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バイオショックインフィニットレビューと考察 後編(ネタバレ)

Game Xbox360

 

バイオショックインフィニットの物語は、どこをとってもアメリカンだ。アメリカの宗教、アメリカの歴史、アメリカの思想。フルに楽しむためには「知識としてアメリカの事を知る」だけでなく、キリスト教自体が身近にないとダメだと思う。洗礼、贖罪と言うものが何なのかについて深く考えなきゃいけない。

……という複雑な話や「これはこれを暗示しているんだよ!」という謎解きの部分はおいといて、CoDじみた1本道のゲームをアトラクションとして楽しんだ場合のバイオショックインフィニットについて書いていきたい。

バイオショックインフィニットは、まさに「無限の可能性」を秘めた物語だった。詰め込もうと思えば、様々な事を詰め込めた。詰め込むことを出来たが故に、「様々な小さなエピソードを詰め込んだ1本の作品」として作ろうとして、膨れ上がったそれをどう削るかを試みた形跡が様々な所に見受けられる。

数々の「開発の長期化した作品」の例にもれず、バイオショックインフィニットも「炎上物件」だったのかもしれない。ゲームに残された様々な要素から私はそう考えた。


ストーリー:
コロンビアと長期開発の綻び

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テクノロジーに支えられた預言、「商品」として産み出された宗教。天空都市コロンビアはそんな「幸せな嘘」を固めて空に浮かべたような場所だ。奴隷解放等と抜かしたリンカーンなど認められるわけがない。異物であるインディアンを女子供に至るまで皆殺しにし、ようやく「白人にとっての理想郷」が出来たと言うのに。今更あの汚らしい黒んぼなんて認められるわけがない。

その結果出来上がったのが「優雅に暮らす上流階級」「時間の安売りをしあう労働者階級」「有色人種の奴隷階級」の三層構造で、コロンビアは「幸せな上流階級」でもない限り、「理想郷」でも何でもなかったのである。

バイオショックインフィニットは指導者カムストックと、開発スタジオであるIrrational Gamesが長い時間をかけて作り上げてきた嘘だらけの国を、否定する物語だ。

……と偉そうに「分かってる人間」のような文章を書いたのは良いのだが、その前に一つ言わせてほしい。バイオショックインフィニットは「コロンビア」よろしく、様々な所でほころんでしまっている

ソングバード

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例えば「塔の番人」「エリザベスを連れ戻す者」であるソングバードは、エリザベスから「仲が良かったの」だのなんだの言われるが、プレイヤーにとってはさして印象深いキャラクターではない。トレーラーでこそ「ビッグダディ以上の存在感」を示しているが、実際にやったことと言えば「壁を壊す」「紆余曲折あってようやく飛んだ飛行船を撃墜」ぐらいで、強敵と思った事も怖いと思った事も無い。

なので最終局面でソングバードが襲い掛かってきたときも、「あのソングバードが仲間に!」などという感慨は全くなく、「ああ、ボタン長押しで敵を倒すギミックなのね」ぐらいの気持ちしか抱けなかった。

そもそも、闘う回数だけ見ればモーター・パトリオットの方がよっぽど印象深いし、「こいつが味方に成ったらどれだけ心強い事か」と思えたのは、電撃巨人「ハンディマン」の方である。ハンディマンが出て来るたびにエリザベスも「気を付けて、ハンディマンよ!」と警告してくれるし、ハンディマンとの戦いはこのゲーム屈指の難所だ。戦う回数と言い、その攻略の難度といい、ビッグ・ダディ役はハンディマンにこそふさわしい。少なくともソングバードではない。

ソングバードに限らないのだが、こうやって「戦える作品」で、一戦も交えずに強い強いと言われてもそれは「動く壁紙」でしかない。ゲームという偉大な「体験」の中で、強いという「知識」だけをプレイヤーに叩き込んでも何の感動も得られない。

これまた話がインフィニットから飛ぶのだが、本家チームが1から何年も何年もインフィニットを作ってる間にリリースされた「バイオショック2」がよく出来ていた。ライバルであったビッグ・ダディの舞台裏を丹念に描き、新たな敵であるビッグシスターも脅威に感じられたし、プラスミドとして「ビッグシスター召喚」が使えた時はシナリオも相まって凄まじい心強さだった。

それに比べると、ソングバードは余りにも弱い。戦闘力の強い弱いでなく、人の心に何も残せない。故に彼の死についても、プレイヤーに何か思わせることに失敗していたと私は思う。コンセプトアートにもデカデカと書いたりしており、話にもバッチリ関わってくる辺り本当はソングバード生誕の秘密やソングバードとの戦闘も描くつもりだったのだろう。鮮烈なデビューをトレーラーで果たした「強敵」がこんな風に扱われるのは、本当にもったいない事だ。

