ラブライブ!サンシャイン!! 1話。千歌の空回りと「輝き」とは。

私は、ラブライブ!の為に東京に来た。
そしてこの夏、私は東京で青春まっしぐらの「眩しい夢」を目撃する。

ラブライブ!サンシャイン!!が始まったのだ。

さて、この記事では1話の千歌の空回りと「大人気のスクールアイドル」について考えてみようと思う。

完璧なラブライブ!1話の立ち上がりと比較すると盛大な肩透かしのラッシャイ1話

ラブライブ!サンシャイン!!といちいち書いてると長いので「ラッシャイ」と略すことにする。

ところでラブライブ!1話の立ち上げ方は、控えめに言って神であった。

 

  1. 音ノ木坂が廃校の危機にある事が分かる(最終目標の提示)
  2. 音ノ木が大好きな主人公は廃校を阻止したい(主人公の原動力)
  3. スクールアイドルを立ち上げて知名度を上げることを思いつく(手段)
  4. 超高校級のデザイナー、及びスクールアーチャーが加入する(同じ志を持つ仲間)
  5. ミトメラレナイワァ(ぽんこつ)
  6. 私、やっぱりやる!やるったらやる!

神である。ススメ→トゥモロウによるシメも相まって神である。何が良いってこの時点で既に3人のファンになってしまうのだ。この3人が何かやるんだなあっていうのが分かるのだ。A-RISEのシーンで稲狂いこと小泉嬢や音ノ木の妖怪YAZAWAが顔見せしているのも素晴らしい。こいつらもアイドル好きなんだなと一発で分かる。

ラブライブ!にはまさに現代の立志伝もしくは英雄譚としての魅力が詰まっていたのだ。

 

さて、ラッシャイである。

 

ラッシャイ1話は終始、高海千歌が空回りし続ける。そこには「μ'sという一つの光を見た」なる、原動力の提示しかない。1話のタイトル通り「輝きたい!」という燻りだけが転がっている。故に、未だに物語は転がり出していない。肩透かしのまま始まる特殊EDの『決めたよHand in Hand』にもどこか上滑りした感じがある。

この空回りは何なのか?

 

「大人気のスクールアイドル」?

 作中で千歌が言う事に対して、大人はおろか同じ生徒たちでさえ耳を貸そうとしない。そしてよりによって音ノ木出身の梨子によって、「大人気」というのは否定されてしまうのである。おお、嘆かわしや。前作では女子中学生が出待ちをする様すら描かれたというのに。

「大人気」と言っておきながら千歌はその「知っていて当然」という前提で勧誘を行っている。これでは人がついて来ない。彼女は動画を見たから凄い凄いと言っているだけで、道行く人はその凄さも、スクールアイドルの素晴らしさも知らないのである。

前提からして、彼女は空回りしていたのだ。

千歌がすべき事、それは「自身の輝くステージを人々に見せる事」だ。

ラブライブ!1期3話の素晴らしさはそこで、あの0人のライブを後のメンバーが目撃している事にある。3人のファーストライブから、誰も目を逸らすことなど出来なかったのだから。

千歌には、何もない。目標も、目的もない。あるのは「輝きたい!」という夢だけだ。言ってしまえば、廃校という危機はそこに無く、手段としてのスクールアイドルもそこに無く、寄り添う仲間と言えば渡辺曜ただ一人。それでも彼女は手を差し伸べる。やっと出会えた夢に向かうために。

ラブライブ!を下敷きにした上でラッシャイはまさにもう一度「学校でアイドル?」というところから始めようとしている、のかも知れない。3話までで一度ぶちかませるのか、今から楽しみで仕方ない。

投げた石の跳ねた数
梨子と話しながら千歌が投げた石は、水を切って跳ねていく。その数は、8回なのだ。千歌を除いて残りは8人。これは決して偶然ではないだろう。彼女が見つけた新しい夢の欠片は、他の8人の心にどのような波紋を呼んで行くのだろうか。
 
様々な意味で完璧では無いスタートを切ったラッシャイに、どうか眩しい夢が待っていますように。
 
1年トリオの出番が多ければいいなあと思いながら、待て次回。