何故俺はFateのポケモンGOパロティアプリで三十路の男が手を振っているのを見かけただけで泣いたのか

TYPE-MOONのエイプリルフールのネタは毎年毎年手が込んでいることで有名です。

TYPE-MOON エイプリルフール企画 - TYPE-MOON Wiki

今年は何をやったかと言うと、最新のFateであるFate/Grand Orderに登場するサーヴァントたちをポケモンGO風にした、一日限りのパロディアプリが配信されました。

その名もFGOGOです。

www.fate-go.jp

↑4/2現在は残ってますが消えたらごめんなさい。

 

※この記事は『FGO』第一部、エピローグまでの内容を多分に含みます。ネタバレに耐えきれない人は今すぐブラウザを閉じましょう。

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内容といえばGOボタンを押して歩き、出てきたサーヴァントに聖晶石をぶつけてゲットするという大変単純な内容。とは言えサーヴァントの数が多いのでフルコンプに2時間ぐらいかかりました。
聖晶石は要するにゲーム中の通貨であり60個4800円ぐらいの品物。それをマシンガンのように打ち出して高嶺の花である激レアサーヴァントをGETするという狂気のアプリであった。あたまおかしい。

 

さて、そのFGOGOに4月1日23時、突然異変が起きます。突如データの更新が行われ、BGMがオルゴール調のものに変わり…

 

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アホ毛の立った、なんともすっきりしない、如何にもうだつの上がらなさそうな三十路が出てきました。彼の名は、ロマニ・アーキマン。人理継続保障機関カルデアに務めていた、どこにでもいる一人の人間でした。

 

でした。

 

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タップしても彼を捕まえることは出来ません。当然といえば当然です。このゲームはサーヴァントを集めるゲームであり、ロマニはただの人間ですから。

 

彼にまつわる話をしましょう。

ロマニ・アーキマンは、結論から言えばただの人間ではありませんでした。彼は元々『FGO』作中で行われた聖杯戦争で勝利し、「人間」になることを願ったサーヴァント「ソロモン」でした。「ソロモン」からただの人間になるその瞬間に、人類悪であるゲーティアの企みを知ってしまい、10年ずっと誰が敵かも分からず怯えながら生きてきた男でした。

ロマニは終局特異点で「ソロモン」に戻り、そして第一宝具である「訣別の時来たれり、其は世界を手放すもの(アルス・ノヴァ)」を使用しました。その効果は端的に言えば「ソロモン王の死」、究極の自爆宝具と言えます。自爆と言っても大爆発を起こすわけでも、四肢をバラバラにしながら矢を放つわけでもありません。彼が起点となり人類に広まっていった「魔術」や「ソロモン」という存在そのものが人類を害するようになった時、それを滅ぼせるようにしたフェイルセーフでした。

それを使用するということは、「ソロモン」としての存在も、「ロマニ・アーキマン」という存在も、消えてしまうことを意味します。そして彼が生前成し遂げた偉業すらも英霊の座から消え、もう誰も呼び出すことも、知ることも出来なくなってしまいます。それでも彼は、宝具を発動させたのです。

特異点Fから、終局特異点までの長い長い聖杯探索。2016年に完結したその物語の終わりに、ロマニ・アーキマンという男の姿はありませんでした。

 

さて、FGOGOの時間は2017年4月1日、エイプリルフールです。コフィンで眠りながら特異点を巡るように。カルデアから出ること無く世界を巡るように。プレイヤーはアプリの中で様々なサーヴァントと出会いました。そして23時、残り少ない時を惜しむようにアプリを立ち上げたプレイヤーの前に現れたのが、ロマニでした。

ロマニを捕まえることは出来ません。何故ならロマニは人間でしたから。サーヴァントのように足元に紋様は出ていませんし、それはアプリの正しい挙動です。

ソロモンは出てきません。何故ならソロモンは英霊の座から消去されてしまいましたから。例え流星の降る夜だったとしても、それはアプリの正しい挙動です。

 

彼は2017年のカルデアには居ないはずの存在です。その彼が、主人公に。そして、プレイヤーに向けて手を振っているのです。エイプリルフール。一日限りの、嘘の許される日に。

 

それはまるで、黒猫の使い魔の見せる夢のようでした。

それはまるで、タタリの引き起こした夏の夜のようでした。

それはまるで、終わらない聖杯戦争と約束の四日間のようでした。

 

さようなら、ロマニ・アーキマン。
さようなら、ドクター・ロマン。

僕は明日へ向かいます。

Fate/Grand Orderという最高級のガチャ広告について

皆さんは尿路結石になったことがありますかね。
私はあります。今年の1月の末のことでした。
ドクター・ストレンジという、ながらスマホで事故ったせいで両手が使い物にならなくなった天才外科医がネパールのカルト教団に入って紆余曲折の末リセマラで暗黒次元の悪いヤツを根負けさせて倒す映画を見た。その翌朝の出来事でした。
激痛で目が覚めました。背中が攣ったかと思いきや痛みはどんどん増すばかり。たまらず近所の病院に駆け込んでダラダラ一時間診察し、得られたのは「おしっこに血が混じってるのでまあ結石だと思います」という大変曖昧な答えと辛くなったら飲めという鎮痛剤だけでした。もうネパールに行くしかねえ…!
 
さて、そんな悲惨な体調になったきっかけの年末年始。一時の気の迷いと、何より信頼できる人々からの「FGOやれ」圧力に屈した私は、スマートフォン用ゲーム『Fate/Grand Order』をインストールする事となりました。2016年12月末の事です。しかもソシャゲ嫌いにも程がある私が福袋ガチャにとりあえず5000円突っ込むという異常事態まで付いてきています。
それもこれも、GTA5があんまりにも面白くなかった反動なんですけどね。
 
というわけでお久しぶりのゲーム記事、今回は『Fate/Grand Order』(以後、『FGO』)について書こうと思います。
 
だって私、月箱やらっきょからの型月厨だから!
 

Fate新作RPG』の名に偽りなし

 
Fate』というシリーズをご存知でない方が今更このブログを読んでいるとは思えませんが、改めて説明しましょう。
願い事を何でも叶えてくれるアイテム「聖杯」を巡り、「魔術師」と呼ばれる人々が過去の人類史に存在した英雄や偉人を「サーヴァント」(使い魔の意)として召喚して戦う「聖杯戦争」の物語。それが『Fate』シリーズです。
 
それぞれ叶えたい願いを抱いて戦いに挑む「魔術師」(マスター)達は一癖も二癖もある人々ばかり。そんな彼らとともに戦うのは物語や神話に登場する英雄たちです。「英霊」と呼ばれる彼らの生前のエピソードや因縁は自らの特殊能力や武器となり、そして時に壁となって立ちはだかります。それ故に「英霊」達は自らの正体を隠して戦うのです。マスター同士の殺し合いや、対戦相手の「英霊」の正体に迫るミステリー、そして二度目の生を得た「英霊」達の生き様が『Fate』シリーズの見どころとなっています。
 
もちろん、只のバトルロイヤルに「聖杯戦争」は収まらず、物語は思いもよらない結末を迎えるわけです。が、ここでそれを各々語ることはしません。現在を生きる人々と、過去を生きた人々の「願い」と「希望」、そして「どうしてそうやって生きる・生きたのか」が衝突する物語。それが『Fate』と言っても過言ではありません。
 
