「iPhone3GS使いがXperia X10を使ってみた」を書くにあたって、PSPとWMを振り返る。

はっきり言おう。
私はappleのデザインが好きで、PSPXMBが好きだ。
そして、不親切なユーザー・インターフェースというものが大嫌いだ。

PSPを初めて触った時、なんて簡潔でシンプルなUIだと感動すら覚えたものだ。


それは、軽快な反応であったり、設定画面の分かりやすさであったりした。当時のポータブルプレイヤーの液晶と言えば、変に綺羅びやかなバックライトに文字が浮かび上がるLCD。へんてこなボタンがごてごてとついたリモコンで指示を与え、反応を確認するものと言えばビープ音と一文字ずつLCDを流れていく曲名だけだった。それがSONYにかかればどうだろう、フォルダの行き来も簡単だし、管理ソフトだって必要がないから出し入れだって自由自在。動画の再生だって音楽を聞くような気軽さで出来るしね。

そして特筆すべきは無線LANで体験版を落としても「それが何処に行ったかわからなくなる」ということが無いって事だ。Windowsも今ではユーザーフォルダの真下に「マイ ダウンロード」なんてフォルダを置いてるけど、昔はマイドキュメントに何でも放り込んだりしてて「保存したはいいが結局あれは何処に行ったんだ?」なんて探すハメになったりしたわけで、体験版をDLしたらちゃんとXMBの[ゲーム]の所にいてくれるって言うのは革命ですらあった。というのは、言い過ぎだろうか?

2008年に私が手に入れた端末。それはWindows Mobile搭載スマートフォンだった。

正確にはWindows Mobile 6.1 Standard搭載スマートフォン。タッチ操作には対応せずボタンだけで操作するという、ガラケースマートフォンのいいとこ取り……に見えたのだ。当時の私には。

写真で解説する「Dual Diamond」(S22HT) (1/2) - ITmedia +D モバイル

ごつごつしたフォルム。おなじみの方向キーと決定キー。そしてスライドすれば現れるフルキーボード。当時青空文庫にドハマりしていた私には、夢のような端末に見えたのだ。これで二次創作SSや青空文庫を読み放題だ……と当時の私は喜んでいた。

写真で解説する「Dual Diamond」(S22HT) (2/2) - ITmedia +D モバイル

上記のURLの記事で、Windows Mobile(以下WM)と言う物のUIを見ながらこのエントリを読み進めていただきたい。
WMはデスクトップ用OSであるWindows同様、「野良アプリ」というものが使える。というか、「野良アプリしか無い」のがWMだった。そもそもアプリを手に入れる為にググったりwikiを見てDLページに移動してダウンロード、本体のSDカードに移動させてインストール作業をし、それでようやくアプリを使えるようになる。それがWMのアプリという物だった。Windowsでは恒例の「クイック起動」も無いので、利用者は使いたいプログラムを「すべてのプログラム」から参照しないとならない。標準のブラウザであるInternet Explorerに至ってはメーカーであるはずのMicrosoft社のwebサイトをまともに表示できない欠陥品であった。

「何かがしたい」と思った時に一覧からアプリを逐一漁らなければならないというのは非常に面倒だし、ウィジェットのカスタマイズも出来ない。(厳密には出来るのだが、xmlファイルを編集しなければならない。)アプリの更新通知なんてものもなく、逐一作者のwebサイトを回らなければ新Verの導入もままならない。QRコードのリーダーも無いし、メールだって「Outlook Express」のモバイル版だから使い勝手は推して知るべし。ネットの閲覧に至っては間にサーバーを挟んでのブラウジングとなるOpera Miniが一番という有様だった。文字もまるでIE6を使っているかのようなガタガタさで、とても今のandroidiOSデバイスのような使いやすさや綺麗さなんてものはそこにはなかったのだ。

Windows Mobileはもともと4インチ程度のタッチパネル式液晶ディスプレイを備えた端末のOSである。片手で本体を支えてタッチペン(スタイラス)で操作するスタイルは、そのままアプリ自体の作りにも繋がっている。だから、同じWMだからと言ってアプリを動かしたとしても「開く」ボタンを押すことすらままならないのが、このタッチ無しWMである「Standard」の宿命だった。この端末の解像度が240×320ピクセルと狭かったのも不便化の要因を担っていた。というのも、Standard向けアプリを喜び勇んでインストールしても画面に収まりきらず「見切れ」てしまうことも多かった。

もちろんアプリケーションを入れ替えたり、外出先で青空文庫をDLして宮沢賢治芥川龍之介を読んだり、Googleカレンダーと予定表を同期したり、連絡帳をOutlookGmailと同期するという体験は素晴らしかったし、Twitterクライアントだって無い訳ではなかった。しかし前述の理由も相まって、WMでは「出来る」止まりだったのである。漕げば走るからと言ってペダルの重い上に変速機構もなくブレーキの度に甲高い音を立てる自転車や、引けば切れるからと言って切るのにやたら力が要る上にすぐ刃こぼれするような包丁と同じで、私にはあまりに「使いにくかった」のだ。

作りがチャチで触っていて気持ちの良くない道具を、人間は喜んで触りたがらない。

家にいるより道を歩いている時のほうがメールのやりとりが快適!というイーモバイルの電波状況もあいまって、私はこの端末にあまり触ろうとしなかった。そんな不快な状況が続き一年。突然の別れが訪れる。2009年大晦日のアルバイト中に誤ってバケツの水をズボン越しにたっぷり飲んでしまったS22HTは、息を吹き返すことがなかった。彼は1年の短い生涯を終えたのである。

年は明け2010年。世の中はiPhone3GSの便利さを謳い、4の噂に浮かれ、まだ見ぬSONYandroidスマートフォンへの期待を高めていた。そんな時代だった。「もう我慢出来ない。」私が2010年の正月にiPhone3GSを買いに走らない訳が無かったのであった。斯くして私はiPhoneを手に入れ、世間一般のApple信者のように「使いやすさ」を手に入れたのである。iPhoneの使いやすさについてはまた別の機会に、androidも交えて話すことにしよう。
(次回から「iPhone3GS使いがXperia X10を使ってみた」をお送りします。)