない所が私に新たな地平を開きました。しかも幸か不幸かその娘もレズだったのですというオチまであって救いはないんですか!?是非。

 

ゆりゆり (百合姫コミックス)

ゆりゆり (百合姫コミックス)

 

 なもり先生さァ…

俺さァ…

あんたちょっと恐ろしいくらげか何かだと思ってたんだよ…

 

あんたさァ…

恐ろしくいいレズ叩き付けてたんじゃねえか…

 

ありがとう…

ありがとうなもり先生…

 

ほんとのかのじょ (ひらり、コミックス)

ほんとのかのじょ (ひらり、コミックス)

 

 犬系ドM少女×茶髪ロングドS少女の全力おバカコメディ。と見せかけて「相手がどうしたら喜ぶんだろう」に直球を叩き込んできたり二人なら無敵状態になったりシメに真っ当な愛の話をする傑作。あーッ!いけませんッ!茶髪ロングドSツンデレが今や珍しいぐらいにストレートにデレるシーンなんていけませんッ!ありがちな「それっぽい雰囲気にするだけしてくっつかずに終了」なんてこともせずにラストページは幸せなキスをして終了ッ!読後思わず叫びたくなる一冊に間違い無し。

 

citrus: 1 (百合姫コミックス)

citrus: 1 (百合姫コミックス)

 

 恋する乙女は絶対無敵なんだけど相手がよりによって全然デレてくれない義理の妹なんだよなあって話。モロに長期連載の弊害が出てるというか、いらんところでハードルを置いてきてそれを若干雑に超えるのを何度もやられるとちょっと辛い。4巻のラスト「キスのおかわり」まで読んでもいいし読まなくても良い。これアニメにするってどうなってしまうんだ……早く修学旅行の話しろ……そこからアニメにしろ……どうなってもしらんぞ‥…

 

2017年も良き百合に出会えますように。

ラブライブ!サンシャイン!!最終回。僕はその輝きにYesと答えることにした。

さて、早くも3ヶ月が過ぎてしまいました。
僕が記事を書けなかったのには理由があります。それは「僕が何故ラブライブ!サンシャイン!!を肯定できたのか」と「何故ラブライブ!サンシャイン!!の最終話に対して人々が憤ったのか」を自分の言葉でうまく語ることが出来なかったからでした。
今なら、自分の言葉で書ける気がします。

というわけで、前作「ラブライブ!」との比較や伝説となったμ'sの描き方も含めて、ラブライブ!サンシャイン!!の話をしていこうと思います。

 


まず、『ラブライブ!』の話をしましょう。

ラブライブ!』で高坂穂乃果は廃校阻止の為に学校の知名度を上げる。つまり広報の一環としてスクールアイドル活動を始めました。良き理解者である幼馴染の南ことり園田海未と共にファーストライブを行い、やがて彼女達は学校所属のスクールアイドルとして対外的なライブをするに至ったのです。が、穂乃果自身が体調を崩した上にライブを強行したことにより大会への出場の道が潰え、廃校が撤回された事や南ことりの留学の事もありスクールアイドル活動はストップしてしまいます。

 

ラブライブ!』の凄いところは、ここで矢澤にこに全力でキレさせた点にあります。幾度となく作中で流れる「スタートダッシュ」と、そのステージを繰り返し観ている彼女達という図は、「互いにとって互いが憧れ=アイドルである」という事を強く印象付けるものでした。そこに「あんたが本気でアイドルをやるって思ったからμ'sに入った。賭けようと思った」が爆発するわけです。神アニメかよ。(語彙力)

 

そして最終回。高坂穂乃果は「私好きなの、歌うのが」を貫き通し、更に「お前の青春を俺にくれ」とまで空港でやってのけるわけです。かくしてμ'sは未だ具体的には語らずとも、新しい夢に向かって踏み出すという区切りをつけて一先ずの幕を下ろしたのでした。

 

ラブライブ!サンシャイン!!』はどうだったでしょうか。

 