中だるみと都合の良い「パラレルワールド

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流石にゲーム×並行世界物も手垢の付いてきた感があるが、バイオショックインフィニットも御多分に漏れず「並行世界物」である。様々な世界を渡り歩いて巨悪を倒す!なんてのは何処にでもある筋書きだ。それはいいのだが、バイオショックインフィニットはその「世界移動」の初お披露目のパートでやらかしている感じがぬぐえない。一度コレが気になると後々の展開にのめり込めなくなる規模で。

作品中盤で脱出用の飛行船を手に入れた後、ブッカーはエリザベスにポロっと余計な事を言い、盛大にブン殴られて逃げられてしまう。それだけならいいのだが、何故かその飛行船は反体制組織ヴォックス・ポピュライ(ラテン語で「人民の声」の意)に乗っ取られ、ブッカーは「武器を持ってきたら返してやるよ」なんてのを真に受けて、「テロ屋に取られた飛行船奪還の為にガンスミスを助ける」なんてお使いがはじまってしまう。

そのガンスミスが暴行を受けて死んでいるのを見て「別の世界に飛ぶわ」と成るわけだが、「暴行を受けて死んでいるのを見てショックを受けたから、死んでいない世界へ行こうとエリザベスが強く願ったため飛べるようになった」……という事にして納得するにしてもだ。ここからが問題だ。

「ガンスミスが暴行を受けていない世界なら飛行船も無事で、そのまま脱出できる」という発想をブッカー達がせずにそのまま馬鹿正直に「ガンスミスが死んでいない世界で約束を果たそうとする」のは、どうにも分からない。「人の生き死にが変わるような世界なら馬鹿ゲリラに飛行船は取られていないかもしれない」とは考えないものか。

これまたその次のワープも問題だ。スラム街の奥底でごつい工具を発見するも運べないからと言って、その後「工具の取られなかった世界」へ都合よくワープを始める。なら遠路はるばるスラム街の奥底まで何をしに歩きに来たのか。こんなにポンポンと世界線の移動が出来るなら、はじめっから「飛行船の取られなかった世界」でも飛べばいいじゃないか、と思ってしまった。

「工具がここに来なくていいような世界」に飛ぶ
≒「ガンスミスが工具を取られない世界」である
≒ということは「ヴォックス・ポピュライに銃が出回った世界」である
≒ブッカー達がいるのは「反乱の成功した世界」←イマココ!

……という流れはどうにも飲み込めなかった。「自分の生死」まで強烈に変わっている世界で、それでも「飛行船がー」と言っているブッカーは何なんだろう?「ティア」を「エリザベスの望んだ並行世界を手繰り寄せる能力」なのはわかるものの、そこまで行くとどうにも気にかかった。

「軽はずみ世界の書き換え」で大幅に変わる世界を見せたかったのは分からなくもないが、もう少しどうにかならなかったのかと思った。これに限らず、バイオショックインフィニットは「入れようと思った要素」がどうにも噛み合わない印象受ける。

プレイした人なら分かると思うのだが。「エリザベスが青いドレスを着る」までのインフィニットは、どれも「インフィニットの本筋」を語る上では必須でないものばかりだった。というか「青いドレスを着てからが本編」という感じすらした。推測にしか過ぎないが、コロンビア崩壊までの「サブクエストじみた物語たち」は本当に「サブクエスト」だったのではないだろうか。それぞれが独立して用意され、そのサブクエストをクリアする事によってビガーを手に入れていくような作りにしたかったのではないか。

「いつの間にかコロンビア乗り込んでいた旧知の人間」であるスレート絡みの話。「白人の正当化&カムストックの人生パビリオン」と「死にたがりの兵士」の話は、「コロムビア」の話でなく厳密に言えば「ブッカーの過去とアメリカの話」でしかなく、これこそDLCで「ブッカーの過去話」として切り分けても良いように思えた。

「ヴォックス・ポピュライの反逆による都市の崩壊」は必要であったが、「飛行船奪還絡みの長々とした一連のシークエンス」は必要ないと感じた。飛行船を手に入れた時点でソングバードが撃墜しておいてくれればブッカーも殴られずに済んだし、さっと次に進めたはずだろう。 「天空都市コロンビアの存亡」という大きなテーマにするなら、「お使いしてたら大変な事になった」何て弱い契機じゃもったいない。


