くたばれQTE~ダイナマイト刑事は二度死ぬ~

あるゲームで、私はテロリスト掃討の為にパリの街を走り回っていた。
電車のホームに駆け込むと、物陰から目出し帽を被った男が襲い掛かってきた。
私はナイフをLBで構えようとして……構えられなかった。

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B?Bだって?
とっさにそのボタンを押す事の出来ぬまま、状況は進行していく。私の操作していたキャラは目出し帽の男にナイフで刺され、そのまま死んでしまった。

チェックポイントへ戻される。先ほどまでの緊迫感などまるでない。あの駅のホームへ駈け込めば、角から男が出てくることを知っているからだ。先ほどと全く同じタイミングで、男は襲い掛かってきた。次は間違えない。画面に表示されたのはAボタン。コントローラを見て、今度は間違えないように押す。間違えないために。またこの展開をやり直さないために。ゲームを先に進めるために。

あるゲームで、私は青いハリネズミだった。抜けるような青い空と真っ白な街を走って、思い切り飛び跳ねた。疾走感に酔いしれていたら、時が止まった。

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YYX。私は咄嗟にこのボタンを入力できなかった。私の操作するソニックはそれまでの勢いは何処へ行ったのか、空中で体勢を崩し、地面へ降り立った。そのままの放物線を描いていたら、今頃高い建物の上をぐるりと一周できていたはずなのに。

QTE
退屈なイベントシーンの間を持たせるために、それはそれは沢山のゲームに導入された。
例え激しいアクションの最中でも、そんなこと知った事かとボタン入力を要求された。

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導入された当初は、もっと簡単で、もっと気楽なものだった。警告だってばっちり出たし、何より失敗に重大なペナルティはつかなかった。

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何より、ボタンと行動が結びついていた。

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失敗したところで、キャラクターが盛大にずっこけて、そこで終わりだった。もう一度廊下を走らされることなんてなかった。ゲームはプレイヤーの手から取り上げられることなく、プレイヤーはそのままゲームを遊ぶことが出来た。ゲームは間違いなく、プレイヤーの為の物だった。

時代は変わった。

「映画的な表現」「迫力のアクション」を謳うゲーム達は、こぞってQTEを導入した。
これには、2000年前後のゲームへの批判があった事を無視できない。

  • 「ムービーが長すぎてプレイヤーがコントローラーを手放してしまった」
    というムービーゲーへの批判
  • 「折角の決着のシーンなのに、勝手にムービーで片づけてしまって味気ない」
    というプレイヤーからゲームを取り上げる事の批判
  • 「どの敵も同じように倒しているだけでは飽きる」
    というゲーム自体の単調さへの批判
  • 「イベントでは格好いいアクションをキメているのに実プレイでは何もできない」
    というゲームの自由度批判

それを打ち破ったのが、バイオハザード4QTEである。

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バイオハザード4QTEは瞬発力と一瞬の判断力を必要とし、誤ると即死するという大変ショッキングなものだった。落石、化け物、時には人間との死闘。全てはQTEによってなり立ち、それは絶大な支持を得た。人々は「緊張感のあるイベント」に酔いしれた。

そこまでは、良かった。

だが「うちの作品にもQTEを」と模倣した作品が出るにつれ、QTEの問題点が続々と明らかになる。

  • QTEを挟むとゆっくりイベントシーンに熱中することが出来ない。
  • QTEがある、という事で操作の必要が生じ、イベントを飛ばすことが出来ない。
  • QTEを入れる、という事は何か分岐させなければいけないので手間がかかる。
  • 失敗した場合やり直すとして、入力するボタンが同じだと新鮮味がない。
  • QTEが簡単過ぎても緊張感が無く、QTEの意味がない

結局無ければない事に越した事はない。バイオ4が受け入れられたのも新鮮だったからに過ぎない。しかし「イベントシーンを垂れ流す事によってストーリーを語る」という楽さを今更手放せなくなったゲーム業界は、2013年現在もQTEを採用し続けている。

 

私はQTEが気に入らない。
それは「ボタンを押させているから良いじゃないか」と屁理屈を捏ねながら、プレイヤーからゲームを取り上げる行為に他ならない。「ほら、決着だよ。Aを押しなよ」と言われているようで、気に食わない。じゃあそれまでの戦闘は何だったというのか。遮蔽物に隠れ、何発も銃を撃ち、敵に切りかかったのは何だったというのか。QTEを見るために戦うのなら、そんなものイベントを起こすための御遊戯でしかない。

私はQTEが気に入らない。
「成功したら物語が進む」というのは、言い換えてみれば「失敗したら物語は進まずやり直し」という事だ。ゲームを先に進めたくて仕方ないのに、失敗すればするほど同じものを何度も見せられるのは苦痛で仕方ない。どんなにモーションやカメラワークに手間をかけたとしても、複数回見る事に耐えられるとは限らない。それはQTEよりも先に、テレビ番組の合間に流れるCMがとっくに証明した事だ。

私はQTEが気に入らない。
AはジャンプでXがリロード。そうやってゲームを進めてきた中で「ABYXBBA」などと提示される意味が分からない。例えばABYXBBAならジャンプボタン、乗り物乗り込みボタン、武器変更ボタン、リロードボタン、乗り物乗り込みボタン、乗り物乗り込みボタン、ジャンプボタンと押させるわけで、全く直観的じゃない。折角手になじんできた操作体系から、「コントローラの4つのボタンを押せ」と現実に引き戻す。折角ゲームに熱中していたのに、画面から引きはがされ、手元を確認しておっかなびっくりボタンを押す一人の男の状態にまで戻される。ゲーム自ら没入感を殺ぎにくるなんてそんな馬鹿な話があるか。

私はQTEが気に入らない。
確かにイベントシーンはストーリーを描写する上で大きな助けになる。主人公の視点や肩ごしの視点では見せられない描写が出来る。ならばイベントシーンの終盤の「さあ戦闘だぞ!」と身構えさせるところまで、プレイヤーを休ませたって良い筈だ。何が悲しくていつ来るか分からないQTEに怯えながらコントローラを握らなければならないのか。その面倒くささは巡り巡ってイベントシーン事態への理解・没入を妨げる。ストーリーへの興味を失わせるには十分な面倒くささだ。

私はQTEが気に入らない。

こんなクソの塊のようなシステムを、未だに「最新ゲーム」に採用し続けるデベロッパーのやり方が気に入らない。

大してペナルティが重くないのならまだいい。イベント開始1秒でQTEの予告が出て、失敗したらワッハッハーで終わるならばまだ許せる。やり直しが無いのならいい。失敗したら失敗したままイベントを進めてくれ。減った体力ならアイテムで回復するから。ボタンがゲームの動作とリンクしてるならいい。ナイフをLBだと言ったなら、テロリストにナイフを突き立てる時にLBを押させてくれ。どうせならプレイヤーが入力するまで揉み合って、そのまま入力が無かったら自動で刺してくれたっていい。プレイヤーの操作を待たないでくれ。

なお、QTEにはGOWアサシンクリードトロイ無双の様なフィニッシュムーブは含めないことにする。QTEとは、TPSの最中に車の中をバタバタと探し、一度バックさせたうえで発車させるようなアレの事だ。

QTE自体の批判以上に、「プレイヤーからゲームを取り上げる悪」という事でイベントシーンそのものへの批判もしたいが、それはこちらのコラムを是非一読していただきたい。

Choke Point | 【コラム】カットシーンがゲームに与える悪影響とは?
http://www.choke-point.com/?p=10659

HALOもBFもCoDQTEばかりで嫌になる。本当に。