先に結論から言ってしまえば、Aqoursは一区切りを付けることが出来ませんでした。始まるぞ、始まるぞ!始まるぞ!!という加速は毎回あったし、その熱にあてられて毎週私はブログ記事を書いていたわけです。が、Aqoursは「始まっ!!!!!!」とでも形容すべき突然の終わりを迎えたのです。

確かに一度東京で痛い目にこそあいましたが、それは「自分達は期待されなかった」という、μ'sであればファーストライブの時に味わっていた話であります。しかもそれは9人になってからの話ではなく、本当に道半ばの話。高坂穂乃果の立志伝として良く出来ていた『ラブライブ!』と違い、『ラブライブ!サンシャイン!!』は単体で完結する事ができなかった。それはまるで、卒業式後の電話で終わる事のできなかったラブライブ!2期を彷彿とさせるものでもありました。ラブライブ!ありきでありながら1期のように見事に終わることが出来なかったのは、確かに不評とされても仕方のないことだったと言えます。

 

次に、最終回自体の話をしましょう。

 

実は、私は最終回がそんなに悪いものだとは思っていません。

後から加わろうとした全校生徒に対していいよいいよやろうやろうでなあなあの進め方をした高海千歌にたいして桜内梨子が言い出せなかったのも、何より「自分のピアノを続けてきた事に答えを出す」というわがまま=やりたいことを達成した上で戻ってきた事を考えれば仕方のないことです。(が、梨子が言い出せないならダイヤあたりがその辺りの話やるだろうよってなるのが全校応援の形をスマートに作れなかった制作陣の落ち度ですね。3話といいほんと話の運び方下手くそかよ。)

 ミュージカルパートは確かに退屈だったりむず痒くなる所なのですが、ここで発起人の高海千歌がどういう少女だったか思い出してみれば「余計」や「茶番」の一言で済ます内容ではないと思うのです。千歌が梨子にスクールアイドルを始めてもらうときに、ただただ勧誘するだけでなく何をしたか覚えているでしょうか。彼女はまず、知ってもらうことから始めました。自分のこと、スクールアイドルのこと、μ'sのこと、どんな歌があって、その歌にどれほど感銘を受けたのか生き生きと語りました。

それを踏まえてのミュージカル。彼女達は浦の星やAqoursのため、自分たちの0を1に変えるため、内浦の事から各メンバーの加入や味わった挫折そして今この瞬間に至るまでを赤裸々に語ったのです。その様が果たして茶番だったでしょうか?私にはそうは思えませんでした。

権威化していくラブライブ!(大会名)、そのステージで「皆、一緒に輝こう!」と叫び、会場を青い光の海にしたAqours。確かに大人の決めたルールの上では近づいて応援は禁止だったんでしょうが、そんなもん輝きの前では無力です。(断言)例え浦の星総厄介化と言われようが、皆走り出さずには居られなかったという光景は胸を熱くするものがありました。
いっそ全員出禁になるぐらいがちょうど良かったと思います。(極論)

 μ'sのように輝きたかった。
君と一緒に何かがしてみたかった。
進めない自分から変わりたかった。
中学の頃からずっとスクールアイドルが好きだった。
自分には無理だと思っていた。
ずっと探していた普通の現実(リアル)が欲しかった。
2年前に置いてきたものを取り戻したかった。

わからないままで何とかなるさと始めた彼女たちが、やっとあの時手に入れたのです。次へ進むための「ミライチケット」を。

正直なことを言ってしまうと、ラブライブ!1期の「何のライブでどうやって全校生徒どころか親まで呼んでるのかさっぱりわからん」という最終回ライブ。2期のレズスパルタン雪中行軍からの画面外A-RISE撃破と謎のアンコール(大会にも関わらずです)に比べれば、幾分かマシなんじゃないだろうかとすら考えている自分がいるのは事実です。

 

