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提督の咆哮 そのⅢ 艦これ運ゲー黙示録。燃え盛るアニメ鎮守府と「おみくじ」を巡る戦い

艦これ

2014-07-04 16_59_47-艦隊これくしょん~艦これ~ - オンラインゲーム - DMM.com

画像に意味など無い。

艦これのアニメ、面白いですよね。特に如月が「史実再現」と擁護されながら親指を立てて沈んでいく様がとても面白かったです。彼女の死は物語を通して人々の心に何かしらの影響を及ぼすかと思いきや、まあそんなことも無かった。続発する二次創作界隈の「弄り」のフィードバック、つまり「キャラ崩壊」や「公式レイプ」を受けずに済んだため、一部の提督たちの間では「如月ちゃんは綺麗に死ねて良かったね」などと言われる始末です。

まるでまとめサイトのようです。全てを「ゲーム版」に求めるのであれば、大井のクソレズ(ガチレズとは申しません)さも、赤城の大食いさも、ゲームの時報や追加ボイスにその兆候が見られます。しかしその時報や追加ボイス自体も「大北」というカップリングがひとしきり盛り上がったり、公式Twitterが「ボーキサイトの女王」とネタを拾った後であったりして、「やっぱりホモじゃないか(歓喜)」と言われても仕方のない状況です。ソースはアニメ、アニメのソースはゲーム、ゲームのソースはと見てみればやはりそれはファンの「弄り」だったわけです。

これに対して「弄り」をしたのはもとはと言えば「ファン」なのだから、「ファンの連帯責任」という声もあるが、私にはそうは思えない。なぜならば彼方は「プロ」の「一次」であり、こちらは「一般人」の「二次創作」。一次はプロにしか出来ない「オリジナル」「原作」「公式」を世に放ち、それを一読者・視聴者・ファン・プレイヤーである我々がああでもないこうでもないああだったらいいなこうだったらやだなと「パロディ」「非公式」で遊んでいるわけです。影響力など比べる必要すらない。

ファン同士、プレイヤー同士でああだったらこうだったらと解釈をするのは勝手です。だからこそ相互不干渉が最も尊ばれます。どれだけ「キャラをおちょくる二次創作」をやったとしても、それはそのイラストの範囲内。大きくても「キャラをおちょくる事を良しとする界隈」で話が済みます。大井がガチレズなのは「ガチレズ大井」の世界だけ。赤城が大食いいやしんぼなのはそれを良しとする世界だけ。妙高型が行き遅れのOLで、足柄が男日照りに苦しんでいるのもそれを良しとする世界だけでした。

そう。それを「良しとする世界だけ」という逃げ道があった。だがそれを公式でやられるとどうなるでしょう。最早ゲームの赤城は「綺麗で頼れる慢心お姉さん」では無くなった。「公式はそうでないから」と言っていた人々を崖から突き落としたのはあろうことか「公式」だったわけです。なあに言ってるんだ。赤城は生のジャガイモを食うような女だよ。お前の言うような赤城はもううちの赤城じゃなくなったんだ。大井も姉妹の中で北上を気に掛ける程度から見事にクレイジーサイコ化。そしてトドメがアニメの足柄さんです。

出来損ないの学パロのようなアニメ鎮守府足柄さんは先の追加ボイスで回避された筈の「年増」「男日照り」系セリフを連発。しまいには「教え子」の第六駆逐隊に向かって「死にぞこない」とまで言ってしまいます。

 

その3話前に、如月ちゃん、殺されちゃったんだけどな。


そっかー。「死にぞこない」かー。如月ちゃんは、カレーすら作らせて貰えずに死んじゃったね。あの子の死って本当に何だったんだろうね。マジなんなのあの公式。大本営がアレを足柄だって言うならもう「足柄」でしょ。今更アニメから目をそらせだとか二次創作と割り切れだとか、無理ですって無理。だってあれ、「公式」だもの。「公式」の名において「公式」としてやった事はファンどうこうじゃ無く「公式」の責任ですって。