さて、『FGO』はそんな『Fate』シリーズにおいても新しい試みを行っています。まず、舞台が現代ではない。マスター達のバトルロイヤルではない。マスターとサーヴァントの一対一の契約を基本とはしていない。等です。
※勿論過去の作品では展開上、共闘したり複数人と契約したりする所がありますがここは落ち着いてください。
 
順を追って説明しましょう。『FGO』の戦いの舞台は、人類史における「特異点」と呼ばれる特定の時代です。今回はマスターが魂をデータ化して転送され、現地に存在する「聖杯」を探索・回収するのが目的となっています。細々した設定を無視して言えば、「タイムトラベル物」という事になるでしょう。
 
また、マスターは第一部の現状だと主人公しか存在しません。複数人のマスターによる争奪戦やチーム戦ではなく、大雑把に言うと「現地の抵抗勢力」と「歴史を大きく修正しようとする勢力」の戦いに、主人公一行が介入する形になっています。
 
そして主人公であるマスター。作中では所属している組織の名を冠し「カルデアのマスター」と呼ばれる魔術師が契約するサーヴァントはたった一人ではありません。何十という単位でサーヴァントと契約し、敵対する勢力とまさに「戦争」を行います。
 
そうして描かれるのは、宣伝文句にもあるように「過去最大規模の聖杯戦争」――人類滅亡、作中の用語では「人理焼却」を防ぎ、未来を取り戻す英霊達の戦いです。これは多数のキャラを出すための単なるクロスオーバーの方便ではなく、多くの英霊が主人公のもとに集い、語らい、絆を深め、ともに戦い、そして散っていく「物語」でありました。
 
今まさに改変されようとしている「その時代」「そしてそこに生きる人々」を護るために戦う英雄たち。そしていつかどこかで誰かを護るために戦い、今一度誰かを護るために召喚され戦列に加わっていく新たな英雄達の、誰も知り得ない物語。
 
そう、『FGO』は、どうしようもなく『Fate』としか言いようのないゲームだったのです。
 

ガウェインという名のゴリラ

 
さて『FGO』、物語がそれこそ歴代のFateシリーズに匹敵するほどの熱量と面白さな訳ですが、ジャンルにRPGとある通り「パーティを編成し」「キャラクターを育成し」「スキルや必殺技を駆使して戦う」作品です。少なくとも往年のスクウェアRPGやアトラスのRPGぐらいの面白さはあるんじゃないでしょうか。
 
戦闘はこの手の作品には珍しく、ほぼ体力の回復手段がありません。ポーションややくそうに相当する消費アイテムが無い。なので必殺技やスキルを用いて回復するしかない。いや、こっちが死ぬ前にあいつを殺す。あいつの必殺技の威力をゴリゴリに下げ、無効化し、こちらに1ターン限定の無敵を付け、スタンさせ、魅了し、石化し、殺す。ここまでキチンと作っているなら、ようやく「スマホで本格RPG」だのと名乗っても許されるのではないかと思いました。
 
よくある属性については『Fate』シリーズの慣習通り7種+例外数点となっており、3すくみ*2が基本と成っています。弱点を付くとダメージ2倍、耐性のある敵からのダメージは半減。回復のないゲームでアドバンテージがざっくり4倍なことを考えると、各属性1人ずつ育てるだけでは足りません。かと言ってその属性だけで固めてもスキルや必殺技の組み合わせが噛み合わないとなかなかエンジンがかかりにくい。ココらへんも良く出来ていると感じました。
 
で、数少ないソーシャル要素に「サポートサーヴァント」というシステムがあります。これはフレンドが育成したサーヴァントを1人借りてきて良い、というか1人借りて来て自分の手持ちの5人と合わせて6人で戦うのが前提です。話だけ聞いてみれば「もうレベルカンストの凄い強いの連れてきてそいつに無双させりゃいいんじゃねえの」と思うでしょう。事実、第一部の五章ぐらい迄はそれでいけます。各章のボスが全体攻撃してくるので、それを全体回避しておけばだらだら戦う分でなんとでもなるでしょう。問題は六章からです。
 
スフィンクス」による高耐久・高ダメージエネミーの洗礼を受け、オジマンディアスに謁見し、聖都を向かう。道中一緒になった難民たちと共に聖都へ辿り着くと、そこで行われていたのは救済などではなく虐殺だった……プレイヤーの「野郎ぶっ殺してやる」モチベーションが最高潮に達した所で登場するのが、円卓の騎士「ガウェイン」です。
 
このガウェイン、「異様に硬い」「必殺技ゲージの貯まる速度が異常」「しかも必殺技ゲージを更に加速させる」「そして嫌がらせの極みの全体必殺技」というゴリラのような存在であり、ビジュアルも実際ゴリラ。今までプレイヤーが「サポートさんが死ぬ前に殺しちゃえばなんとかなるでしょ」となあなあでやってきたことに対し、真正面から切り込んでウホウホしてくるのです。こいつには属性、バフ・デバフ、遅延やスタン、そして装備などなど、ありとあらゆるシステムを使いこなしてこちらもゴリラになる必要があります。
 
ここでシステムへの理解を深め、手持ちのキャラクターをどう育成すべきか考え、どうゴリラを倒すか。サポートにおんぶにだっこだったとしても、カルデアのマスターである主人公と、ゲームのプレイヤーがここでついに半ば強制的にリンクします。
 
 白亜の理想都市を守るゴリラvs人類を守るゴリラ軍団です。
 
第6章4節、ここで物語だけでなく、真の意味で『FGO』が私の中でスタートしたと言っても過言ではありませんでした。
 

ガチャという商品の最高級の広告として。

さて、ストーリーがおもろい戦闘も悪くないという話をしました。Fateはソシャゲなのでガチャがあります。
 
ガチャはやめろ。
 
 
 
これで終わらせたいところですが、今回はちょっと向き合ってみたいと思います。
前述のサポートサーヴァントはフレンドだけでなく、各章でずっと行動を共にする登場キャラクターそのものを用いることも可能。なのでストーリー上の登場人物としてだけでなく、戦闘で用いるユニットとしてのキャラクターとしての性能や演出を楽しめるのです。よって「あの場面であのキャラ本当に格好良かった」だけでなく「あの戦闘でキメたのは我が王だったんだよな…!」という各々のナラティブの部分にまでキャラクターが食い込んで来ます。
 
FGO』の物語はほぼマスター不在。よって登場人物はほぼ英霊達となっています。何らかの理由(概ね聖杯)で誰かに付き従わなければならない者が居たとしても、その主もサーヴァントなら従もサーヴァント。死ぬ時も別れの時も、「今度は貴方と契約したい」「もう一度逢えたら、その時はカルデアがいい」「困ったら俺を呼ぶが良い」と、皆が口にします。ストーリーの終わりは一緒に旅して共に戦ったキャラクターとの別れでもあるわけです。
 
そして『FGO』は特異点と聖杯を巡る探索の旅。キャラクターの入手は単なる戦力増強に留まらず、「あの特異点で出会った彼が・彼女が今また一緒に別の特異点で戦ってくれる」という強烈な体験となっていきます。
 
そこでガチャが出てきます。
 
引けば彼と彼女にまた逢えるのです。
戦力の増強(システム)と
今度は正式に彼らと契約を結びマスターとなれる(ストーリー)の
あまりにも強力なツインアームビッグクランチなのです。
 
死ぬほど面白い『Fate』としての物語は、最高級の広告として機能しています。
貨幣焼却式・エフジーオー起動としか言いようがありません。今の『FGO』のブレイクは決して偶然ではなく、悪魔や魔神の類と言われても仕方ないレベルの「御業」の上にあると言っても過言ではないでしょう。
 
 
もうちょっと突っ込んだ話、というか各ストーリーの見所だとか人々が何故中田譲治ボイスのガイコツマンに群がったのかだとか、又の機会に書くとしましょう。一先ずは4000文字、『FGO』について軽くお話しました。 

 

色彩

色彩

 

 

次は、僕の人理修復に至るまでのお話をしようとおもいます。

『ドクター・ストレンジ』を公開初日に観たのでネタバレ込みでその話をしたい。

天才脳外科医が運転中のながらスマホで交通事故を起こしてさあ大変。手に11個もボルトを打ち込む事になっちゃって自分の名前も書けやしない!リハビリの最中にとある症例~背骨をバッキバキに骨折した人が失踪した後、下半身不随の筈が歩いていた~を耳にした元外科医は藁にもすがる思いでその男に会いに行く。すると紹介されたのはネパールの首都・カトマンズ。辺鄙な東南アジアでゴロツキにぼこぼこにされちゃうし、これから彼はどうなっちゃうの~~!?