惜しむらくは廃校問題が解決していないこと、そしてたかが広報でどうにかなる問題でも到底無いだろうという二番煎じにも関わらずより無理な方向に走っていることや、説明会の人数が0→1となるところにドラマが無かった事です。特に0から1に増えるというのは、『ラブライブ!』1期2話で西木野真姫が作ったデモバージョンのスタートダッシュが流れる中で票が入り、高坂穂乃果が少し泣きそうな顔でふっと微笑んだあと西木野真姫が空を見上げるという場外ホームラン級の演出をかましているだけに残念でありました。

μ'sの廃校回避は音ノ木坂そのものが(恐らく)山手線の内側にあるという好立地の上、もともと音楽学校であり入学後にどういう学生生活を送れるのかが明白であったからこそであり、Aqoursはその伝説に縋っているに過ぎないと言えてしまう現状を2期以降どうしていくのかが気になります。『終わるってことを今はまだ言わないでいて』と歌のように、彼女達は駆けていくのでしょうかね。

 

ともあれ、ラブライブ!サンシャイン!!は一先ずの終わりを迎え、そして本格的な始まりの中にいます。一抹の不安と新たなわくわくを抱えながら、私も彼女達の言う「輝き」を信じてみようと思うのです。だって彼女達は、最後にこう問いかけたのですから。

 

 

 

 

君のこころは輝いてるかい?」と。

久しぶりに機動戦士ガンダム0083見たんだけどニナ・パープルトン言うほど悪い女じゃなくね?

amazon機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORYを約15年振りに一気見しました。スーパーロボット大戦αで知ったデンドロビウムノイエ・ジール観たさに兄弟でDVDを借りてきたのが中学生の頃でしたから、本当にそれ以来の事になります。

 

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さて、本編の面白さは最早語るまいでございますが、今日書きたかったのは悪女扱いされるニナ・パープルトン嬢の話です。御年21歳。

 

まずガンダム強奪。もうこの時点でかわいそう。
彼女にとっては大事な自分の担当ガンダムであり、重力下の試験の為にわざわざアルビオンくんだりまで出向してきて、テストをするだけだったはずが核弾頭を搭載した上で持ち去られるわけですから顔面真っ青です。そりゃあ「私のガンダムが」の一言ぐらい言いますって。

さて、一気に時計の針をソロモンの観艦式襲撃まで進めましょう。結局、試作2号機の核攻撃を止めることは叶いませんでした。しかもその上で、試作1号機と試作2号機を失うことになります。「どうしてこんなことに」と打ちひしがれる彼女は、コウと傷を舐め合うような関係になるわけです。忘れたいのよこの悪寒を。キャッキャウフフ。

ここの「戦いが身に染み付いてしまって忘れたくても忘れられない。そうなってしまうのが怖い」というのは戦いの中で立派な連邦の士官となっていくコウや、ジオンの理想……というか理想の旗のもと過激なテロリズムに走り自らの元を去っていったガトーを知っているからの言葉でしょう。もうこれ相当かわいそうですよニナさん。

更に続く試作3号機受取(強奪)では同僚のルセットにまで死なれます。しかも殺したのはガンダム開発計画をアナハイムに発注した連邦の人間なんだから限界です。ニナ限界プルトンです。そのニナがちゃんと次に出てくるのはというと、最大の争点となっているコロニー内最終軌道修正の場面です。あら、案外出番少ない。

 

ハゲが死にました。精一杯生きようとしてるシーマ様、獅子身中の虫と言われようが彼女が一番のヒロインであることは疑いようもありません。どこへ引くって言うんだい。デラーズを手土産に連邦側に寝返るシーマ様の事情など知ったことじゃなく、爆導索で無双する試作3号機。「お前は一体どっちの味方だ」ってのはごもっともで、「長い砲身にはこういう使い方もあるんだ」(スパロボオリジナル台詞)(私あんまりこれ好きじゃない)とばかりにメガビーム砲の先端が彼女の墓場になってしまいました。この時点でコウは試作3号機を強奪どうこうよりそうとうまずいことをしている気がするんですがいいんでしょうか?

