大変悲しいことに思い出の一品だろうが値段をつけるのは他人なんだ。

この仕事をしていると、いろんなものを買い取ることになります。大学に入って初めて買ったパソコン。買って見たけどしっくり来なかったApple Watch。ケースもフィルムも付けて大事に大事に使い倒したiPhone。本当に色々なものに値段をつけます。

 

「たかがぶつけ傷なのに」「ヒビが入ってるだけなのに」、それはそれはさまざまなお言葉も頂戴する。しかし、どう申されましてもお客様。私共は時間をかけ、それはこの値段であると査定いたしました。それをこのモノに纏わる壮大なストーリーを語られたところで、あなたがどう扱ったかを述べられたところで、それはひっくり返りはしないのです。

 

極めて簡単な話で、「この品物はこんな風になってしまっている。だからこれにはこの金額しか出せない」という事だけが重要だからです。ケースを付けていてもメンテナンスしないならカメラ周りに痕がつき、時にはケースそのものが本体にハニカム状の痕をつけていく。割れたままのガラスフィルムは剥がしてみれば周囲に夥しい引っ掻き傷をつくるし、手荒に扱った証にUSB端子の周りは何度もケーブルを挿し間違えたせいでもうズタズタ。何処で圧迫したかは知りませんが、画面は白を均一に白く映し出すことも出来なくなり、バックライトが不良を起こして異常に輝いてる場所がここにもそこにもあるでしょう。

 

私の仕事はブルセラじゃあありません。陳列する商品に前のオーナーの情報もどう利用していたかも書きはしないし、そいつは余計な話でしかない。今、モノがどうなっているか。ただただそれだけが重要なのです。

 

そう、お客様からすれば、何万円も出した道具が二足三文にしかならないのは大変腹立たしい事でしょう。まだ動きはするのに買い取ってももらえないだなんて、理不尽に思う事でしょう。しかし、それはあなたにとっての話。他人がそれだけの金しか出さないと言ったら、自分がどう思っていてもそこでその話はおしまいなのです。

 

新品や美品と同じ棚にそれが並び、買い手であるお客様の検討に加えてもらうためには、「値段」という絶対の尺度で勝負するしかない。そこで設ける価格差を何処でつけるのか。それは買い付けるその時しかないわけです。

 

まだ動くと言われてもWindows Vistaはもうサポートが終了してしまいましたし、スマホだってiPhone SEとP10 liteやnova 2があんな値段の上、各キャリアがどいつもこいつもタダ同然のバラマキ合戦。破格と言ってもいい選択肢がこれほど世の中にあるなかで、そのモノにはこれだけの価値しかない。それが、私共の提示する「査定結果」です。

 

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亡くなられた方の遺品整理に携わることもあります。ご家族の方がなんとかパスワードを入力し初期化を行い、もうこの世にいなくなってしまった誰かが使っていた道具達。それにも私は値段をつけていきます。これは凄くいいデジカメなのにシャッターが1000回も切られていないから、満額。これは最新のタブレットなのに50回も充電されておらず、状態も良好。満額。聞けば病気が治ったらカメラを持って奥様と旅行に行くのだとご主人は楽しみにしていらしたと。タブレットはなかなか外出もままならなくなったご主人がパソコンやガラケーが負担になってしまったからと、一番多くてペンも使えるものを買ったのだと。そしてご主人は奥様と旅行をすることはなく、この世を去られたのだと。

 

傷がついたり経年劣化していたものは、これこれこういう理由だからこれ以上は出せない。これはとても状態が良かったから満額。しめて数十万円。これでいかがですかと問う喉が震える。私が今から買い取るのは、誰かの残した形見の一つ。しかし仕事である以上、機械的にならざるを得ない一線が確かにある。道具はただの道具で、それを次の誰かは幾らでなら買ってくれるのかを常に考えねばならない。例えそれが、思い出の一品であっても。

 

私は今日も、モノに値段をつけている。