 

という、ゆるふわっぽく書こうとしても割と可哀想な出で立ちなんだけれども何せその両腕になった理由がながらスマホなので擁護しようにも無理な男が主人公の映画。
『ドクター・ストレンジ』IMAX 3Dで観てまいりました。

思えば世の『シビル・ウォー』の熱狂にいてもたっても居られず、気づけばハルクとソーの映画以外本当に全部観てしまったのが去年のこと。一番のお気に入りは勿論『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』です。いやーMCU作品の1本目はいちいち外さねえなあと思っていたところ、ついに訪れましたIMAXで観られる最新作!!という2017年の1月でございます。

謎のケルトおばさんエイシェント・ワンが率いる魔術師集団に入り、メキメキと力を付けていくストレンジ。魔術描写は「オレンジ色の火花を散らしながらサークルや武器の輪郭がバシっと浮かび上がる」というもので、とにかくエフェクトがド派手。こういうエフェクト盛り盛りのアクション映画はIMAX 3Dで観ると大迫力でたまりません。

ストレンジが登場する度に身に付けている衣類=ランクが変わり、また持ち前の優れた頭脳で「常識を捨て、新たな理論を自らの中に構築していく」というのは現代が舞台でありながら異世界ものの状況を呈していきます。そしてある程度能力を手に入れ、時間に関する上位の魔導書に手を出した所で話がいっきに動きます。

序盤にも出てくるカエシリウスという†ダークディメンションのパワーに魅入られた魔術師†が、地球に設けられた3つの聖域を破壊して†ダークディメンション†の力を開放しようというのです。そんな魔術大戦に巻き込まれるのはゴメンだ、とストレンジが逃げようとした所で早速ロンドンの聖域がカエシリウスによって破壊。その衝撃で弾き飛ばされたストレンジはニューヨークの聖域まで行ってしまうのでした。

予告編で出てきた「複数人の魔術師がニューヨークをインセプションみたくべきべきに折り曲げて戦うシーン」はここ。細かく切るとニューヨークの聖域での最初の戦い、一度病院に運ばれて霊体での戦い、戻ってきて聖域での二度目の戦い、ミラーディメンション(現実に影響を及ぼさない領域。一部特撮で出てくる都合のいいアレ)のニューヨークでドンパチする戦い、そしてエイシェント・ワンとカエサリウスの対決と敗北へとつながっていきます。

 

もうね、このバトルが全部すごいの。アサシンクリードのアニムス内の描写とか、クウォンタムブレイクの時間が割れる描写とか、インセプションで夢の中で重力とか街の風景が大変なことになる描写とか、そういうの好きな人絶対に観に行って。観たかったものが観られる。武器をバッと召喚して戦ったり魔法のブーツで二段ジャンプしたりカプコンとかプラチナゲームズのアクションゲームかよって絵面を映画館で観られるからそういう人も観ろ。脳が情報を処理しきれなくなって圧倒されること間違いなしです。

 

さて、カエシリウスに負けたエイシェント・ワン。本日二度目の謎の急患が運び込まれるストレンジの勤め先(一回目はストレンジ本人)で緊急手術が行われます。が、エイシェント・ワンの直ぐに心停止。これは霊体で抜け出したなとストレンジが同じように霊体で追いかけて、「二人だけの時間」での会話が行われます。

ここもIMAX 3Dならではのポイントです。二人の霊体は半透明。だから背景の奥行きと半透明の霊体の奥行き、そして舞う雪や遠い空の雷が、静かなシーンなのにグッと圧倒してくるんです。最高か。

 

 

エイシェント・ワンとの別れ。そして残る最後の香港の聖域……という所で、話がちょっと失速します。クライマックスなのにって?クライマックスなのにですよ。何故って、香港の聖域はもうとっくにカエシリウスに滅ぼされて、香港がメキメキとダークディメンションに侵食されていたからです。

ここで「街の時間全てを戻す魔術」を使い、ヤクルトの看板(目立つ)を含め巻き戻ろうとする世界の中で更にカエシリウスと戦うというのはメチャメチャ格好いいです。スタンド使い達でさえ「止まった時の中」か「加速する時の中」で戦っていたのであって、「巻き戻る時間の中」での戦いはやりませんでした。この映画魔術だからってやりたい放題やり過ぎだろ…脳がパンクするわ…ありがとう…

で、ある程度の巻き戻しが終わったので仕切り直し。さあもっと熱いバトルが繰り広げられると思いきや、ドクター・ストレンジは開いてしまったダークディメンションへ単騎で飛んでいってしまいます。

 

ダークディメンションの奥にはドーマムゥという大変恐ろしいやつがおり、全てはこいつが出てくるのを防ごうというお話。そこに単騎で突撃して、かっこ良く戦、

 

あっ、やられた。

やられたと思ったら奥からもう一度ドクター・ストレンジが出てきた。

ドーマムゥがまた同じセリフを言おうとした所で……

ドーマムゥ「一体どういうことだコレは!?」

 

ドクター・ストレンジが使ったのは「タイム・ループ」の魔術。しかもタチの悪いことに、ドーマムゥには記憶が残るタイプのループです。そうだね。リンゴォ・ロードアゲインのマンダムだね。ドクター・ストレンジはこのドーマムゥに「無限コンティニューによる精神攻撃」を仕掛けたのでした。まさか2017年最初に観た新作映画の主人公が「暗黒次元の悪いヤツをリセマラで倒すわ」とか言い出すだなんて思ってもいなかった。ガチャは悪い文明だと思います。本当に。

 

そしてドーマムゥ、観客から観るとかなりあっさり目に根性負け。ダークディメンションに属した魔術師共々地球からサラっと居なくなり、香港はあっという間に元通りになるのでした。ドクター・ストレンジは魔術集団の長となり、アベンジャーズが物理的に戦う裏で異次元からの敵とたたかう道、医学とは別の「人の命を助ける道」を歩き始める…という所でエンドです。

 

ネタバレだと書いたにも関わらず本編見ずに記事を読んだ人は「オチ弱くない?」と思ったでしょうが、そうです。オチというか香港に入ってからが弱い。目の前の光景は凄いんだけど、やってることは「パパとママの敵討ちをおっ始めようとしてるから殴って止める」というシビル・ウォーとどっこいどっこいの可能性があります。

