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ラブライブ!サンシャイン!!12話。聖地巡礼の果てに「私よ私になれ!」と彼女たちは叫んだ。

「μ's達は夏時点で廃校問題が解決していた」なんて、まあ様々な伝聞を経てまとまった事実なんでしょうけども、ちょっと彼女たちにはピリっとくる話でした。実際は7月のオープンキャンパス時点でのぞえりの加入(その時点で観客多数)→9月の学園祭の屋上ライブは大人気!という形。Aqoursは夏休みに入ってからの8月頭の花火大会でようやくお披露目ですから、一学期をまるまるメンバー集めと準備に費やした形になっています。

とまあ、そんなことを見透かしたかのように「それを言い訳にしてられない」と走り出す千歌ちゃん。一人部屋で悩む彼女が捉えたのは、始まりの春と同じように「μ'sのポスター」。いつも通りの行動力で、まさかの聖地巡礼が始まるのでした。(ここまでAパート)

 

Saint Snowについてちょっと話したい。

さて、Saint Snowの2人です。何故北海道代表の2人がここにいるのか?ロクに語られては居ませんし、名前付きのキャラでよその人達がこの2人しか居なかったからとりあえず出した感が満載です。が、とりあえずの説明はできます。

ラブライブ!】(大会名、以後紛らわしいため隅付括弧)の大会運営は、知名度向上の為にμ'sをニューヨークに送り出してライブを行わせる程の規模を持った組織です。Saint Snowは北海道予選をトップで通過したユニットであり、また前回のアイドルフェスにも招かれるほどの実力者。更にA-RISEを輩出した私立UTXが【ラブライブ!】(大会名、以後紛らわしいため隅付括弧)に一枚噛んでいない訳がない。更に更に【ラブライブ!】についての発表は秋葉原UTXビジョンで行われる。これらを合わせると「【ラブライブ!】の興行を更に成功させるため、著名ユニットを発表の場に集めた」のではないかという推測ができます。成り立つとは言いませんし、まあどうでもいい話なんですけど。

問題はここからです。スクールアイドルは何らかのポータルサイトを利用して動画投稿やファンとの交流を行っており、その人気ランキングや再生数というのは正に「人気」の定量化にほかなりません。この事については前作でも描かれた点でした。しかし、時が流れて幾分か「人気」というもの、ひいてはスクールアイドル活動する上での「ラブライブ!というものの存在は変質しています。

「次は勝つ」――勝敗を決する試合ではなく、スクールアイドルとはステージ上や時に路上でライブを行う舞台芸術や映像作品を発表していく活動のはずでした。しかしここで明確にSaint Snowは「A-RISEのようになるには勝って頂上から同じ景色をみるしか無い」と言い放ちます。【ラブライブ!】ありきの活動になっていくスクールアイドルの在り方に、千歌は「【ラブライブ!】勝ちたいですか!?」と問うものの、彼女らは取り合ってはくれません。ただ、「勝ちたくなければ、何故【ラブライブ!】に出るのです?」と返すだけでした。

Saint Snowの2人に対し、「なんて奴らだ」というのは簡単です。が、彼女らはただの噛ませ犬として出されたとは私は思いません。というのも、8話でダイヤが語った「レベルの向上」の代表例として酷く正しいものだからです。アイドルはファンが居なければ成り立たず、ファンの反応や数とは自分たちの実力そのものです。【ラブライブ!】は遊びじゃない。やる以上本気で挑め。本気で悔しがれ。物凄くざっくり言ってしまえば「ガチ勢」「必死勢」な訳です。それは劇場版で穂乃果達が「スクールアイドルは広がっていく」といった通り、多様化するからこそ競い合う人達も出てくる。そのギラギラした熱もまた、A-RISEの放った光を受け取るものに宿った輝きの一つだからです。

しかしその在り方は「アイドルとしての自分達で有り続ける。この素晴らしい舞台芸術に取り組み続けたい。だからプロの道を選ぶ」というA-RISEと奇しくも反対になっています。「自分達の在り方を続けるためにプロになったA-RISE」に対して、「スクールアイドル活動にプロ意識を持とうとしているSaint Snow」という構図です。これは穂乃果に対してA-RISEが語った事とも離れています。だけども彼女たちの外面……アイドルとしての姿は「誰よりも強くあろうとしてきたA-RISE」でした。憧れているからこそ正しく理解できない、だなんてまるで某少年漫画雑誌の斬魄刀漫画のようではありませんか。2期で上手く使えばもっと輝けるキャラだと思います。

 

妹の方の声優のセリフがちょっと聞くに耐えないのと、楽曲が趣味に合わないことを除けば、ですか。

 

 