ストーリー:
ブッカーとカムストックについて。

「リアルタイムで起きたことしか見られないゲーム」の限界。

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並行世界物で、ループ物で、他世界干渉で、収束もの。バイオショックインフィニットはやろうと思えば何でもできる。だが、「何の為に」「何故」がボカされると、それは展開をただただ追うだけのゲームになってしまう。幸運なことにこの作品は終わりに「強烈な風呂敷畳み」によってそれを阻止出来たが、シリーズ初の台詞持ち主人公であるブッカーという「自分の言葉を持つ人間」を描く割には、「何故そうなったのか」の弱い所が多い。所謂「説明不足」と言う奴だ。

例えば主人公ブッカー・デュイット。「コロンビアに来て何かやりたいこと」が彼にあって、その為にはカムストックを倒さなきゃいけない。と言う風にしておけば良かったのだが。彼は「エリザベス救出」以降、行動理由がない。カムストックと闘う理由は彼自身には無く、救出以後は「脱出手段の確保」「エリザベスの保護」のために動いている。「劫火に焼かれるニューヨーク」を阻止する、という目的が出来るのも話の終盤になってからだ。

例えばザッカリー・カムストック。彼は「インディアン虐殺」の経験から洗礼を受けたブッカーの成れの果てだが、どうにも話の流れだけでは「ブッカーがああなる」とは思えない。改心した後にルーテスと出会い、科学による「預言」を手に入れて彼自身が何をしたかったのか。理想郷「コロンビア」を手に入れて何がしたかったのか。聖書になぞらえてニューヨークを焼いてコロンビアを箱舟にするという計画。そんな事をしようとした「信念」は何処から来たのだろうか。

この二人がふわふわしているのに、「この二人が同一人物である」というのが物語のキモと言われても「ほら、この二人が同一人物なんてビックリするでしょ!」というどんでん返しの部分だけに目が行ってしまう。実にもったいない。せめてカムストックが何故現世に絶望し預言者カムストックとして祭り上げられていったのかをメインクエスト上で描いてくれればこうはならなかった。せめてブッカーが「天空都市から娘を連れて帰る」以外で何かカムストックに因縁めいたものを抱いていればこうはならなかった。

スタッフロールの間。ああすればこうすればが頭の中に渦巻いていた。

バイオショックインフィニットは、前作までのシステム同様に「ボイスログ」でストーリーの肉付けを行っている。プレイヤーの見たものはキャラの見たものであり、キャラの見たものだけがプレイヤーの得られるものだ。故に過去の話は「回想」する事も出来ず、他者の口から語らせるか、他人との会話で自分からボソボソと喋るほかない。

バイオショック1も2も、主人公自体に特に深みは必要無かった。1なら「何かようわからんが親切にしてくれる人々」にほいほいついていく話だし、2なら「自分が何者かすら分からないが、とにかくエレノアだけは助けたい」とドリルを振り回す物語だ。1はその薄さこそが鍵だったし、2は一度リセットされて猶「自分のシスター」として記憶に残るエレノアとの関係が物語の鍵だった。

だがブッカーは違う。ブッカーは来るべくしてコロンビアを訪れ、闘うべくしてカムストックと対峙する膨大なバックストーリーを持つ男だ。そしてそれは理想郷を築いたカムストックも同様だ。彼らについて、もっともっと誰かしらの口から語られるべきだった。だがブッカーは外部から来た人間なので、ブッカー自身の事はコロンビアの人間が語ることは出来ない。カムストック自身も、彼の人生を知る人間は少ない。

falloutやデッドスペースのように、ボイスログだけでなく長い長いテキストでもって語るのも良い。Call of Dutyのように、思い切って視点を変更しても良い。アサシンクリードのように「没入体験」で、今でない体験を完全に再現させても良い。とにかく、「他者からのコメント」だけでなく彼ら自身の過去を垣間見る必要があったと思う。

もしかするとエリザベスの開くティアでそう言ったものが見れたのかもしれない。もしかしたら削除されたサブクエストでそれらが描かれていたのかもしれない。もしかしたらダウンロードコンテンツでそれが見られるのかもしれない。だが本編には、「それとなく仄めかされるボイスログ」が、マップのそこかしこに隠されているだけだった。そこが非常に惜しい。

故に、彼らには彼ら自身の「回想」や「手記」が必要だったと私は考える。他のゲームはそうやって、キャラクターの描写を深めることに成功した。だからと言ってバイオショックにそれをやれ、とは言えない。
何故ならそれらはバイオショックの持つ「リアルタイム性」を大きく変更する行為で、許される事ではないからだ。ボイスログによる「独白」と「やりとりの録音」でなく、実際に演じてしまっては何にもならない。それは「現在進行中の事象」からプレイヤーを切り離してしまう。