例えば『アントマン』。最終決戦では後戻り出来ない量子世界へ飛び込み、超格好良く生還します。模型の上で最高にバカバカしく、そして最強のパパが戦うクライマックスはMCUで僕が二番目に好きなシーンであります。

そして『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』、この作品はザンダー星上空で主人公勢+ザンダー軍vsロナンの軍勢が小学五年生及びかつて小学五年生だった男の子なら咆哮すること間違い無しの大空中戦を繰り広げ、船内に突撃しロナンと決戦。グルートに守られながら船とともに地上へ落下し、主人公達は再び窮地に立たされます。そして最後の最後に一人じゃとても耐えられないインフィニティ・ストーンの力に、仲間と手を繋いで耐えきり「俺達は、ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシーだ!」とロナンを消し去るクライマックスが最高でした。大好きです。MCUで一番好きです。マジで。

 

それと比較すると、やはり「無限コンティニューアタックでラスボスを根性負けさせて追っ払いました」はちょっと弱いかなあというのが、正直なところでした。

 

例えばなんですが「今までとは常識の異なる世界で修行する」と言えば『バケモノの子』があります。メキメキと成長していくキュータこと蓮くんは、あっという間に17歳になってきました。それこそが彼の強さや成長を物語っていたわけですが、さて一体ドクター・ストレンジは何年修行して上り詰めたんでしょう?最初にアベンジャーズタワーがあったって事は修行はだいたい4年ぐらいって所ですかね…?

それと、何より「アガモットの瞳」(インフィニティストーンそのものです)に触れたり、時間操作を試みるのがまだソーサラースプリーム(至高の魔術師)にもなっていない未熟なドクター・ストレンジのいっかいこっきりというのが非常にもったいないです。どうせならカエシリウスが自爆して、扱うのに大変危険な力ぐらいやってもよかったように思うのです。上に書いたように、インフィニティ・ストーンの争奪戦やその力の行使で本当に生きるか死ぬかをやった『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の後だとインフィニティストーン自体の扱い方が弱かったかもしれません。

 

いろいろ書きはしましたが、映像美は最高ですし何よりMCUの新たなヒーローであるドクター・ストレンジの誕生を見逃す理由はありません。いいか!もう一度言うぞ!

ドクター・ストレンジをIMAX 3Dで観ろ!
字幕は黄色いし3D深度や位置も調整されてるのか凄い読みやすかったぞ!

Grand Theft Auto 5 キャンペーンモードレビュー:その世界そのものに価値は無かった。

グランド・セフト・オートオープンワールドゲームで世界一売れているゲームなのは、まず間違いがないだろう。が、肝心のゲーム内容といえばどうだろうか?数々のフォロワーが生まれ、そして代を重ねて行く中で「グランド・セフト・オート」は何か尖れただろうか?

2016年12月、ついにGTX1080を手に入れた私はPC版を入手して一気にシングルプレイヤーをクリアした。大晦日も2017年の元日も全て費やして、私が得たのは。

「もうこの作品を遊ばなくていいのだ」という、安堵だった。

ロス・サントスという空っぽの街で。

GTA5の舞台はバカでかい島の南部の都市「ロス・サントス」と北側の田舎「ブレイン郡」に分かれている。まあ、広い。広いし、街のコピペ感みたいなものは全くない。確かに作り込まれているし、何処を撮っても画になる街だと思う。高速道路を5分走れば街の景色がガラっと変わるし、眺めるだけなら飽きないだろう。眺めることが好きで好きでしょうがないなら、だが。

だがこのサン・アンドレアスの地はゲームの舞台であり、プレイヤーが暴れ倒すステージである。眺めるだけで面白いというのならGoogleストリートビューで良いはずだ。プレイヤーがキャラクターを操作して、そして行動の結果を受け取る。ゲームとは双方向性の娯楽なのだから。

長々と書くのはやめよう。
ロス・サントスには何も無かった。空っぽだった。

いや、確かに武器屋はある。服屋もある。多数のミニゲームを起動出来る場所がある。パクってきた車をしまっておくガレージもある。カネを費やせば店や施設が買える。だから何だというのだ。

プレイヤーは施設の破壊だとか地域の制圧だとか支配だとか、そういう形で遊ぶことはない。フリーラン中に出来ることと言えば警察に喧嘩を売って一人で籠城事件を起こすだとか、特段ドラマチックな事が起こるわけでもないカーチェイスをやるだとか、それこそドライブをするぐらいだ。その警察に喧嘩を売るのだって特別面白いわけじゃないし、何よりゲームからの報酬はない。

例えば『サン・アンドレアス』はどうだったか。あのゲームは正に縄張り争いの作品だった。ミッションだけでなくそういう小競り合いの作品だった。『ゴッドファーザー』はどうだろう。同じように縄張り争いのゲームだ。こっちの場合は更に面白くて、フリーランで自分の組のものじゃない店をひとつひとつ潰して自分たちのものにしていくのがゲームの軸の一つだった。『ジャストコーズ』はカオスを巻き起こす事が目的のゲームだからというのもあるが、小さな村から巨大な軍事施設まで片っ端から潰していくのがミッションの発生条件ですらあるのだから、そのオープンワールドとの戦いそのもののゲームだった。

同じクルマのゲームなら『ニード・フォー・スピード モスト・ウォンテッド』はどうだったかというともう10年以上前のゲームだと言うのに未だに「カーチェイス」を主軸にしたゲームで右に出る者がいない。レースや勝つために車を買ってカスタマイズし、そしてビッグになるために警察から逃げ回る。警察から逃げると「バウンティ」という名声が高まるので、警察との戦いにゲームから価値を持たされているわけだ。

その警察とのカーチェイスが絶品で、タイヤをパンクさせる「スパイクベルト」を始めとした様々な妨害要素と追いかけてくる警察車両の数がえげつない。そしてその警察を巻く為に街中にある「パースートブレイカー」というオブジェクトの存在が大きい。これは例えば「巨大な看板の柱を破壊して路上に転がす」だとか、「ガソリンスタンドを超格好良く通過して大爆発を起こす」だとか、ドラマチックな演出とゲーム内の実益を兼ねた要素だった。そうしている内に自分の中に「逃走ルート」みたいなものが出来てくる。あの角を曲がれば大爆発。走り込めば走り込むほど街を使い倒せるようになっていく。

GTA5には、そういうものはない。ランダムイベントぐらいしか街を走る意味すら無い。全て「ミッションを始める」か「ミニゲームを始める」ために、タクシーに乗っていれば良いのだ。

 

作中でトレバーが言ったとおり、ロス・サントスはハッタリの街だ。

 

行動に応じてキャラが成長する?だから何だというのだ。それが目に見えて性能が変わって、ミッションの難度に影響してくるというのか。車のカスタマイズが出来る?確かに一部ミッションで自分の車両を使うことはあるが、ちょっと早くなったからって何だというのだろう。オープンワールドの常だが、車両はダメージが蓄積していくし、だから使い捨てていくものだ。更に今作では「逃走車両の確保」が一部ミッションに組み込まれていることが必然的に盗んだ車を使うことになる。車を弄ったからってどうなるわけでもない。

確かに衣装は買える。だがこの衣装もキャラクターをスイッチする事で勝手に着替えてしまうし、ミッションの中で変装するなど「アバター要素」としては失敗している。各種施設のミニゲームでキャラが成長することもあるが成長が特にゲームに影響を及ぼすかと言われたら前述のとおりだ。