話が逸れました。逸れましたがコロニーの軌道は逸れません。「コロニーは間違いなく地球に落ちる」 この時点で正に勝敗は決しています。子犬系オタク男子だった今カレはアナハイムガンダムビグザムで大暴れするバーサーカーとなり、元カレはもう良いだろって言っても「済んではいないッ!!!」「君には分からんのだッ!!!!」と聞く耳持たず。しかもこの期に及んで「俺のことは忘れてほしかったんだよね。俺はジオンの再興に身を託したからさ。君こそが星の屑の真の目撃者かも知れないなあ」などと激エモな事を言い出すんだからたまったもんじゃありません。「もういい加減にしろ!!」と彼女が叫ぶのも当然のように思えます。

大局が決した上での戦いが「もはや私闘だった」と言うのは、クロスボーンガンダム鋼鉄の七人でも語られていたとおり。ニナが「やめて」と言っていたのは裏切りというよりは、この二人の私闘そのものを止める事にあったように思えます。しかもこの時のコウは「俺への気持ちは!!!」だの子犬バーサーカー度全開です。「ガンダム2号機を!!!!」に対して「そういう事じゃないのよ」なんて、御尤もじゃありませんか。

このネタについてツイートしていた所、性別を反転したらもっとニナの行動が腑に落ちるとの指摘がありました。かつて恋仲にあり、彼氏の為を想って突然姿を消したテロ屋の元カノと軍属の子犬系オタク女子今カノがイケメンメカニックの目の前で殺し合おうとする。あっ、止めるわ。これは止めるわ。核がどうとかじゃないわ。

 

さて、この後のニナはと言うと、ガトーとロクに話すこともなく腹パンで気絶させられ流れ流れてジオンの艦へ。今カレはあんまりの報われ無さにビームライフルを乱射してフェードアウトし、元カレはアクシズ先遣艦隊に回収されること無く連邦の艦に体当りして散る事となりました。

 

時は流れて北米オークリー基地での再会となるわけですが、恐らくここがニナを悪女たらしめる事となる原因だと私は思いました。ニナは戸惑うべきでした。いや、コウが駆け寄り抱きしめるまで、微笑んではいけなかったはずです。私闘に狂った末にMSでなく自らの手で、戦局を決する場面でなく感情で人を殺しては後でじくじくと膿む心の傷を作ってしまう。それを止めたニナを理解し許すという描写も何もなく、コウはただニナを見つけて呆然としているだけです。ここで戸惑った後にすぐ微笑んでしまったからこそ、人々から四半世紀に渡り「キースはゲルググでその女踏めよ!!」と言われる事になってしまったのでしょう。ああ、かわいそうなニナさん。でもやっぱりキースはゲルググでその女踏んだほうが良いと思います。

 

次に見た08MS小隊に出てくるアイナの方がよっぽど悪女なんじゃねえかなとか想ったりしたわけですが、これはまた別の記事があったら書こうと思います。

amazonプライム、年間3900円なのにガンダム見放題なので入ったほうが良いと思います。届くの速いし。

 

 

 

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3DS『サバクのネズミ団!』レビュー。この1本のために3DSを買ってでも遊ぶべき作品だ。

 

見渡す限りの砂漠が広がる、とある惑星。
そこにはネズミと、ネコと、チキュウジンと、厄介な怪物が暮らしているのでした。

 

銀河のさいはて サバクの惑星に生きるネズミたち
移動要塞サバクフネにのりこんで めざせ! まぼろしの黄金郷!!
――灼熱のサバクをわたり
風の吹きすさぶ荒野をこえ
荒廃した廃墟の向こうへ
鋼鉄のフネにのり、砂の海をゆけ! ネズミ団!!

