百見は1プレイにしかず。あるいは「他人の物語で物を語るな」というだけの話。
ハロー、親愛なるゲーマー諸君。一か月ぶりだね。ジョン・ヘンリーR-Gray大統領だ。少し話をしたい。
最近、とあるゲーム記事……正確には、他人のプレイ実況動画とwikipediaを貼って「こんな風にトンデモらしいっすよ」と書いただけの記事がなかなか注目を集めております。ここで問題とされるのは「遊んでいない事」。即ち「エアプレイ」で何か語ってしまった事です。
ゲームとは創作物を食べる娯楽の中でも特殊なもので、「インタラクション」すなわち相互作用により成り立っています。映画や読書に音楽と違い、ゲームはプログラム及びそれを通じた他人との相互に作用しあう事によって展開していきます。つまりプレイヤーはただの「受け手」ではなく、正に"play-er"なのです。
「プレイしていない」ことが、着火の原因説。私は、ゲームのレビュー記事は書かないので、味知の領域ですが、「プレイしてない」というのは、禁忌なのかも知れない。 最近は、実況動画とか、プレイ動画とか増えているから、プレイしないでレビュー書くこともできそうだけど、どうなんじゃろうか…。
プレイしないでレビューを書くなどというのはあり得ません。 何故ならば、プレイ動画というのは何処まで行っても他人のプレイでしか無いからです。自身の経験に基づかないレビューは「○○さんはこう難しいと思ったらしい」「○○って人はここが楽しかったらしい」と只の伝聞の塊になります。直接ゲームに触れず、コントローラを握らなかった者にゲームそのものを語る権利はありません。
他のものに例えると簡単に飲み込めるかも知れません。「見てない映画について他人の感想を元にクソ映画だと言い切った」「行ってもいないレストランを他人の食べログ感想を元にゲロマズな店だぞと言って回った」だとか、プレイもせずに書いたレビューというのはそういうのと同等の行いになります。もう一度言いますが、「プレイしないでゲームのレビューを書く」というのは、あり得ません。
そういう事を嬉々としてやってる人々や、そういうゲームのスキャンダル情報を取り上げて煽るブログが存在するのも事実です。ですがそれは何処まで行っても、何を言っても「遊んだ事のない人の意見」でしかありません。だってあなた、遊んでないじゃないですか。ゲーム。「つまらなさそう」「酷そう」「ダメそう」だとしても、「つまらなかったのだろう」「ここが酷かったに違いない」「こんな所が駄目だったと思われる」と言い出すと知ったかぶりとなります。
「そのゲームの話をするな」という訳ではありません。話題にするのは問題では無いのです。しかし「語る」となると話は変わります。「誰が買うんだこんなゲーム」と、他人のプレイ動画を引っ張ってきて、遊んでもいないのに語ってしまったのです。シメに「欲しくなってきた」と言おうが、何処まで行っても遊んでいない人の文章でしかありません。
そもそも知名度だマイナーだというのは「ゲームそのもの」の事を語るならば、「プレイヤーである自分とゲーム」という一対一の関係に入る余地が全くなく、必要ありません。しかも「誰が買うんだこんなゲーム」という言葉は、ゲームと共に実際に買って遊んだ人間すら馬鹿にしている非常に強い言葉ですから、燃えるべくして燃えたとしか言いようがないでしょう。本人にその意図があろうがなかろうが、言葉を選べなかった時点で情熱もクソもへったくれもありません。という訳でこの言葉を贈らせてもらいます。
エアプ乙です。
追記:
遊んだ人の記事です。

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Amazonで現在中古2120円です。どうでもいいですがADVで6万本は売ったって事は昨今の基準からするとうたプリとかダンガンロンパ2の初週売上ぐらい売ってる訳で、更にCESA GAME AWARDS(現:日本ゲーム大賞)で優秀賞を受賞したゲーム相手にマイナーだの誰が買うんだだの言う事でもないような気もしています。