となると街で重要なものと言えばもう一つぐらいしか残っていない。武器屋だ。武器屋ではザコ敵から拾えない爆発物…特に重要なロケットランチャーやグレネードランチャーの弾を買うことが出来るし、防弾チョッキを買う事ができる。またスナイパーライフルに高倍率のスコープを、その他の重要な銃に拡張マガジンとライトとサプレッサーが付けられる。これだけは流石に代替が効かないしミッションの行方を左右する。ミッションで戦闘が生じた場合は補給していきたいし小まめに通うことになるだろう。

確かに妙な収集物はある。あるがそれはトロフィーや実績解除に躍起になっている人でもない限り、関係のないものだ。

プレイ時間の8割プレイヤー介在の必要なし

GTA5のプレイ時間の8割は「待つ事」と「話を聞くためにハンドルを握ること」に費やされる。このゲームで一般的な流れを整理してみよう。

  • ゲーム開始、もしくはミッションクリア直後
    次のミッション開始地点が表示される。特定のキャラクターでないとミッションが始まらない事があるのでキャラクターを変更。キャラクターを変更時に大きく場所が変わってしまうため改めてミッション開始地点を確認。タクシーを呼ぶか車で移動するか決める。
    タクシーを呼ぶ場合はスマホを操作して、30秒ほどタクシーが来るのを待つ。バグか何か分からないが来ない時があるので観念して数分間のドライブを経てミッション開始地点へ到着。
  • ミッション前のイベントデモ。やはり数分間見る。
  • イベントデモ終了。ミッションの目的地へ向かう。
    これが1キロ2キロ離れているだけなら良いが5キロとか10キロとか平気で遠くの場所を指示することがたまにある。タクシーを呼べるならいいが、無線もしくは同乗者の話を聞くために数分間のドライブを強制される場合は諦めてドライブする。
  • ミッションの目的地に到着。
    大体、人殺し(アクション)かカーチェイス。カーチェイスの場合無線もしくはイベントの起きる場所まで移動するために殺して終わりにすることが出来ないので、事実上ただのドライブである。いやまあ置いて行かれたら失敗でまたドライブやり直しだけど。尾行任務の場合もっと悲惨で時間費やして待ったり、ちんたらちんたら安全運転して終わり。
  • 一段落後にまた移動。
    「同乗者を家へ送っていく」とか「盗んだ車を届ける」とか「盗んだブツを運ぶ」とかまあ理由はいろいろあるけど、つまりやることはドライブ。長いやつだと5分とか。

こんな感じだ。あぁークソったれ!!!!ファック!!!ふざけるな!!!俺は銃をぶっ放しに来たのかボイスドラマのついでに退屈なハンドル操作とペダル操作をさせられに来たのかどっちなんだ!!ええ!?定価60ドルのゲームでこれはどうなんだ!ファック!!!!!!

思わずトレバー化するぐらい酷い。一昔前のゲームが「ムービーゲー」ならGTA5は「ドライブゲー」といっても良いだろう。カーチェイスゲーじゃない。「ドライブゲー」だ。タクシーを呼んで待たなきゃいけないファストトラベルの仕様そのものにもうんざりするが、ストーリーテリングカットシーンと移動時のボイスドラマにほぼ任せてしまったのは悪手としか言い様がないと思う。

カットシーンもボイスドラマも、どちらも時間の主導権がゲーム側にあるのが問題なのだ。並べられた台詞を読む(ダイアログ)ならばプレイヤーに一気に情報を流し込むことが出来るし、ボイスメモを聞く(内容が書き起こしてあるならモアベター)のもプレイヤーが選ぶことが出来る。スマホのメールやWebブラウズで世界観をもっと叩き込んでも良かっただろう。だがカットシーンは会話の上なによりキャラクターが演技するから見ていることしか出来ないし、ボイスドラマもフルボイスで聞かされてそれを飛ばすことも出来ない。言い方は悪いがオートモードを強制されたエロゲみたいなもんだ。その尺に合わせてドライブの時間が設定される。操作しなくていいだけエロゲのほうがマシだ。もちろん目的地が設定されているので、到着が若干遅れた場合はダーク♂尺余りが発生するし、逆に到着が早まった場合は全て聞く前に別のイベントが発生する。ファック!!!あとこれは字幕なのが悪いが運転中に画面の下端見てられるか!!ファック!!!!!!!!!

GTA4からGTA5の間に様々なゲームが生まれ、そのゲーム達は様々な方法で世界と物語を語った。それと比べるとGTA5の「語り方」は、あまりに拙く、そして押し付けがましいものだったと言わざるを得ないだろう。

 それでも駆け抜ける3人のギラギラした男達は素晴らしかった。

さて、語り方の話はもういい。語られた内容の話をしよう。

GTA5には3人の主人公がいる。日々ビッグになりてえなあと思いながら車泥棒を続けるフランクリン。9年前に銀行強盗に失敗しFIB(言わずもがなFBIのパロディだ)の非公式の証人保護プログラムの元でぬくぬくと生きる中年男性マイケル。キチガイと一言で切って捨てるにはあまりにも純粋で、可愛く、そして輝こうとする男トレバー。

ミッション内外で3人を切り替えていく試みは、ハッキリ言って成功している。燻っているフランクリンの物語が元犯罪者のマイケルに接続し、マイケルの現在の燻りとフランクリンの燻りが重なって宝石店の強盗へと繋がっていく。マイケルもマイケルで腹回りが弛んでいる割には娘や息子の非行や危機、そして嫁さんの浮気には全力で動くアグレッシブクズ親父なのが遊んでいて最高に面白い。

そしてその宝石店の報道が砂漠で暮らすトレバーに届いた瞬間、物語は一気に加速する。ヤク中のバイカー(しかも4のDLCの主人公!!!)から彼女を寝取りながらの登場という前代未聞の顔見せとなった男は、現在の身の回りのイザコザを全て爆破し燃やし尽くしてからロス・サントスへと向かう。トレバーも変なスイッチさえ入らなければ―後々、幼少時の事が原因で精神障害になった事が分かるのだが―いいやつなのだが、何にせよトレバーはトレバーだからしょうがない。儲けられそうな事があれば構わず頭を突っ込むし、周りのことなんて知ったこっちゃない。電子戦担当のレスターと合流し、新生泥棒チームはロス・サントスを股にかけて暴れまわ……るわけではなかった。

 

ここからがGTA5の最大の問題、というか好みのばっつり分かれる所だ。家族の出来たマイケルは9年前にFIBのデイブと取引をし、トレバーを殺そうとした。その弱みを握られた為に、主人公たちはゲームの終了時点までずっとFIBのスティーブという男の言うことを聞き続けなければならなくなるのだ。

FIBのスティーブ、その友人で資産家のデビン、2人から請け負う仕事は危険な割に実入りがない。この記事の前半で書いたとおり、このゲームで実用的なカネの使いみちなんてのは武器しか無い。だが本当にストーリー上でも報酬が無いとなると、いよいよそこに残るのは徒労感だ。

仕事はうまく行かなくても、少しずつ第二の人生の為に家族とまとまって行くマイケル。始まりは誘拐とは言え、パトリシアと懇ろになれそうだったトレバー。元交際相手の頼みとあらば昔からのダチは絶対に助けるフランクリン。それぞれの物語が一歩ずつ一歩ずつ進む割に好転しない情勢は、最後の大強盗ミッションである連邦金塊保管庫襲撃を経ても変わることがなかった。

このずっしりとした徒労感と閉塞感を抱えたまま、物語は最終局面を迎える。デビンと敵対したマイケルを殺すか、危険人物であるトレバーを殺すか、事態は選択をフランクリンに迫る。

ここに至るまでの3人の切り替えの度に、「何かをしている最中」の彼らをプレイヤー達は見てきている。渋滞で並んだり、娘を送り迎えしたり、ゲロを吐いたり、人肉を食らったり、人を追いかけ回したり、テレビを見たり、バイクを磨いたり、オナニーしたり、警察に追われたり、ミッション外での彼らの人生を垣間見てきている。そんな主人公たちを、プレイヤーは殺せるだろうか?

