たかが音ゲーであるスクフェスについてがっつり書いたら「迷惑な人」と言われた話と、それへの回答。

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この記事は、スクフェス自体を配信後一週間とモブ育成を機に一度しっかりとスクフェス自体について述べた記事に対し、とある反応があったのでそれについての僕自身のゲーム観についての記事である。

まだ読んでいない人は、まず本編を読んできてほしい。

 

ツイートの引用は控えるが、「いろいろ面白さの見い出しようはあるはずだろ!」みたいな話をされてしまった。要約すると「キャラゲーなんてこんなもんでいいんだよ、音ゲーなんてこんなもんでいいんだよ、たかがゲームに熱くなっちゃって、スクフェスについて語る権利なんかないよ」というもんだった。

 いろいろと記事は書いたが、それでも私はスクフェスを遊んでいる。底の浅さに見限りはしたが、まだUR穂乃果のサイドストーリーが残っている。BDが手元にあるというのに、それを見ることが出来ないというのは屈辱でしかない。この先だってカード付きのBDが出るのだ。当然の権利の筈だろう。

と、それは置いといてだ。
まず僕自身の考えをハッキリ言わせてもらうと、僕は、ソーシャルゲーム」が「ゲーム」のツラをしている事が気に食わない。そして「ソーシャルゲームはソーシャルだからぁ、分かってる人のやるものだからぁ、そんな批判っていうかぁ」みたいなのらりくらりとした弁明をする人間も気に入らない。

デジタルのカードデータを集めることに幸福を感じる人間がいるのも良い。カードをオークション取引するその「取引」の部分を楽しむ人間がいるのも良い。それは別に否定はしない。だけども金をぶっこんで当然。集めるという行為を楽しまない者は遊ばなくていい。それを分かってる奴だけがやってればいい。ゲーム部分をどうこう言うのは無粋だ。この取引や消費アイテムの為に金を動かす事がゲームの本質なんだ。というのは、本当に気に食わない。

それを言ったら御仕舞だろうという読者の方がいるのも分かる。僕だってスクフェスだけでなく多くのタイトルを遊び、見聞きして、楽しもうとした。ソーシャルゲーム自体が面白がられるのだって分かるし、それに金を注ぎ込む人が居ようがどうだっていい。だけども、どうにもそれを「最新鋭の、誇れる日本のゲームだ」と言ったり、そういうツラで物を売られるとカチンとくる。

こういう作品だってあるとか、こんな例外があるとか、極稀な反例の話はしていない。AppStoreを埋め尽くすソーシャルゲームの山が、「今のソーシャルゲームがどういうものであるか」を何よりも雄弁に語っている。

ブログでこのことを書くのは2回目。
具体的に作品1つを丹念に見た記事を書くのはこれが最初で最後になるだろう
ソーシャルゲーム自体への僕の考えはこちらに書いてある。

 


僕にとってそれはゲームではないからだ。

正しく言えばスクフェスはソーシャルゲームではない。ソーシャルゲームにおいて現在主流であるカードシステムをそっくりそのまま取り込んだだけで、ソーシャルゲームなんかじゃあない。とは言え、「ラブライブのソシャゲー」呼ばわりされる程度には、ソーシャルゲームに非常に近しい存在だ。

同じ自己満足でもゲーム内アバターや幾らでも自力アンロックの可能な武器防具の類なら金がかかるのはどうでもいい。だが。スクフェスは「スコア」と「判定」を、人々から取り上げた。「スコア」と「判定」に値段を付けた。対戦相手が過去の自分しかいないゲームにだ。それが気に食わない。過去の記事では書かせていただいた。それはパラッパラッパーポップンミュージックを見た小学生の頃からずっと音ゲーを追いかけてきた、一人の音ゲーマーとしての意見である。

キャラゲーというのは、そのゲームの元になった作品の「ブランド」を担保にしてモノを売っている。ならば期待されるのは「元の作品の世界観を見事に再現したもの」や「元の作品のギミックをうまくゲームに取り込んだもの」である。それをスクフェスは見事に間違えた。というのも過去の記事で書いた。

スクフェスについて何も言わずに去るのは簡単だ。そのまま放置して「わーい、ストアでトップ何位だぞー」「なんだかイベントやるんだってー重課金様がんばれー」だの囃し立てておけばいい。やらずに「アレひどいらしいぜーゲラゲラ」と笑っていればいい。例え多くのレビューサイトで「下手くそでも育てればランクS!」という文章が踊って言うようが、無視すればいいだけのはなしだ 。黙っていようが声を上げようが、大した影響などないはずだ。私のやる事は繁栄していくスクフェス、ひいてはラブライブ!自体に水を差す事でしかないだろう。

だからこそ私は、我慢できない。携帯電話にダウンロードされたこのアプリは、もっと素晴らしくなれたはずだと。もっと丁寧にやれば、μ’sの皆の魅力を配信しうる素晴らしいプラットフォームになったはずだと。音ゲーとして出来がいいのなら、それはゲーマーにとっての「日課」にすら成りえたはずだと。ステレオタイプな口調だけのキャラ付けなんかより、ずっとずっとμ’sのメンバーは魅力的なはずだと。種類豊富な楽曲群をクリアラーとスコアラーがともに笑いながら遊べるゲームになっていたはずだと。

好きな作品の好きな曲が使われているゲームの出来が残念だった事に、声を上げて何が悪い。それが「何万円だろうが支払って当然」という論調で語られた時に、怒る事の何が悪い。音ゲーとしてやり込もうとしてもイマイチだった、モブに魅力は見いだせなかった、カードの育成に面白みなどなかった、私はそう思った

そう、たかが音ゲーだ。
たかがキャラゲだ。
そんなたかがゲームに必死になる事を理解できない人が居て当然だ。

だけども僕は。
クソみたいなOVAや映画を掴まされた時のように。
残念極まりないコミカライズを読まされた時のように。
酷い実写ドラマ化を見せられた時のように。

スクールアイドルフェスティバルに不満を抱いた。それをブログの記事にした。
ただ、それだけの話だ。