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ゲームを終わらせるために金を払う人々。

僕個人としては、「ガチャ」というのはデジタルデータに金を突っ込むということを消費者に教育するいい機会になったと思っている。人々はゲームを通じて「データ」や「データの利用権利」というものに金を払うことを知ったのだ。PS2でDVDを知り、PS3HDMIを知ったように、「着うた」や「ケータイコミック」に金を払うことに抵抗を覚えていた人間に最後の教育を施したのだ、と。

それはそうと、一昔前のマフィア型ゲームで言う「行動力」を回復するゲームについて思う所がある。この行動力っていうのは例えば「3時間で10回操作ができる」=「10回操作したら全回復するまでは3時間待たなきゃいけない」というもので、この操作できない時間のもどかしさの解消に「3時間待たなくてもいいチケット、100円」とか「時間を気にせずに 1000回操作できるチケット、1000円」という設定で売るものだ。

で、この手のゲームは「何回操作したらパラメータは上がりきっておしまい」とか「何回操作したら購入すべきものや集めるべきものが集まり切っておしまい」という風に作られているわけであって、お金を払えば払うほど終わりがどんどん近づくように出来ている。ストーリーとかそういう物が無いのだから、要素を埋めたら終わりだ。

それは連続してパズルのピースを埋め込む権利を買うようなもので、全部のピースを埋め込んだら完成してそこからもう何も進まないし出来上がったものは飾るぐらいしか出来ないというのに、人はその「ピースを早く埋めたい」という欲求に金をつぎ込む。興味深い。飲み干したら無くなってしまう酒瓶を一気に傾けたくてしょうがないだなんて。

日本の大好きな「レベルを上げ終わったら終わり」「用意されたやりこみ要素を埋めたら終わり」のゲームの最新スタイルは「早く終わらせたいなら金を払え」というスタイルで、それがなかなかどうして儲かっている。という話。