「戦いたいから戦い、潰したいから潰す」……俺たちに大義名分など無いのさと暴れまわってきたプレイヤーに、GTA5は「それなら主人公を殺せるか?」と突きつけてくるのだ。私が迷わず選んだのは第三の選択。「死を覚悟する」即ち、因縁のある奴らとの全面対決だ。詳細は省くが、見事に主人公たちは厄介者達を全滅させることに成功する。夕日を映しながら、スタッフロールが始まる。

GTA5はミッション内アクションのバリエーションや、キャラクターのフレーバーに相当助けられたゲームと言ってまず間違いないだろう。だがそのフレーバーが、魅せ方が2010年代前半のゲームの中で異様なほどにギラギラと輝いている。退屈な「語り方」を耐え抜いてでも、見るべき物語がそこにあった。

GTA5。

正に良くも悪くも、2010年代前半のゲームの集大成とでも言うべきゲームであった。

 

余談。もしくは本題。GTAOについて。

さて、GTA5のオンラインである。何が凄いってこのモード、クランで盛大なごっこ遊びをするためのゲーム側のサポートが素晴らしい。役職を割り振って施設でいろいろ出来るし、物を飾ることだって出来るし様々な仕事ができる。そしてその仕事の妨害も出来れば何も考えずに車をカスタマイズしてレースに明け暮れたり、はたまたパーティーゲームよろしくミニゲームに講じる事も可能だ。

金策周りがパッと見で腐っている事を除けば、1本買っておけばとりあえずネットワークを用いたダラダラとした遊びをたくさん出来る。これは間違いなくオンリーワンの魅力だ。一年おきにCoDのように買い換える必要も無いし、迷走を続けるNFSを待つ必要もない。バイクに乗ってああのこうのする作品もパッとしない今、地味にバイクゲーとしての魅力もある。流石2年も3年もアップデートを続けるコンテンツだけあるといえるだろう。

 

GTA5はGTAOのチュートリアルだったのかもしれないなと思うことがある。が、チュートリアルだろうがなんだろうが、フランクリンとマイケルとトレバーの物語は惜しいことに空虚ですっからかんのサンアンドレアスで一先ずの幕を下ろすことになった。そしてRockstarはこれからもGTAOに注力していくことを様々なメディアで明らかにしている。GTAのナンバリング新作は当分拝めそうにない。

次のGTAは、街が退屈じゃないことを祈るばかりだ。

 

 

 

Grand Theft Auto V(日本語版)  [オンラインコード]

Grand Theft Auto V(日本語版) [オンラインコード]

 

 

2016年読んだレズ漫画列挙祭りはっじまっるよー!!

前置きは要らない。

 

終電にはかえします (ひらり、コミックス)

終電にはかえします (ひらり、コミックス)

 

 『甘々と稲妻』がアニメ化した雨隠ギドの単行本。
表題作『終電にはかえします』はその一本前の作品から続く不良と勘違いされがちの長身イケメン後輩と主人公の話。高校卒業後のデートで「もうずっと私女子高生でいい。ツネ(後輩)といっしょにいる」って二人してわんわん泣く所がもうほんと好き。服が何故かおそろいになる幽霊少女と一緒に育ち、少しのすれ違いの後に泣きながら二人でウェディングドレスになるシーンが印象的な『永遠に少女』も絶品です。頼む~~~こういう単行本もう一冊出してくれ~~~

 

星をふたりで (ひらり、コミックス)

星をふたりで (ひらり、コミックス)

 

 若干、各々が拗らせレズを炸裂させがちな短編集。
お気に入りは彼氏の出来た幼馴染との「友達」の距離から喧嘩しながら一歩踏み出す『あなたと彩る世界の色』ですね。女の子達が手を繋いで歩きだしたらそれだけで無敵なんですよ。ところどころで拗らせた挙句に罵倒するシーンがあるので苦手な人は注意。

 

 

この世にただひとり (ひらり、コミックス)

この世にただひとり (ひらり、コミックス)

 

 「少女漫画」と「レディコミ」で分けるなら後者の短編集。
何かしらのドラマチックなやりとりをして感情がウワーっと盛り上がるような恋愛漫画……ではなく、とつとつとした会話の中でチリっとした火花が胸に散るような作風。連作『少女アソート』の女執事さんとお嬢様のかけあいが甘すぎずよろしい具合です。割とエモさに振り切ってるので苦手な人は苦手かもしれない。

 

 

レンアイマンガ 新装版 (百合姫コミックス)

レンアイマンガ 新装版 (百合姫コミックス)

 

 子供時代に感銘を受けた漫画家の編集に抜擢されて喜んだのも束の間、その漫画家は年中パーカーでダサ眼鏡の引きこもりで。という話。新装版で追記された所でようやくカップルになるけれども、恐らく本来の部分だと「この関係は百合だ!本人たちが思ってなくても!」というシチュエーションだけ楽しまれていたであろう作品。ヒロインの黒井先生がドツボです。「作家が一人の読者の手紙に支えられた」系のお話が好きな人も是非。ちゅっちゅしません。しなかった(激怒)

 

誰にも言えない (楽園コミックス)
 

 しんどい恋愛の話描かせたらあんまり比肩する人の居ないシギサワカヤの短編集。前半は死ぬほど生き方が不器用な姉と、惚れた弱みだししょうがねえやっていう妹の各々の恋愛の話(絶品)で、後半が社会人百合の『Ending』という作品で構成されている。
『Ending』の「パートナーの両親が訪ねてくるもパートナーに直前にバックレられてしまい、面と向かって付き合っている事も何も言えず嘘を重ねていく主人公」のシーンがシギサワカヤ作品の中でもトップレベルのしんどさです。私達何を間違えたんだろうね。ラストページのモノローグで大泣きしました。是非。

 

 

 

妹ができました。 (ウィングス・コミックス)

妹ができました。 (ウィングス・コミックス)

 

表題作よりも連作の『私の好きなあの子の事』 が酷く刺さった作品。関係が変わっていくのは怖いけれども、嘘をついてそのままでいたり嘘で失うことのほうがもっと怖いよね。『たゆみなくいきよ』でもそうだけど、一回すれ違った後に大泣きしながら互いの心情を吐露されると僕の心の柔らかい所に強烈に刺さるからやめろ。やめないで。一個前の『誰にも言えない』もそうだけど、同性愛に対する他人の目が二人でいられない理由になり得るって作品のギミックとしてならまだ良いけど、現実でもこれに苦しむ人が居ることを考えると世の在り方にちょっと憂鬱になります。故郷である札幌が一歩踏み出すようでなにより。

 

 

 Pixivで16ページで終わらせときゃいいのに。みたいな作品。

 

 

明日の君に花束を (百合姫コミックス)

明日の君に花束を (百合姫コミックス)

 