  公式サイトより

 さて、『サバクのネズミ団!』の記事です。どうやら特定タイトルについてのゲーム記事って実に1年振りらしいですよ。さっさと本題にとりかかろうと思います。皆様、おまたせいたしました。

 

クラフト×アップグレード×リソース振り分け=ネズミ

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 『サバクのネズミ団』が何をするゲームなのか簡単に説明すると、「拾ったアイテムを加工してフネを強化し、最終目的地である【黄金郷】へ突っ走るゲーム」です。

ゲームの流れをざっくり説明すると

  1. マップ画面から隣接した目的地(街や集落)を選ぶ
  2. サバクフネが走り出す(自動走行)
  3. 走ってると色んなアイテムを拾う
  4. 走ってる時間でアイテムをフネの設備で加工する
  5. 加工したアイテムで設備を強化・建設する
  6. 到着した目的地でアイテムを売買し、次の目的地へ向かう

という作りになっています。

 クラフトに必要なアイテムは「自動走行中に自動で入手」であり、ツルハシやスコップを振る必要はない。地域によって入手可能なアイテムが異なり、このアイテムの違いがそのままゲームの進行度に直結しています。新たな目的地のアンロックにはカネが必要とされるため、アップグレード用のアイテムだけでなく取引用のアイテムの製造も重要ですね。

 クラフトするために設備の加工画面を見ていると、明らかに「今の段階ではお目にかかれないアイテム」が立ち塞がります。この先に何があるんだろう。これを作ったらどうなるんだろう。まだ見ぬ未知の世界を求めて、ネズミと共にプレイヤーは旅することになります。

 加工の為には設備の稼働をさせなければならない。そして設備を稼働させるためにはネズミを1匹割り当てなければならない。ネズミは疲れるし腹が減る。だからキッチンと寝床を作ってやらなきゃいけない。それも清潔なシーツとフカフカなマットレスの寝床だ。キッチンだって合成ミルクと合成チーズの食事じゃ腹持ちが悪いから、サボテンを加工してワインとパンを食べさせよう。

 

わちゃわちゃします。

フネの中はゲームの最初っから最後までわちゃわちゃします。

 

 働いた後は「チカレタ…」と眠りにつき、「ハラヘッタ」と食事を取り、アイテムを入手すれば「ヤッター」「モウケモン!」と大喜び。食堂の料理には「ウマイ!」と舌鼓をうち、そして敵が現れたときには「キャー」とフネ中大騒ぎ。このゲームはクラフトのコツコツ感もそうですが、このネズミたちのセリフ選びやアニメーションも絶品です。見ているだけで楽しくなりますよ。

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 そしてクラフトです。クラフトも一筋縄では行かず、スクラップ→鉄板→鉄パイプや歯車やらなんやら…といった形で、アイテムツリーがゲーム内に存在します。作りたいたったひとつの装置のために、設備はいつもフル稼働。『サバクのネズミ団!』のやることと言えば、「次は何を作るか」を設備に設定するぐらいなのですが、この素晴らしきワチャワチャ感の中で割り振るのが楽しくて仕方ありません。気付けばあなたは数時間、夢中でネズミたちと旅していることでしょう。

 

それはネズミに与えられるべき罰なのだろうか?

 さて、そんなネズミ達の旅ですが、進めていると3度乗り換えのタイミングがやってきます。乗り換えなくとも、手狭になったフネで設備をリプレイスしたくなるでしょう。ここで『サバクのネズミ団!』最大の問題というか、数少ないマイナス点が出てきます。それは「設備を解体するとアイテム全てが素材に還元されるわけではない」というシステムです。

 これがRTSや別のシミュレーションゲームで、成長の度合いを競うゲームであれば潰す際のリターンと今のまま運用するリターンのどちらの方が良いかを考える事もゲーム性の一つとなります。しかしこのゲームは極論を言ってしまえば「プレイ時間をゲーム内のアイテムに加工していくのを楽しむゲーム」であり、その中でやれることが増えるわけでもないのにアイテムが失われると言うのは何の面白みにも寄与しません。

 どんどん建設して設備を入れ替えていく、というのは「作りたい物」がどんどん変化していく『サバクのネズミ団!』の面白さのひとつに成り得た要素であり、この「全ては戻らない」というシステムのせいで「この位置にこの設備を建設するのは間違ってはいないだろうか」と若干の億劫さを孕んでしまうことになりました。