 

というわけで1200文字ほどの前ふりを挟んで、今更またも盛り上がる「艦これ運ゲー論」についての話をしようと思います。頼むからプロはプロの仕事をしてくれ。


運ゲー」の用いられる文脈は2つあった。

まずこれの前の記事にあたる2つの記事を紹介しましょう。

 

cr.hatenablog.com

 

 

cr.hatenablog.com

 

こちらの記事で既に書いたことなので、引用しながら説明します。

艦これには難易度を弄る軸がない。突破できる確率を上げて、上げるだけ上げて、上げ終わったらおしまいだ。もちろん上げる為にどうこうやるのが面白いのがこのゲームなわけだが、その試行錯誤だって余白を塗りつぶしたら終わりなのである。

艦これの「難しい」とは何だろうか。
私は「挑戦権を得る為に要求されるもの」が多ければ多いほど、複雑であれば複雑であるほど難しいと思う。

だが「膨大な試行回数が必要」、言い換えてみれば「プレイヤー側で上げられる確率が著しく低い」というのは、難しいとは思わない。それは「難しい」のではなく「理不尽」でしか無いからだ。フラ戦のカットインを食らって撤退させられるのも、折角キラキラ付けをしたのにお仕置き部屋に送られるのも、プレイヤーに落ち度が無い。改善のしようがない。確率だからだ。運だ。

艦これが「運ゲー」では無い。という時に用いられるのは、引用した最初の段落にある「突破できる確率を上げて、上げるだけ上げて、上げ終わったらおしまいだ。もちろん上げる為にどうこうやるのが面白いのがこのゲームなわけだが、その試行錯誤だって余白を塗りつぶしたら終わりなのである。」の部分です。つまり「突破できる確率はプレイヤー側で上げる事が出来る」のだから、「運ゲー」ではない。という事です。

これに対して艦これが「運ゲー」である。という時に用いられるのは三段目の「フラ戦のカットインを食らって撤退させられるのも、折角キラキラ付けをしたのにお仕置き部屋に送られるのも、プレイヤーに落ち度が無い。改善のしようがない。確率だからだ。運だ。」の部分。最後は膨大な試行回数で抽選を行い、あたりを引くまでひたすら無駄にされ続ける。つまり「あげられるだけあげてもあとはあたりを引くまで抽選するだけのゲーム」であるから「運ゲー」だ。という事です。

 

運ゲー」ではない!という時は「挑戦権」の話。
運ゲー」だ!という話をする時は、「膨大な試行回数」の話をしているわけです。

これでは話がかみ合う訳がありません。「確率を上げられるだろ」と「上げ終わった後の抽選があるだろ」では話している内容が違うのですから。何より、「確率を上げ終わった後は抽選になるのは当然だ」と言っているのだから、最早解り合う事は無いでしょう。何せ、その「抽選になるのは当然だ」にが議題に上がっているわけですしね。

いやしかし、「準備」している間は楽しいですよね艦これ。遠征出して、装備揃えて、建造して。ああ、大型艦建造とかいうクソシステムは結構です。つくづく艦これは「兵站」のゲームです。しかしひとたび「レア堀り」や「イベント」となると、ルーレットと向き合うだけのプレイが始まってしまうのです。 それってどうなのさ日向?


ブラックラグーンの画像は艦これには全く合わない

ランダム性はあらゆるゲームのあらゆる状況に適するわけではない。
「意地悪な驚き」は駄目だ。
ランダム性がただのノイズになってしまう場合も問題だ。
ランダム性がゲームの進行を無駄に遅らせる場合もある。
勝利判定に運の要素を持ち込んではならない。

確率の絡むゲームの話をする時にまず読んできてほしい記事を張ります。

引用元//翻訳記事:ランダム性 | スパ帝国
http://spa-game.com/?p=440

さて、今回は趣向を変えてみましょう。

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小学館広江礼威BLACK LAGOON』9巻 176ページ

