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ところで全てのゲームがデバイスフリーになったら最高だと思う。

それはそうとありとあらゆるゲームは「不自由なゲーム専用コンピュータ」であるゲーム機から、速やかに開放されるべきだと思う。

昨日と言ってることが180度変わったかと思われるかも知れないが、僕自身の本心はこういうものである。

レトロフリークなどと言わず、全てのゲームはデバイスフリーになって欲しい。Androidで、iOSで、Windowsで、Linuxで、そして最新の家庭用ゲーム機で、遊べるようになって欲しいのだ。

旧い音楽は幾度も再販と配信を繰り返し、旧い映像は何度も媒体を変えては世に放たれた。そしてこの2つには強力な「レンタル」のバックアップがある。

しかし、ゲームにはその仕組みがない。

思い出したように小金稼ぎの為に、どうしようもない「現行ゲーム機用移植」や「スマホ版」がちびちびと出るだけである。しかもその移植の完成度があまりに低過ぎて続編の企画が潰されたり、最新の機械でも満足に動かないことすらあるわけだ。

おいおい、嘘だろ。逆襲のシャアもBEYOND THE TIMEも楽しめるのに、ヒーロー戦記はまだ地球の重力に引かれて飛べないってことかよ。

未だ「過去作」はぽつりぽつりと何処かのゲーム機や、パソコンや、あるいはスマートフォン版がリリースされるのを待つしかない状況が続いている。僕にはそれが、残念でならない。もっと簡単に人々が手にし、語り継がれるべき冒険が世の中にはたくさんある。せっかく揃えた「アーカイブ」や「バーチャルなゲーム機」ですら新しい機械で楽しめないだとか、そもそもそのリリースがぱったり止まるだとか、そんなくそったれな現状が嫌で嫌でたまらないんだ。

現行機はいい。まだ良いとしよう。だがサポートが終了し、ソフトやハードの販売が終わったゲーム機はただただ朽ちていくしかない。だとしても「動作さえするなら、冒険はまだそこにある」のである。それを人々はおおいに喜んで迎えるのだと、レトロフリークが証明したばかりではないか。

「ゲームを遊ぶためにゲーム機を仕方なく買った」のだから、その仕方なさからどうか人々を開放してください。ゲームの神様達。

そしてまだ見ぬ勇者達に、光をお与えください。