 なにより、我が団のネズミは自分で建設した部屋ならカンペキに解体して再利用できるはず(断言)であり、ネズミ達が頑張って加工した素材を使って強化した部屋が無駄になってしまうというのはネズミに、ひいてはプレイヤーに与えられる罰になってしまいます。

 次回作があるのであれば、ここをもう少し上手く作ってくれることを望みます。

 

完全にフレーバーと合致したクラフトアイテム、そして愛おしき日々

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 『サバクのネズミ団!』には、サラっとCivilizationの要素も含まれています。最初は何で動いているのか分からないサバクフネに乗り、集落を回ってお使いをこなすだけだったネズミたち。彼らはいつしかスクラップからレンガを作り、竈を手に入れます。そして手先が器用なネズミ達はスクラップから歯車装置を、希少な鉱石からマグネットを加工し、モーターを入手することによってついに「マシンガン」「バーナー」「ロボットアーム」といった高度な文明を復活させます。

 そしてそのアイテムを手に入れる頃には、酒場で人々の口から語られる言葉によって「大昔、地球人がこの惑星に移民を試みた」「大量のスクラップは、衛星軌道上に浮かぶ宇宙船の残骸である」などの情報を得られていることでしょう。

ま、ひたすらに「黄金郷」を目指しているネズミ達にはあんまり関係ないんだけど。

 新たな目的地に辿り着くたびに明かされていく世界の全貌。鉄板を起点として効率的に様々な物を作り出していくファクトリー。そしてラボやロボティクスによる「電子工学」を手に入れたネズミたちは、「現代」に到達します。

 最終目的地である「黄金郷」のアンロック条件、それは「大昔からこのサバクの星を見ている機械」と通信し、位置を割り出すこと。ネズミたちは旅の果てに「人工衛星へのハッキング」を試みるのです。今までモノやカネの為にフル回転してきたサバクフネの設備が、ついに「黄金郷」のために稼働する。物語はクライマックスを迎えます。

 

 もう、ですね、ここらへんの盛り上げ方がたかが800円のゲームの作りじゃないんですよ。テキストもアイテム周りもものすごく丁寧。よくぞこのゲームを日本で作ってくれたと心からの賞賛を贈ります。

 

 私のクリア時間は20時間。「黄金郷」へは「ヌシ」の撃退によって辿り着きました。終盤に「ウシの骨」起点のアルカリや、そもそも「ラボ」へ偏りすぎてしまうアイテムツリー構成で生産がおっつかなくなるなど、惜しい点はちらほら見受けられますが、本当に素晴らしいゲームです。

 「ザ・タワー」「アジト」「アクトレイザー」「FTL」あたりがピンと来る人には、グサーっとささる一本になることでしょう。あなたも是非、この惑星でネズミ達と旅してください。

www.nintendo.co.jp

 『サバクのネズミ団!』は、ニンテンドー3DS専用ソフトとして800円で配信中です。

 

 

Newニンテンドー3DS LL ピンク×ホワイト

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  あなたにも、銀河に広がる例のアレの加護がありますように。

「君の名は。」を観た時の記憶が薄れる前にマッキーで殴り書きするようなブログ記事をここに残す。

君の名は。』観ました。

 

物凄く真っ直ぐな「ジュブナイル」を見せて貰えた。本当に良い映画でした。情け容赦なくネタバレするのでネタバレフォビアの人は今すぐこの文字を見た時点でブラウザを閉じPCを破壊しスマホを放り投げタブレットを四つ折りにしてください。

いいですか。

いいですね。

 

さて、『君の名は。』の話をしたいと思います。この手のにありがちな「入れ替わりの巻き起こすトラブル」の部分を『前前前世』をかけながら軽快にパパっと済ませる時点で凄いなと思いました。普通、入れ替わりの引き起こすトラブルが深刻化(それこそ人との約束をすっぽかすだとか、学校やバイト先や家族との間で現状が危うくなるような大きな失敗をしてしまう)することにより解決せざるを得なくなるとか、何らかの不快感・ストレスの解決のために会いに行ったりしたはずです。