ブラックラグーンという漫画の画像が、イベントのたびにSNSや掲示板で使われている。主人公であるスーツ姿の男、ロックが言うのはこうです。

「運以外のあらゆることを塗りつぶすのは定石だ。そうして隙間を埋めていって運だけが純粋に残った時――最高の賭になるのさ。」

よくよく艦これを擁護する人がこの画像を用いるのですが、台詞の解釈が間違われているので、私から未読の方に説明させてください。

 

南米のとある名家の当主が合衆国の策略により暗殺され、それの復讐に乗り出した元テロリストの殺人メイド。彼女が様々な思惑の坩堝であるロアナプラという街に、暗殺の実行部隊である合衆国の特殊部隊を殺しに来た……というエピソードで、主人公がこれを言うのはエピソードの後半のクライマックスです。

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自らの仕えた当主の復讐に燃える殺人メイド、ロベルタ。
小学館広江礼威BLACK LAGOON』9巻 213ページ

今回彼には「ロアナプラへの合衆国の干渉を防ぐ為、合衆国の特殊部隊には生きたままロアナプラを出てもらう」「だが復讐鬼となったロベルタを殺してもいけない。彼女を止めるためにわざわざ南米からやってきた少年がいるから」という条件が設定されました。この殺人メイドを止めに来た少年は、殺された当主の息子。つまり若き「当主」という事になります。主人公は人脈をフル活用して「ロアナプラの外へ決戦の場を設け、特殊部隊も殺人メイドにも出て行ってもらう」事に成功します。

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殺人メイド「ロベルタ」を止めに来た少年、ガルシア=ラブレス君。
小学館広江礼威BLACK LAGOON』9巻 159ページ

そして決戦直前に彼が思いついたのは「決戦の場で特殊部隊の隊長を殺人メイドの代わりに当主が撃つ。そして目的を失った殺人メイドも当主が撃つ。殺人メイドに理性が残っていれば当主は撃ち殺されずに済む」という計画。もちろん使われるのは空砲な訳ですが、この場合の賭けとは「現当主たる少年が、隊長もメイドも撃つという大舞台に上がるか否か」なわけです。

決戦の舞台は整った。役者は既にスタンバっている。ここまでが「今までに塗りつぶされた運以外の事」。そしてそこに少年が、彼の意思で上がって引き金を引けるか?これが主人公にはどうにもできない、「純粋に残った運」であり「最高の賭」なのです。

ここで出てくるのが有名になってしまった「最高の賭」の台詞です。実際はガルシア少年に付いてきたメイド、「ファビオラ」という少女に向かって語る台詞な訳ですが…

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「少年が銃を持って行った」と聞き、「賭け」の勝利宣言をする主人公のロック。
小学館広江礼威BLACK LAGOON』9巻 190ページ

 

数多の偶然からどう「判断」し、「取捨選択」していくか。そうやって状況を作り上げていくと言うのはローグライクゲームトレーディングカードゲームにも共通する部分があります。また戦闘の途中でセーブやロードが出来ず、ミスをどうカバーして勝利するかという事を考えていけばRPGシミュレーションゲームでもそうでしょう。その過程で確率の絡むものであれば「100%確実」になるようにしていくのは、戦いだけでなく武具への能力付加でもそうです。

そういったゲームには「ドロー」に頼ることなくデッキから「サーチ」したり、攻撃の前に「必中」と「閃き」を唱えたり、部屋で一歩歩くたびに「武器を振って確かめ」たり。不確かな確率と戦う為、プレイヤーには対抗手段が持たされています。そうやって足掻いて、足掻いた揚句、遂に運と対峙する瞬間が訪れます。こればっかりは自分の意思でどうにもならないですからね。

全ての光よ、力よ!我が右腕に宿り、希望の道筋を照らせ!シャイニングドロー

正しい、という訳でもありませんが、先のブラックラグーンのロックの画像が使われるべきなのは例えばこういう時です。なによりこれは、「一回こっきり」で「失敗したら負ける・終わる」ような時に使われる話であり、「膨大な抽選を行う」という艦これには全く持って合わない言葉です。

