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「君の名は。」を観た時の記憶が薄れる前にマッキーで殴り書きするようなブログ記事をここに残す。

君の名は。』観ました。

 

物凄く真っ直ぐな「ジュブナイル」を見せて貰えた。本当に良い映画でした。情け容赦なくネタバレするのでネタバレフォビアの人は今すぐこの文字を見た時点でブラウザを閉じPCを破壊しスマホを放り投げタブレットを四つ折りにしてください。

いいですか。

いいですね。

 

さて、『君の名は。』の話をしたいと思います。この手のにありがちな「入れ替わりの巻き起こすトラブル」の部分を『前前前世』をかけながら軽快にパパっと済ませる時点で凄いなと思いました。普通、入れ替わりの引き起こすトラブルが深刻化(それこそ人との約束をすっぽかすだとか、学校やバイト先や家族との間で現状が危うくなるような大きな失敗をしてしまう)することにより解決せざるを得なくなるとか、何らかの不快感・ストレスの解決のために会いに行ったりしたはずです。

が、瀧君は違う。そういうゴタゴタではなく、「何故か入れ替わる事がなくなった。記憶の中にあるあの街に何としても言ってみたい。話してみたい」という大変ポジティブな理由でした。場所が飛騨にあることを突き止めるのも、三葉ちゃんがバイト先のイタリア料理店で彼女なりに頑張って取り付けた先輩とのデートの中で見つけた写真というのがまた「互いの行動が絡み合っていく」という感じで大変良かったです。

そしてティアマト彗星。実は同一の時間上で入れ替わっていたのではなく、時を越えて入れ替わっていた事が判明する場面の話をします。どうやら世間では「あの瞬間まで瀧くんが彗星のことを忘れているなんて」という事がひとつの引っかかりポイントになっていたようですが、僕にはそうは思えませんでした。というのも、彼は都会も都会の新宿区の四ツ谷駅周辺住まいで、バイトと学校通いに忙しいただの高校生。中学生時代起きた、500人が犠牲になった災害やその詳細な地名まで彼は覚えちゃいないでしょう。

僕だって、東日本大震災で住民の半分が流されてしまった町があったことは知識としては覚えていても、その町の名前を今や思い出せません。ましてや、そんな「日本の片隅でそんな事があったかもしれないなあ」とぼんやりと覚えていたことが、自分に関係のある範囲での現実とリンクするなんて、失礼ながら想像がつきません。

少しずつ「夢だった」と記憶が揮発していく場面で、手首に巻いた組紐をみる瀧君。「誰がこの紐をくれたのか」を手繰り寄せ、その人が「瀧に記憶が無いにも関わらず、3年前のあの日の前日に逢いに来てくれた三葉だった」と思い出してから山登りを敢行するのがまた頼もしい。ラーメン屋の店主の人の良さもそうですが、瀧君が入れ替わりの中で目に焼き付けてきた糸守の風景とそれを描ききった彼自身の想いに答えたのもありましたよね。「あらあ、良かった」って。

 

「結び」という言葉で表現された「因果」や「輪廻」、僕はそこに『陰陽師』(著:夢枕獏)で使われた「呪(しゅ)」と同じものを感じました。「呪」とは関係性であり、思いであり、そして最も短い「呪」は「名である」と作中で安倍晴明は言っています。一介の高校生に過ぎなかった瀧君が、何の因果か糸守の山中の神域に辿り着く。その「結び」を更に強め今一度「3年前」に戻るため、三葉の口噛み酒を飲む=彼女を身体に入れる。ああ、瀧君。どうしようもなく主人公です。

ちょいとここでオカルト方面に振りすぎた感は否めません。とは言え、ここで只の「何らかの受け皿」ではなく、自ら一歩踏み出した故に三葉の全てが流れ込んできて、そして彗星の日に戻る。糸守を救えずについに1200年経ってしまった「今」をようやく救うのは、ティアマト彗星が天を駆けるあの日にリンク出来た瀧君だけです。

ココらへんの超常現象の話は、作中で詳細には語られません。町長と一葉ばあさんが少し語るだけ。私は別にそれでも良いと思います。マユゴロウの大火で何もかも焼けてしまって、それでも絶やさぬようにと紡がれた糸。それが「3年前の10月4日」へ結ばれる。彗星のように美しいじゃないですか。

 

ドタバタの入れ替わりの序盤、入れ替われなくなってから御神体へたどり着くまでの中盤、そして終盤とエピローグ。ドタバタの序盤のみに予告を絞っていたのは割りと正解だと思います。ほんと、中盤からが大事なので。