 ちょっと萎びてきた人妻に思いのたけをぶつけてきたのは、なんと幼少時からよく知ってる娘の友だちだった。という「人妻×女子高生」百合。お母さんサイドの内心ぐつぐつ煮えている心を隠そうとしても、高鳴る胸を抑えきれない所が私に新たな地平を開きました。しかも幸か不幸かその娘もレズだったのですというオチまであって救いはないんですか!?是非。

 

ゆりゆり (百合姫コミックス)

ゆりゆり (百合姫コミックス)

 

 なもり先生さァ…

俺さァ…

あんたちょっと恐ろしいくらげか何かだと思ってたんだよ…

 

あんたさァ…

恐ろしくいいレズ叩き付けてたんじゃねえか…

 

ありがとう…

ありがとうなもり先生…

 

ほんとのかのじょ (ひらり、コミックス)

ほんとのかのじょ (ひらり、コミックス)

 

 犬系ドM少女×茶髪ロングドS少女の全力おバカコメディ。と見せかけて「相手がどうしたら喜ぶんだろう」に直球を叩き込んできたり二人なら無敵状態になったりシメに真っ当な愛の話をする傑作。あーッ!いけませんッ!茶髪ロングドSツンデレが今や珍しいぐらいにストレートにデレるシーンなんていけませんッ!ありがちな「それっぽい雰囲気にするだけしてくっつかずに終了」なんてこともせずにラストページは幸せなキスをして終了ッ!読後思わず叫びたくなる一冊に間違い無し。

 

citrus: 1 (百合姫コミックス)

citrus: 1 (百合姫コミックス)

 

 恋する乙女は絶対無敵なんだけど相手がよりによって全然デレてくれない義理の妹なんだよなあって話。モロに長期連載の弊害が出てるというか、いらんところでハードルを置いてきてそれを若干雑に超えるのを何度もやられるとちょっと辛い。4巻のラスト「キスのおかわり」まで読んでもいいし読まなくても良い。これアニメにするってどうなってしまうんだ……早く修学旅行の話しろ……そこからアニメにしろ……どうなってもしらんぞ‥…

 

2017年も良き百合に出会えますように。

ラブライブ!サンシャイン!!最終回。僕はその輝きにYesと答えることにした。

さて、早くも3ヶ月が過ぎてしまいました。
僕が記事を書けなかったのには理由があります。それは「僕が何故ラブライブ!サンシャイン!!を肯定できたのか」と「何故ラブライブ!サンシャイン!!の最終話に対して人々が憤ったのか」を自分の言葉でうまく語ることが出来なかったからでした。
今なら、自分の言葉で書ける気がします。

というわけで、前作「ラブライブ!」との比較や伝説となったμ'sの描き方も含めて、ラブライブ!サンシャイン!!の話をしていこうと思います。

 


まず、『ラブライブ!』の話をしましょう。

ラブライブ!』で高坂穂乃果は廃校阻止の為に学校の知名度を上げる。つまり広報の一環としてスクールアイドル活動を始めました。良き理解者である幼馴染の南ことり園田海未と共にファーストライブを行い、やがて彼女達は学校所属のスクールアイドルとして対外的なライブをするに至ったのです。が、穂乃果自身が体調を崩した上にライブを強行したことにより大会への出場の道が潰え、廃校が撤回された事や南ことりの留学の事もありスクールアイドル活動はストップしてしまいます。

 

ラブライブ!』の凄いところは、ここで矢澤にこに全力でキレさせた点にあります。幾度となく作中で流れる「スタートダッシュ」と、そのステージを繰り返し観ている彼女達という図は、「互いにとって互いが憧れ=アイドルである」という事を強く印象付けるものでした。そこに「あんたが本気でアイドルをやるって思ったからμ'sに入った。賭けようと思った」が爆発するわけです。神アニメかよ。(語彙力)

 

そして最終回。高坂穂乃果は「私好きなの、歌うのが」を貫き通し、更に「お前の青春を俺にくれ」とまで空港でやってのけるわけです。かくしてμ'sは未だ具体的には語らずとも、新しい夢に向かって踏み出すという区切りをつけて一先ずの幕を下ろしたのでした。

 

ラブライブ!サンシャイン!!』はどうだったでしょうか。

 

先に結論から言ってしまえば、Aqoursは一区切りを付けることが出来ませんでした。始まるぞ、始まるぞ!始まるぞ!!という加速は毎回あったし、その熱にあてられて毎週私はブログ記事を書いていたわけです。が、Aqoursは「始まっ!!!!!!」とでも形容すべき突然の終わりを迎えたのです。

確かに一度東京で痛い目にこそあいましたが、それは「自分達は期待されなかった」という、μ'sであればファーストライブの時に味わっていた話であります。しかもそれは9人になってからの話ではなく、本当に道半ばの話。高坂穂乃果の立志伝として良く出来ていた『ラブライブ!』と違い、『ラブライブ!サンシャイン!!』は単体で完結する事ができなかった。それはまるで、卒業式後の電話で終わる事のできなかったラブライブ!2期を彷彿とさせるものでもありました。ラブライブ!ありきでありながら1期のように見事に終わることが出来なかったのは、確かに不評とされても仕方のないことだったと言えます。

 

次に、最終回自体の話をしましょう。

 

実は、私は最終回がそんなに悪いものだとは思っていません。

後から加わろうとした全校生徒に対していいよいいよやろうやろうでなあなあの進め方をした高海千歌にたいして桜内梨子が言い出せなかったのも、何より「自分のピアノを続けてきた事に答えを出す」というわがまま=やりたいことを達成した上で戻ってきた事を考えれば仕方のないことです。(が、梨子が言い出せないならダイヤあたりがその辺りの話やるだろうよってなるのが全校応援の形をスマートに作れなかった制作陣の落ち度ですね。3話といいほんと話の運び方下手くそかよ。)

 ミュージカルパートは確かに退屈だったりむず痒くなる所なのですが、ここで発起人の高海千歌がどういう少女だったか思い出してみれば「余計」や「茶番」の一言で済ます内容ではないと思うのです。千歌が梨子にスクールアイドルを始めてもらうときに、ただただ勧誘するだけでなく何をしたか覚えているでしょうか。彼女はまず、知ってもらうことから始めました。自分のこと、スクールアイドルのこと、μ'sのこと、どんな歌があって、その歌にどれほど感銘を受けたのか生き生きと語りました。

それを踏まえてのミュージカル。彼女達は浦の星やAqoursのため、自分たちの0を1に変えるため、内浦の事から各メンバーの加入や味わった挫折そして今この瞬間に至るまでを赤裸々に語ったのです。その様が果たして茶番だったでしょうか?私にはそうは思えませんでした。

権威化していくラブライブ!(大会名)、そのステージで「皆、一緒に輝こう!」と叫び、会場を青い光の海にしたAqours。確かに大人の決めたルールの上では近づいて応援は禁止だったんでしょうが、そんなもん輝きの前では無力です。(断言)例え浦の星総厄介化と言われようが、皆走り出さずには居られなかったという光景は胸を熱くするものがありました。
いっそ全員出禁になるぐらいがちょうど良かったと思います。(極論)

 μ'sのように輝きたかった。
君と一緒に何かがしてみたかった。
進めない自分から変わりたかった。
中学の頃からずっとスクールアイドルが好きだった。
自分には無理だと思っていた。
ずっと探していた普通の現実(リアル)が欲しかった。
2年前に置いてきたものを取り戻したかった。