そして何よりダイスの目が伏せられている限り、ロックの様に「何処まで塗りつぶせているか」は分からないし、失敗は「塗りつぶせていない故の失敗」なのか「ただ運が悪かったから失敗した」か、プレイヤーには全く判別がつきません。ここは艦これそのものの致命的な欠点です。


 

「おみくじ」と「ナラティブ」

「確率の絡むゲームなら何でも運ゲーか!?」と短絡と癇癪を起すのは簡単です。が、例えば麻雀は環境生成がランダムなだけで、それ以降は河と山から推測していくゲームですし、TCGであれば手札の切り方は自分で決められます。確率の絡むゲームの極北とも言えるハック&スラッシュですら、モンスターの討伐はプレイヤー側の努力で100%に出来るし、確実にドロップアイテムの抽選を行う事が出来ます。

艦これの場合プレイヤーが介在できるのは編成と攻撃順の設定と装備のみ。ゲームが始まってしまえばGOとSTOPしかありません。「キラ付け」ですら確実でも何でもない。資源を支払ったのに援護も来ない。これは最早「運」でなく、抽選の吉凶を楽しむ「おみくじ」だと言えるでしょう。

もう一度はっきり言っておきます。艦これは「運ゲー」と言うと喧嘩が起きるならこう言い換えましょう。艦これは、演出の豪華な「おみくじ」です。多少あたりの率は「準備」で増やせるでしょう。ですがそれは何処まで行っても、「おみくじ」の山に自作の「吉」を混ぜる作業に他なりません。

しかも現実のおみくじと違い、電子くじなのではずれくじが減って当たる確率が増えるわけではありません。続けるたびに減るのはあなたの鉄と油と弾とボーキサイトです。それでもあなたは言うでしょう。「艦これは運を引き寄せるゲーム」だと。そりゃあそうです。「当たるまで引き続けたから当たりが出た」だけの事ですから。

「当たるまで引き続けたから当たりが出た」を格好よく言い直すと「試行回数でねじ伏せる」とか「運を引き寄せる」とかそういう言葉になります。「SR欲しければ10万円突っ込んでから弱音を吐け」みたいなもんでもあります。

羅針盤で上にフラフラ下にフラフラする所含めて的確な表現だと言えます。

高瀬奈緒文さんによる「艦これ運ゲーなのか」 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/783531

永遠のアセリア」でお馴染みの高瀬さんによる艦これ評です。高瀬さんが褒めているのは艦これの作り出す「ナラティブ」の部分。「運ゲー」であるからこそ「ドラマティック」で人々を惹きつけるという話をしています。ナラティブとはつまり「艦娘と俺提督物語」の事。プレイヤーごとに異なる展開が、艦これへの思い入れを深くします。確かに運ゲーであるからこそ、思いがけない展開がドラマになるんです。が、ここでの高瀬さんの落ち度は「要するに只のドラマティックなおみくじじゃねえか」としか言えない褒め方をしてしまったことです。いや、本当にそういう事しか言ってないのですが……

直後にパチンコの話を出したり、ソシャゲと比較したりとシステム屋ならではの視点で話をしているわけですが、「無駄にされ続けた人」「既にそのナラティブの魔法が解けた人」にはカチンとくる言い方でした。また、「おみくじではない」「運ゲーではない!」「夢はきっと叶う!」という人にも、「運ゲーだからこそ」と言い切ってしまったがために叩く口実を与えてしまいます。

しかし、少しでも考えてみてください。「運は試行回数でねじ伏せるのだ」という擁護こそが何よりも艦これが「膨大な試行回数でもって低確率の当たりを引くゲームである」事を認めている事にはなりませんか?

