他人の金の使い方をメルカリやブックオフに売れるかどうかで馬鹿にするのをやめろ

 ソシャゲやめろ。(中野区の挨拶)

 

ブックオフの真実――坂本孝ブックオフ社長、語る

ブックオフの真実――坂本孝ブックオフ社長、語る

 

 

 さて、タイトルで言いたいことは言ってしまったのですが、もうちょっと詰めて話しをしようと思います。

 私が散々ソシャゲを罵る時に使ってきた「ただのデータ」という言葉について、いろいろ考えてみたところかつての私への反論がムクムクと湧いてきたので書くことにしました。いわば「私vs私」の記事です。と言ってもこれはソシャゲに限らず、生きていく上での生活費以外の出費全てに関わりそうな話なんですけどね。

 

データに金を払う事

 iTunes、mora、e-onkyoのような音楽サービス。kindleやBOOK WALKERのような電子書籍サービス。映像。ゲーム。様々な物が2018年現在は物理版と並行してデータ版が売られている。ゲームも従来の売り切り型と並行してサービス型が運営されており、「ネトゲ」や「ソシャゲ」は後者に属する。

 この場合、人は何に金を払っているかと言うと、「コンテンツへのアクセス権」に金を払っている。アカウントに付与されたアクセス権は、概ねの場合手放したり譲渡することができない。100万円分書籍を買っていようが、40万円ソシャゲに費やしていようが、そのアカウントを売ることはできない。

 売れない。
 売ることができないものに物理版と同じ値段を払う。売ることもできないものに熱心に金を費やす。売れないのが良くない。本当に?手放してある程度のリターンの無い金の使い方だから馬鹿にしていいのか?

 実りがない。
 この場合の実りとは何だろうか。自身の今後のキャリアパスに関係しないという事?それとも何かしら業界に関わっていったりコミュニティで一定の地位を得て仕事を依頼されるような立場に成るということ?実りがない出費は慎みたいってどういう意味?

 それらは全然馬鹿にされるべき事じゃあない。本人が満足して楽しんでいるのだから他人がどうこう言う話じゃあない。趣味とはそういうものだ。

 

ゲームは私にとって最高の無駄だ。

 画面の中に踊る光とスピーカーから流れる音に一喜一憂する猿。極端なことを言ってしまえばゲームに限らず、映像だろうが音楽だろうがそんな風に滑稽なものだ。かと言って本が高尚とも言う気はない。熱心なカードゲーム愛好家に「そんな紙切れに」と言い放っても「そうだね、紙だね」で終わるのと同じで、ものの材質や媒体をどうこう言っても何の意味もない。

 つまりは体験だ。100円を払って「筐体の前に立ち、ボタンを6000回叩く」と言い表すか、「全部で18段階ある難しさで一番むずかしい曲を3回挑戦する」と言い表すかの違いだ。 2300円払って「2時間半椅子に座った」のか、「アベンジャーズ:インフィニティ・ウォーをIMAX 3Dで見た」のか。そうやって噛み砕いて行くと、データに金を払うとか、ゲームに金を払うのが無駄とか、時間の無駄とか、そういう言い方に何の意味も無いように私には思えてくる。

 人は体験に金を払っている。ならば費やした額や時間は既に「体験」として受け取り終わっているものなので、それを後からどうのこうの言うのも今を馬鹿にすることにも何の意味もない。馬鹿にされる謂われもない。何よりそれは他人の生き方そのものを嘲っているのと同じことだ。

メルカリで売れるかどうかで値踏みするのをやめろ

 誰にとって無駄か無駄じゃないかは、それに価値を見出すか否かに過ぎない。それは趣味に限らず、最低限でない食事や酒・タバコもそうだし、衣類や靴・装飾品だってそうだ。「データや紙束」であるのと同じように、「ナイロンやレザーやシルクやらコットンやら」に金を出しているという言い方だってできてしまう。

 リアルだどうだという点でも同じだ。趣味を通じて「友人」と会うか、その外で出来た友人との間に「趣味」を持ち込むかという違いでしかなく、リアルだバーチャルだという区分けの仕方は意味がない。そこには人間関係しかない。

 で、あれば最早残っているのはこれだけだ。

 買値が付く趣味=メルカリやブックオフで買ってもらえる趣味

 「売れもしないものに」だとか「実りのない浪費」だとかは、お前の趣味はメルカリで売れないから無駄だと言っていることになる。

 

 そんな事があるか。お前は何かを買う時にメルカリで売れることを前提として生きているのか。他人の人生をメルカリで売れるかどうかだけで判断しているのか。「そんな事にカネを使って」と言うのは、そういう事なんだぞ。

 

 だがこれだけはやはり言っておきたいのでこれでシメておこう。

 ソシャゲやめろ!