 

さて、瀧君が三葉の中に入って3年前の世界を変えようとしても、彼には人の心ひとつ変えることは出来ませんでした。ココらへんの孤独な戦いは時間遡行物の醍醐味です。というかここに至るまでの所、オカルトというかファンタジー面に振りつつSFな描き方もちゃんとやってました。

2人が(というかどちらの肉体も神域へ持っていったのは瀧君ですよね。お疲れ様です)幽世に足を踏み入れ、更に訪れたカタワレ時。どうしようもなく惹かれ合っておきながら、2人が直接会話したのはあの数分間だけでした。特に、日をずらすことなく年だけをずらして「彗星の日」を迎えた三葉ちゃんにとっては、瀧君ほどの「結び」はなかったはずです。あったのは宮水の血筋と、少し不思議で楽しかった東京での日々だけ。それでもティアマト彗星の傷跡を見て自らに訪れた結末を悟り、瀧君に渡した組紐を受け取った後は彼女の物語がスタートするんです。

 

幽世に足を踏み入れたものは、いちばん大事なものを失わなければならない。一度出会い、言葉を交わした筈の彼女らが差し出しだのは「結び」そのものであり、最も短い「呪」である「君の名」でした。あんなにも大事だった、大切な「君の名」を忘れ、どうして「神域」に居たのかも忘れ、何故「糸守」の事があんなに気になっていたのかも忘れていく。瀧君はマッキーで書かれる前にカタワレ時が終わってしまったので、「糸守」という地や「誰か」に焦がれていたといううっすらとした「結び」だけが残りました。彼の時はそのまま、5年後(恐らく大学4年)の時まで流れていきます。3年の時を経て自らの手元に戻った組紐と、マッキーで書かれた三文字。三葉ちゃんには瀧君と比べると強めの「結び」が残りました。

なんてことのない一本の組紐。 だけども、幽世で手渡された3年の月日を経た組紐を身に着けた三葉ちゃんは、例え瀧君の名前を忘れても、何故渡されたのかを忘れることはありません。

終盤、世界各地で砕ける彗星を人々が見ながら思っていた事は「美しい」でした。美しい。ただただ美しい。その光景の真下で、町がひとつ消え行くなんて知っていた人間は誰一人いませんでした。そんな流れ星から人々を救うため、何らかの形で「未来からの知識」を得た少女が、ただただ、走る。

運命だとか未来とかって 言葉がどれだけ手を伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする

『スパークル』の流れるクライマックスは、本当にただただ「美しい」としか言いようのない光景でした。『秒速5センチメートル』の桜のように、『ef』や『言の葉の庭』の雨のように。

 

さて、エピローグです。正直、僕はここから一番手に汗を握っていました。このまま瀧君は「可哀想なことに500人弱を救った救世主だと言うのになんかすげえ気になるって呪いをかけられたまま新宿でさっぱりしない人生を送っていくのだエンド」を迎えるのかと。

5年を経て、周囲の人も変わって、糸守で逢った2人も結婚して、自分だけがもやもやした何かを抱えたまま結果を出せず幸せになれない。そんなビターエンドでまた新海誠は終えてしまうのかと。歩道橋ですれ違う2人のシーンなんか、もう「絡まれ!」「交われ!」「紡げ!」って必死に祈っていました。

 

で、アレですよ。

 

俺達の総武線が2人を引き合わせるんですよ。

 

もう、お互いに気づいてから僕はただでさえボロッボロだったのに、泣きっぱなしでした。そうだよね。「結び」って、「呪」ってそういうものだよね。一度階段ですれ違って、やっと出た言葉。そして堂々のタイトルロゴ。「君の名は。

 

新海監督。

僕がYs2エターナルのOPを見たり、『ほしのこえ』のDVDを観て感動してから、15年近くの月日が経ちました。efのOPムービーは、本当に馬鹿みたいに毎日繰り返して見る時期だってありました。そしてまた今日、あなたの最高傑作を目にし、ボロ泣きしている僕が居ます。

こんなエモいにも程があるものを見せてくれて、本当にありがとうございました。

 

君の名は。 Another Side:Earthbound (角川スニーカー文庫)
 

 

君の名は。(通常盤)

君の名は。(通常盤)

 

 どちらもKindle版及びiTunes版を速攻で買いました。
二回目が、本当に楽しみです。