実際、私もその「ナラティブ」に一度は夢中になった人間です。2-4を自分の艦隊で突破した時など思わず「やった!」と声が出たほどでした。だからこそ未だに「艦娘と俺物語」の中にいる人々が「運ゲーじゃあないんだ!」と声を荒げる理由もわかります。私だって最初の記事で「”ソシャゲ”じゃ無いんだぞ」と書きましたもの。「準備するのは楽しい」って書きましたもの。

しかし、高瀬さんの言葉を借りれば「ラックマネジメントのマネジメント上限」の値があまりに低く、どんな準備をしても無駄だと気付いた時点で夢は終わりました。他のゲームで例えましょう。プレイヤーは「これだけの能力が出せる」と分かっているからレア武器を探し、強化するわけです。それが「そんなに強くも無い」「他のと同じ」と分かった時点で、レア武器という夢は輝きを失います。それと同じです。

信者曰く、上げて突破率が3割?5割?7割?いやいや、私の見たアイアンボトムサウンドはそんなものじゃ無かった。2013年秋、私の艦これは「抽選」にし尽され、「おみくじ」となりました。だからこそ私は言い続けます。艦これが「運ゲー」であるかどうかの話をするならば、艦これは「おみくじ」であると。


1%の抽選を100回やって、1回も当たらない確率は?

  • 1% のガチャを70 回ほど引いたところで半数の人は 1 度は当たる
  • 1% のガチャを 100 回引いても 36.6% の人は当たりが出ない
  • 1% のガチャを 200 回引いても 13.4% の人は当たりが出ない
  • 1% のガチャを 300 回引いても 4.9% の人は当たりが出ない

>20 人に1人は 300 回引いても当たりが出ません。これは恐怖です。

引用元
//コンプガチャだけじゃない!? ガチャに潜む確率の罠 - てっく煮ブログ
http://tech.nitoyon.com/ja/blog/2012/05/17/gacha-probability/

人は信じたいものを信じたいように信じます。お前の準備が悪い。私は数時間でクリアできた。お前には運が足りない。お前はゆとりだ。お前はクズだ。お前が艦これを語るな。などなど。

艦これのイベントはそういった人々の「俺の理論」の正しさを、証明する場なのかもしれません。そして「俺の理論ではうまくいった」という成功体験を持ったまま他人に何か「教えて」やろうとした結果が、そこかしこで上がる火の手です。

「1パーセントのクジを300回引いても、4.9%の確率で1度も当たらないことがある」
今日はこれだけ覚えてから寝てください。

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ファビオラに空砲を撃たれ座り込むロック
小学館広江礼威BLACK LAGOON』9巻 258ページ

ちなみにキメ顔のロックの画像ですが、アレが艦これ擁護に於いて正しく機能する解釈が一つだけ存在します。それは「調子に乗って賭け事について講釈をたれるロックが、増長して艦これ擁護にその画像を用いる物の態度そっくり」という物。ロックは事件が終わった後、ガルシア少年達に爽やかな顔で「主人は正確に事を運んでくれた。君たちを助ける事が出来て本当に良かったよ」と話しかけたところでどうなったと思います?

「命をベットする気分はどう?」
バン!と空砲を撃たれてしまいます。人々の命のやり取りを賭け事に例えたり、ニヤニヤ笑いながら話すロックは既に悪党そのもの。「違う、俺は本当に君たちの事を…」と縋るロックに、耳を傾けるものはもう、この事件の関係者にはおりませんでしたとさ。

したり顔でおみくじに付いてああだこうだと講釈をたれた後、善意で「助けてやった」人から殴られても文句は言えません。あんたは「おみくじ」を「最高の賭け」だと偉そうにのたまったんだ。という風に。こういうオチまで付いていることを、画像を用いる時はよくよく覚えておいていただけると幸いです。

 

「おみくじ」と今日も元気に戦うために出航する皆様に幸あれ。
月に栄光あれ。
地球に慈悲あれ。

最後に同じようにブラックラグーン9巻から、「現ラブレス家当主」の言葉も引っ張っておきます。

「僕らは悪くない。誰もがみんな、そう思ってる。だから、殺し合いは終わらない。」