わからないままで何とかなるさと始めた彼女たちが、やっとあの時手に入れたのです。次へ進むための「ミライチケット」を。

正直なことを言ってしまうと、ラブライブ!1期の「何のライブでどうやって全校生徒どころか親まで呼んでるのかさっぱりわからん」という最終回ライブ。2期のレズスパルタン雪中行軍からの画面外A-RISE撃破と謎のアンコール(大会にも関わらずです)に比べれば、幾分かマシなんじゃないだろうかとすら考えている自分がいるのは事実です。

 

惜しむらくは廃校問題が解決していないこと、そしてたかが広報でどうにかなる問題でも到底無いだろうという二番煎じにも関わらずより無理な方向に走っていることや、説明会の人数が0→1となるところにドラマが無かった事です。特に0から1に増えるというのは、『ラブライブ!』1期2話で西木野真姫が作ったデモバージョンのスタートダッシュが流れる中で票が入り、高坂穂乃果が少し泣きそうな顔でふっと微笑んだあと西木野真姫が空を見上げるという場外ホームラン級の演出をかましているだけに残念でありました。

μ'sの廃校回避は音ノ木坂そのものが(恐らく)山手線の内側にあるという好立地の上、もともと音楽学校であり入学後にどういう学生生活を送れるのかが明白であったからこそであり、Aqoursはその伝説に縋っているに過ぎないと言えてしまう現状を2期以降どうしていくのかが気になります。『終わるってことを今はまだ言わないでいて』と歌のように、彼女達は駆けていくのでしょうかね。

 

ともあれ、ラブライブ!サンシャイン!!は一先ずの終わりを迎え、そして本格的な始まりの中にいます。一抹の不安と新たなわくわくを抱えながら、私も彼女達の言う「輝き」を信じてみようと思うのです。だって彼女達は、最後にこう問いかけたのですから。

 

 

 

 

君のこころは輝いてるかい?」と。

久しぶりに機動戦士ガンダム0083見たんだけどニナ・パープルトン言うほど悪い女じゃなくね?

amazon機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORYを約15年振りに一気見しました。スーパーロボット大戦αで知ったデンドロビウムノイエ・ジール観たさに兄弟でDVDを借りてきたのが中学生の頃でしたから、本当にそれ以来の事になります。

 

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さて、本編の面白さは最早語るまいでございますが、今日書きたかったのは悪女扱いされるニナ・パープルトン嬢の話です。御年21歳。

 

まずガンダム強奪。もうこの時点でかわいそう。
彼女にとっては大事な自分の担当ガンダムであり、重力下の試験の為にわざわざアルビオンくんだりまで出向してきて、テストをするだけだったはずが核弾頭を搭載した上で持ち去られるわけですから顔面真っ青です。そりゃあ「私のガンダムが」の一言ぐらい言いますって。

さて、一気に時計の針をソロモンの観艦式襲撃まで進めましょう。結局、試作2号機の核攻撃を止めることは叶いませんでした。しかもその上で、試作1号機と試作2号機を失うことになります。「どうしてこんなことに」と打ちひしがれる彼女は、コウと傷を舐め合うような関係になるわけです。忘れたいのよこの悪寒を。キャッキャウフフ。

ここの「戦いが身に染み付いてしまって忘れたくても忘れられない。そうなってしまうのが怖い」というのは戦いの中で立派な連邦の士官となっていくコウや、ジオンの理想……というか理想の旗のもと過激なテロリズムに走り自らの元を去っていったガトーを知っているからの言葉でしょう。もうこれ相当かわいそうですよニナさん。

更に続く試作3号機受取(強奪)では同僚のルセットにまで死なれます。しかも殺したのはガンダム開発計画をアナハイムに発注した連邦の人間なんだから限界です。ニナ限界プルトンです。そのニナがちゃんと次に出てくるのはというと、最大の争点となっているコロニー内最終軌道修正の場面です。あら、案外出番少ない。

 

ハゲが死にました。精一杯生きようとしてるシーマ様、獅子身中の虫と言われようが彼女が一番のヒロインであることは疑いようもありません。どこへ引くって言うんだい。デラーズを手土産に連邦側に寝返るシーマ様の事情など知ったことじゃなく、爆導索で無双する試作3号機。「お前は一体どっちの味方だ」ってのはごもっともで、「長い砲身にはこういう使い方もあるんだ」(スパロボオリジナル台詞)(私あんまりこれ好きじゃない)とばかりにメガビーム砲の先端が彼女の墓場になってしまいました。この時点でコウは試作3号機を強奪どうこうよりそうとうまずいことをしている気がするんですがいいんでしょうか?

話が逸れました。逸れましたがコロニーの軌道は逸れません。「コロニーは間違いなく地球に落ちる」 この時点で正に勝敗は決しています。子犬系オタク男子だった今カレはアナハイムガンダムビグザムで大暴れするバーサーカーとなり、元カレはもう良いだろって言っても「済んではいないッ!!!」「君には分からんのだッ!!!!」と聞く耳持たず。しかもこの期に及んで「俺のことは忘れてほしかったんだよね。俺はジオンの再興に身を託したからさ。君こそが星の屑の真の目撃者かも知れないなあ」などと激エモな事を言い出すんだからたまったもんじゃありません。「もういい加減にしろ!!」と彼女が叫ぶのも当然のように思えます。

大局が決した上での戦いが「もはや私闘だった」と言うのは、クロスボーンガンダム鋼鉄の七人でも語られていたとおり。ニナが「やめて」と言っていたのは裏切りというよりは、この二人の私闘そのものを止める事にあったように思えます。しかもこの時のコウは「俺への気持ちは!!!」だの子犬バーサーカー度全開です。「ガンダム2号機を!!!!」に対して「そういう事じゃないのよ」なんて、御尤もじゃありませんか。

このネタについてツイートしていた所、性別を反転したらもっとニナの行動が腑に落ちるとの指摘がありました。かつて恋仲にあり、彼氏の為を想って突然姿を消したテロ屋の元カノと軍属の子犬系オタク女子今カノがイケメンメカニックの目の前で殺し合おうとする。あっ、止めるわ。これは止めるわ。核がどうとかじゃないわ。

 

さて、この後のニナはと言うと、ガトーとロクに話すこともなく腹パンで気絶させられ流れ流れてジオンの艦へ。今カレはあんまりの報われ無さにビームライフルを乱射してフェードアウトし、元カレはアクシズ先遣艦隊に回収されること無く連邦の艦に体当りして散る事となりました。

 

時は流れて北米オークリー基地での再会となるわけですが、恐らくここがニナを悪女たらしめる事となる原因だと私は思いました。ニナは戸惑うべきでした。いや、コウが駆け寄り抱きしめるまで、微笑んではいけなかったはずです。私闘に狂った末にMSでなく自らの手で、戦局を決する場面でなく感情で人を殺しては後でじくじくと膿む心の傷を作ってしまう。それを止めたニナを理解し許すという描写も何もなく、コウはただニナを見つけて呆然としているだけです。ここで戸惑った後にすぐ微笑んでしまったからこそ、人々から四半世紀に渡り「キースはゲルググでその女踏めよ!!」と言われる事になってしまったのでしょう。ああ、かわいそうなニナさん。でもやっぱりキースはゲルググでその女踏んだほうが良いと思います。

 

次に見た08MS小隊に出てくるアイナの方がよっぽど悪女なんじゃねえかなとか想ったりしたわけですが、これはまた別の記事があったら書こうと思います。

amazonプライム、年間3900円なのにガンダム見放題なので入ったほうが良いと思います。届くの速いし。

 

 

 

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