ラブライブ!サンシャイン!!8話。そして始まる物語について。

アイドル。
偶像。
注目される人。
憧れの対象。
例え「他人からどう思われるかじゃない」と言えど、「他人からどうとも思われない」のでは、あまりにも報われない。

それが「スクールアイドル」が「アイドル」たる所以である。興行によって利益を生むだとか、それを生業とするだとかではない。ステージに立つ以上、観客が見てくれなければ、注目されなければ、心に残らねば、報われないのだ。

ラブライブ!サンシャイン!!(以下ラッシャイ)8話は、「スクールアイドル」が「アイドル」であるが故に、少女たちが「現実」と対峙する話であった。

でもSaint SnowはA-RISEより全然オーラ無かったしあれで「圧倒」みたいなこと言われても無理だと思います。酒井くんコンテもっと頑張って。(冷静)


そして夢が終わる。


周知さえすれば。人目さえ引ければ。キャラで目立てば。地味&地味&地味でもどうにかなるんじゃなかったのか。「東京」は、どうしようもなくAqoursの彼女達だけをステージに引きずり出した。生まれ育った故郷の住民ではなく「自分達を見に来たわけではない観客」の前では、彼女たちは「30組出てくるスクールアイドル」の1つでしかなかったのだ。


一年生が入ってくれれば、廃校なんて話でしか聞いてなかった状況が舞い込んできたのなら、ネットで動画が好評ならば、これだけ話がうまく転がったのなら「ラブライブ!優勝もあり得るのではないか」……高海千歌は、事あるごとにそう口にしてきた。スマホの画面の中で踊るμ's達は手が届きそうなほど地続きの存在で、だから手が届くんじゃないかと思っていた。


その結果が、得票0である。


しかもただの得票0ではない。彼女達にも手応えがあったのだ。一番ミスが少なく、のびのびと最高のパフォーマンスを出来たという手応えが。手応えがあったからこそ、尚の事自分たちに言い訳が立たなくなってしまった。一番先に泣いたのは、昔からスクールアイドルがやりたかった女の子、黒澤ルビィだった。うまく行かなかったのではないのだ。うまく出来ても、誰も選んでくれなかったのだ。


「くやしくないの?」


そう問いかけたのは、誰よりも高海千歌を知っていた渡辺曜だ。幼馴染がずっとずっと燻っていて、ようやく見つけた「やりたいこと」に付き合う為にスクールアイドルを始めた子だ。曜は千歌の側で輝き続け、そして幼馴染が輝くためにスクールアイドルを始めている。今はどうあれ、きっかけは千歌のためだ。


これまた渡辺曜は水泳大会の経験者で、桜内梨子はピアノコンクールの出場経験のある娘というのも大きい。何かを真剣に取り組んできたということは、真剣に続けてきたからこその悔しさを知っている。人に知られず流した涙がある。その彼女達の前で、千歌がとったのは「でも、満足だよ。私は嬉しかった。みんなであそこに立てて」……今まで通り、「やってみること」そのものへの言葉だけだった。


「わあ、すごい、キラキラしてる」というのは、輝らされて輝くモノを見る側の言葉だ。スカイツリーでアイスを皆に振る舞う時に妙に明るく放つのがこれなのだが、下手をすれば悪趣味になりかねないギリギリの演出だなあと私は思った。


変わる思い。変われない世界。


かつて浦の星にもスクールアイドルがいた。しかし彼女達は「廃校を回避するため」にスクールアイドルを始めた子達であり、スクールアイドルのためにスクールアイドルを始めたわけではなかった。


「外の人に見てもらうとか、ラブライブに優勝して学校を救うとか、そんなのは絶対に無理なんだよ。」


彼女達の動機は、自らの外側にあった。外側を変えることにあった。結果、彼女たちには世界を変えることは出来なかった。「自分たちには変えられない」という思い出だけが胸に残った。


だが、マリィはどうだろう?あの中で一人だけ、学校を救うために動いたわけではなく、誰かの為に歩きはじめた子ではないだろうか?そして唯一、「まだステージで歌っちゃいないこと」をわかって、今も走り回っている子ではないだろうか?