が、瀧君は違う。そういうゴタゴタではなく、「何故か入れ替わる事がなくなった。記憶の中にあるあの街に何としても言ってみたい。話してみたい」という大変ポジティブな理由でした。場所が飛騨にあることを突き止めるのも、三葉ちゃんがバイト先のイタリア料理店で彼女なりに頑張って取り付けた先輩とのデートの中で見つけた写真というのがまた「互いの行動が絡み合っていく」という感じで大変良かったです。

そしてティアマト彗星。実は同一の時間上で入れ替わっていたのではなく、時を越えて入れ替わっていた事が判明する場面の話をします。どうやら世間では「あの瞬間まで瀧くんが彗星のことを忘れているなんて」という事がひとつの引っかかりポイントになっていたようですが、僕にはそうは思えませんでした。というのも、彼は都会も都会の新宿区の四ツ谷駅周辺住まいで、バイトと学校通いに忙しいただの高校生。中学生時代起きた、500人が犠牲になった災害やその詳細な地名まで彼は覚えちゃいないでしょう。

僕だって、東日本大震災で住民の半分が流されてしまった町があったことは知識としては覚えていても、その町の名前を今や思い出せません。ましてや、そんな「日本の片隅でそんな事があったかもしれないなあ」とぼんやりと覚えていたことが、自分に関係のある範囲での現実とリンクするなんて、失礼ながら想像がつきません。

少しずつ「夢だった」と記憶が揮発していく場面で、手首に巻いた組紐をみる瀧君。「誰がこの紐をくれたのか」を手繰り寄せ、その人が「瀧に記憶が無いにも関わらず、3年前のあの日の前日に逢いに来てくれた三葉だった」と思い出してから山登りを敢行するのがまた頼もしい。ラーメン屋の店主の人の良さもそうですが、瀧君が入れ替わりの中で目に焼き付けてきた糸守の風景とそれを描ききった彼自身の想いに答えたのもありましたよね。「あらあ、良かった」って。

 

「結び」という言葉で表現された「因果」や「輪廻」、僕はそこに『陰陽師』(著:夢枕獏)で使われた「呪(しゅ)」と同じものを感じました。「呪」とは関係性であり、思いであり、そして最も短い「呪」は「名である」と作中で安倍晴明は言っています。一介の高校生に過ぎなかった瀧君が、何の因果か糸守の山中の神域に辿り着く。その「結び」を更に強め今一度「3年前」に戻るため、三葉の口噛み酒を飲む=彼女を身体に入れる。ああ、瀧君。どうしようもなく主人公です。

ちょいとここでオカルト方面に振りすぎた感は否めません。とは言え、ここで只の「何らかの受け皿」ではなく、自ら一歩踏み出した故に三葉の全てが流れ込んできて、そして彗星の日に戻る。糸守を救えずについに1200年経ってしまった「今」をようやく救うのは、ティアマト彗星が天を駆けるあの日にリンク出来た瀧君だけです。

ココらへんの超常現象の話は、作中で詳細には語られません。町長と一葉ばあさんが少し語るだけ。私は別にそれでも良いと思います。マユゴロウの大火で何もかも焼けてしまって、それでも絶やさぬようにと紡がれた糸。それが「3年前の10月4日」へ結ばれる。彗星のように美しいじゃないですか。

 

ドタバタの入れ替わりの序盤、入れ替われなくなってから御神体へたどり着くまでの中盤、そして終盤とエピローグ。ドタバタの序盤のみに予告を絞っていたのは割りと正解だと思います。ほんと、中盤からが大事なので。

 

さて、瀧君が三葉の中に入って3年前の世界を変えようとしても、彼には人の心ひとつ変えることは出来ませんでした。ココらへんの孤独な戦いは時間遡行物の醍醐味です。というかここに至るまでの所、オカルトというかファンタジー面に振りつつSFな描き方もちゃんとやってました。