想像するしかないのも分かる、それならもっともっと想像するためのピースをコロンビア中にばらまいて欲しかった。そして「ボイスログ」なんて収集要素に限定せず、もっともっとメインで見せてくれてもよかったと感じた。信頼できない語り手で驚かせるには、もっともっとブッカーをプレイヤーに信じさせなければいけない。全ての戦いが終わった後に10分も20分もだらだらキャラクターに喋らせて、キャラクターが勝手に悟るなんて……それは「バイオショック」ではなくて「メタルギアソリッド」じゃないか。


逃避と終わりについて

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カムストック夫人の手によってラプラスの魔と化したルーテス兄弟は、カムストックによる世界の破壊を防ぐために「変えられる可能性」を探し、別世界のカムストックであるブッカーを見つけて送り込む。明示されるのは最後の最後だが、バイオショックインフィニットは自分殺しの物語である。

20年逃げたブッカーも、嘘で固めた国を作ったカムストックも、その両方を殺さなければ何もかもの解決は出来ない。「人々の商品」とまで作品の中で言われた宗教に手を出そうと考えた洗礼の日、ブッカー・デュイットは死ななければならなかった。

 

私は日本人であり、宗教というものが生活にも人生にも根ざしていない人間だ。「宗教」と聞いて何を思い浮かべるかと言えば、「心の安寧」よりも先に「逃避」が出てきてしまう。だから、ブッカー・デュイットという人間の根幹にも、「逃避」があったのではないかと考えてしまった。「宗教に逃げた男、ブッカー」という解釈が頭を離れない。

もしこれがアメリカ人ならきっと違っただろう、と思う。冒頭にも書いたが、バイオショックインフィニットはどこまでもアメリカンな物語だ。だからこの終わり方を想うたび、「あーアメリカ人いいなーチクショウめー」なんてことを考える。バイオショックインフィニットは人を選ぶゲームだ。間違いなく。ゲームのプレイスタイルもそうなら、その人がどういう場所に生まれて育ってきたかも選ぶゲームだ。

 

さて、このゲームはループ物である。ループ物と言うからにはループを断ち切るトリガーが必要なのだが、それは作中の特別な要素ではなく「プレイヤーの介入」だったと私は考えている。

「無限の可能性」の中で、ブッカーに介入したのはルーテス兄妹だけではない。ブッカーに介入し、ブッカーを納得させ続けてきたのは間違いなくプレイヤーだった筈だ。プレイヤーが操作して選んできたからこそ、ブッカーは背負う事を選んだ。ブッカーはプレイヤーの介入したあの周回に、遂に「逃避」を克服したのである。

エリザベス:ねえ、どうしてる?
ブッカー:どうしてるって?
エリザベス:忘れ方。自分がやった事の記憶って、どうやって消すの?
ブッカー:…出来ないさ。ただ背負って、生きるしかない。

例え自らの死でなければ罪を償えないとしても、あの周回のブッカーは死から逃げなかった。自らの死から逃れる為に様々な手を打ったカムストックとは見事に対称的だ。アトラクションとして爽快感のある最後とはとても言えないが、私はこの最後で良かったと思う。神様でもやり直しを与えられる世界で、ブッカー・デュイットという男はもう一度やり直せたのだから。


あるのはいつも灯台。一人の男。それから都市。

灯台、男、都市。この3つさえ揃えば、バイオショックは「ラプチャー」と「コロンビア」に限らず、ありとあらゆる可能性でもって現れる。人々は長い年月をかけて巨大な嘘の街を作り上げ、男は灯台からそこへ向かうのだろう。バイオショックインフィニットは、少なくとも「ラプチャーじゃなければならない」という物語を否定し、見事に新たな可能性を切り開いて見せた。

この作品を諸手をあげて大絶賛する事は私にはできない。手放しで褒めるには、余りに「プレイヤーなら分かってくれるだろ?」という期待が多過ぎるからだ。5年弄られたバイオショックインフィニットは、作った人間にとっては完璧でも読み解く側にはそうとは限らない。とは言え何重にも重ねられた物語から只ならぬものを感じるのは事実で、プレイした後には誰かと話したくなる事必至の熱量を持った作品である。少なくとも「言いたいことを書きたいように書いただけ」の乱雑な作品ではない。バイオショックインフィニットは、間違いなく最新のバイオショックであった。

次にまた男が不思議な都市を目にするのはいつになるのだろうか。まずはバイオショックインフィニットダウンロードコンテンツが、どのような可能性を紡ぐのかを楽しみに待ちたい。