「果南」と呼びかけ広げたマリィの両腕は、かつて自分を変えてくれたそれと同じだ。

変わったんだから、変われる。

変ったけど、変えられない。

変えられなさに誰が傷付く前に、スクールアイドルプロジェクトはやめるべきだ。2年という時間は、少女の心の傷をジクジクと膿ませるのには十分過ぎる時間だった。果南とマリィはすれ違う。世界は変えられる。君がそう教えてくれた。「宝物だったあの時」を取り戻す為に、必要なものはなんだろう。きっとそれは、遠い彼方にあるわけじゃなく、何処かに置いてきてしまったものに違いない。


わたし、やっぱり、くやしいんだよ。


現3年生達のスクールアイドルと、千歌の違いは何だろう。私は「何かの為のスクールアイドルか、そうでないか」だと思う。千歌は、変わりたかった。輝きたかった。廃校という状況の為じゃなく。誰かの為でもなく。自分がそうしたかったから。結果、どうだったろう。練習をして、衣装を作って、歌を作って、パフォーマンスは出来た。それでも、夢の東京で手に入れたのは「0」だった。


「とにかく、行動します。」


闇雲に、いたずらに、無邪気に、思いつきで、輝いた目で、彼女は走ってきた。意地の悪い言い方をすれば「スクールアイドルとして活動する事」そのものを千歌は面白がっていたふしがあった。「そう?面白くない?」で突き進んでしまう所があった。


「変わりたい」ばかりで、「どうしたい」のか、具体性のないまま千歌はここまできてしまった。ラッシャイ前半に漂っていた千歌のフワフワした印象は、まさにその通り演出されていたものだったのだ。そして千歌は、それと遂に対峙してしまった。


昔とは違うとか。
差がすごいあるとか。
周りのレベルが上がったとか。
数がどうだとか。
そんなの。
どうだっていい。


スクールアイドルがアイドルである以上、観客がいて、観客の心に残って、誰かにとっての輝きになってはじめてアイドルになれる。それが「0」だった。


「やっぱり、わたし、くやしいんだよ」


それはメタ的に見れば、アイドル物そのものの成熟や、ラブライブ!の名を冠しているが故の人気のある現状すら、全部吹き飛ばすような叫びだった。


「輝きたい。」

千歌は、梨子に始まりの日にそう言った。それは今も変わらない。だが、走り出してしまった今、言い出しっぺの彼女は、発起人だからこそ気丈に振る舞うしかなかった。責任だって感じていた。私が泣いたら皆が悲しむから、装うしかなかった。「笑顔にするのがスクールアイドル」という言葉は、彼女の呪いのようになってしまった。


「変わりたい。」

それは千歌だけじゃなく、皆同じだ。千歌の為にやっているのではない。自分がやりたいから一緒に来た、同じ夢を見た「仲間」だから。『泣いちゃえば、付き合うよほら』と、歌の通りに手を取ってくれた。


「私も知りたいの。それが出来るか。」

変わりたいと泣いた梨子に手を伸ばした千歌の手を、次は梨子が握る。笑顔にするのが、スクールアイドルだから。

『始めたいMy Story

『変えたいなMy Future』

Aqoursは、ここから始まる。わからないままで何とかなるさと始めて、面白そう!とジャンプして、さあおいで!と手を伸ばしてやっと0まで辿り着いた。ラブライブ!サンシャイン!!は8話かけて、ようやくここまで来ることが出来た。とは言え、そこにあったのは足踏みではなく、目標に向かって届こうとする全力疾走だった。

 

 

こうなると、1話のスカスカした感じが非常にもったいない。それとキャラ掘り下げにさして寄与しなかった7話もだ。こういう話を出来るのに、所々で詰めが甘いのもラブライブ!と言えばラブライブ!かもしれない。が、どうしても私は立ち上げから完璧だったμ'sの物語が8話で正式にスタートを切ったことを考えてしまう。現状だと1期のビシっとした筋の通り方と2期のシリアスになりきれないもわっとした感じが混在している。

とは言え、ここで「0を100にするのは無理かもしれない」という台詞や、「廃校の阻止」や「これからのスクールアイドル」の為に動いたμ'sとは違う「輝きたい」という目標が、Aqoursの物語を単なる続編やキャラ替えに留めていない。何より私はもっと見ていたいのだ。Aqours達がどんな風に輝いていくのか。

さしあたっては、果南にとっての『もう逃げないで進む時』がいつ来るのか。早いところ彼女をもう楽にしてあげて欲しい。確かに現3年のスクールアイドル計画は失敗して、傷ついて、涙を流したかもしれない。だけども、千歌達はいっぱい泣いて、手を繋いで、また屋上へかけ出した。絶対に同じ結末は辿らない。


傷つくかもしれない。泣くことだってあるだろう。時にはぶつかり合うことだって。だけど彼女達はこう歌ったから。きっと大丈夫。

『何が起こるか分からないのも楽しみさ!』

って。だから、きっとダイジョウブなんですよ。大好きがあれば。