2人が(というかどちらの肉体も神域へ持っていったのは瀧君ですよね。お疲れ様です)幽世に足を踏み入れ、更に訪れたカタワレ時。どうしようもなく惹かれ合っておきながら、2人が直接会話したのはあの数分間だけでした。特に、日をずらすことなく年だけをずらして「彗星の日」を迎えた三葉ちゃんにとっては、瀧君ほどの「結び」はなかったはずです。あったのは宮水の血筋と、少し不思議で楽しかった東京での日々だけ。それでもティアマト彗星の傷跡を見て自らに訪れた結末を悟り、瀧君に渡した組紐を受け取った後は彼女の物語がスタートするんです。

 

幽世に足を踏み入れたものは、いちばん大事なものを失わなければならない。一度出会い、言葉を交わした筈の彼女らが差し出しだのは「結び」そのものであり、最も短い「呪」である「君の名」でした。あんなにも大事だった、大切な「君の名」を忘れ、どうして「神域」に居たのかも忘れ、何故「糸守」の事があんなに気になっていたのかも忘れていく。瀧君はマッキーで書かれる前にカタワレ時が終わってしまったので、「糸守」という地や「誰か」に焦がれていたといううっすらとした「結び」だけが残りました。彼の時はそのまま、5年後(恐らく大学4年)の時まで流れていきます。3年の時を経て自らの手元に戻った組紐と、マッキーで書かれた三文字。三葉ちゃんには瀧君と比べると強めの「結び」が残りました。

なんてことのない一本の組紐。 だけども、幽世で手渡された3年の月日を経た組紐を身に着けた三葉ちゃんは、例え瀧君の名前を忘れても、何故渡されたのかを忘れることはありません。

終盤、世界各地で砕ける彗星を人々が見ながら思っていた事は「美しい」でした。美しい。ただただ美しい。その光景の真下で、町がひとつ消え行くなんて知っていた人間は誰一人いませんでした。そんな流れ星から人々を救うため、何らかの形で「未来からの知識」を得た少女が、ただただ、走る。

運命だとか未来とかって 言葉がどれだけ手を伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする

スパークル』の流れるクライマックスは、本当にただただ「美しい」としか言いようのない光景でした。『秒速5センチメートル』の桜のように、『ef』や『言の葉の庭』の雨のように。

 

さて、エピローグです。正直、僕はここから一番手に汗を握っていました。このまま瀧君は「可哀想なことに500人弱を救った救世主だと言うのになんかすげえ気になるって呪いをかけられたまま新宿でさっぱりしない人生を送っていくのだエンド」を迎えるのかと。

5年を経て、周囲の人も変わって、糸守で逢った2人も結婚して、自分だけがもやもやした何かを抱えたまま結果を出せず幸せになれない。そんなビターエンドでまた新海誠は終えてしまうのかと。歩道橋ですれ違う2人のシーンなんか、もう「絡まれ!」「交われ!」「紡げ!」って必死に祈っていました。

 

で、アレですよ。

 

俺達の総武線が2人を引き合わせるんですよ。

 

もう、お互いに気づいてから僕はただでさえボロッボロだったのに、泣きっぱなしでした。そうだよね。「結び」って、「呪」ってそういうものだよね。一度階段ですれ違って、やっと出た言葉。そして堂々のタイトルロゴ。「君の名は。

 

新海監督。

僕がYs2エターナルのOPを見たり、『ほしのこえ』のDVDを観て感動してから、15年近くの月日が経ちました。efのOPムービーは、本当に馬鹿みたいに毎日繰り返して見る時期だってありました。そしてまた今日、あなたの最高傑作を目にし、ボロ泣きしている僕が居ます。

こんなエモいにも程があるものを見せてくれて、本当にありがとうございました。

 

君の名は。 Another Side:Earthbound (角川スニーカー文庫)
 

 

君の名は。(通常盤)

君の名は。(通常盤)

 

 どちらもKindle版及びiTunes版を速攻で買いました。
二回目が、本当に楽しみです。