音ノ木坂には何もなかった、けれど。

さて、UTXビジョンでの発表の後のAqoursの面々はどうだったでしょうか。「もう一度【ラブライブ!】」と叫んでいた、μ'sのメンバー達とは随分表情が違います。これから起きることが予想できなくて困惑したり、不安がっています。そこで梨子が切り出すのが音ノ木坂訪問でした。

もう「あの階段を駆け上がる」という時点で万感の思いがめぐるシーンです。それは作中の彼女たちにとっても同じこと。しかしながら待っていたのは、「何も残していかなかった」というあっけない現実でした。屋上に水で書いたサインのように、確かにあったとしても数年後の世界にはその存在のみが語り継がれるだけだったのです。だけども、その在り方は誰よりも彼女たちが「おしまいにします」と決めた時に望んだものでした。

それでも、名も知らぬ誰かですらμ'sを語り、今も学校へつながる道では子供が遊んでいる。誰かを「追いかけて見せる」んじゃなく、「勝つ」んじゃなく、ただ輝いてみせる。Aqoursの皆がありがとうございましたと頭を下げたのは、 かつての彼女たちだけではなく今も変わらぬ姿であってくれた音ノ木坂学院そのものにも。だったのかもしれません。

 

「なりたい自分」を思い描く。スクールアイドルがアイドルである限り避けては通れない道ですが、どうやら「誰かに勝つ」だとか「競う」ような自分にはなりたくはなかったようです。かと言って、「μ'sのようになる」では具体性に欠ける。μ'sはどうしてそうだったのか。

「誰かと比べない」
「追いかけない」
「一番になりたいとかじゃない」
「勝ちたいとかじゃない」

そうやって考えた末に出た答えは、「μ'sの背中を追いかけるんじゃなく、自由に走りたい」――純粋に「やりたいから」で始めた、穂乃果と同じでした。

 

Dear 穂乃果さん。

私はμ’sが大好きです。
普通の子が精一杯輝いていたμ’sを見て、どうしたらそうなれるのか?
穂乃果さんみたいなリーダーになれるのか?ずっと考えてきました。
やっと分かりました。私で、いいんですよね。
仲間だけを見て。目の前の景色を見て。
真っ直ぐに走る。それがμ’sなんですよね。
それが、輝くことなんですよね。
だから私は、私の景色を見つけます。
あなたの背中ではなく自分だけの景色を探して走ります。
みんなと一緒に、いつか!いつか!

 

「後追い」ではなく、「μ'sのようになる」のではなく、「私」になる。ラブライブ!の名を冠してここまで走ってきたラブライブ!サンシャイン!!は、ついに前作への別れを告げるのでした。それも「さよなら」ではなく、「ありがとう」の言葉を以て。

 

脱ぎ捨てられた練習着と誰も拾わなかった羽根を映してラブライブ!の劇場版は幕を閉じています。約1年前、『君のこころは輝いてるかい?』の冒頭で、千歌は舞い降りた羽根を掴むことなく、ただ見送ります。あれだけ前作で「羽ばたいて行く彼女たち」の象徴として描かれ、またラブライブ!サンシャイン!!のキービジュアルにも描かれた羽根。あの頃憧れるままに「わからないままで何とかなるさと」始めて、スクールアイドルが何なのかわからない状態でした。

1話でその羽根を連れてきた梨子(折りたたまれた制服の上に羽根が乗っています)と会うも、羽根は拾い上げられることはありませんでした。紆余曲折を経て、誰かのユメ――今作では2話で取り上げた梨子のピアノをはじめとした皆のユメ――を叶え、ついに自らのこうありたいというユメを描いた千歌が羽を手にします。

それは「私たちは駆け出します。新しい夢に向かって」と壇上で話した穂乃果と変わらない、清々しいまでの笑顔だったのです。

 

最後にクローズアップされた襖。日焼けがするほど太陽に照らされ続け、そして千歌が手をのばすほど憧れ続けていたポスターは剥がされ、彼女が新しい場所へ進む時だと何よりも雄弁に語っているのでした。

 

思えばラブライブ!2期が「最後まで駆け抜けるよ!」と歌った主題歌を筆頭に、スクールアイドルゆえの「終わり」を掲げて毎回毎回切なさを振りまいて来たのと同様に、ラブライブ!サンシャイン!!では「何が起こるか分からないのも楽しみさ!」と言わんばかりに圧倒的な「始まり」を毎回毎回叩きつけてきました。

毎週毎週サビで流れる「始めたいMy Story 青い空が待ってる」というフレーズが、僕は本当に大好きでした。

ありがとう。ラブライブ!サンシャイン!!

ほんとに、太陽が登るような眩しい三ヶ月でした。

今夜の最終話も、楽しみにしています。