クッキークリッカーという名のゲームポルノについて

二年前。

人々は。
狂ったように。
クッキーを。
 
焼いた。
 
Bake to the future.
 

剥き出しのゲーム

 
ゲームとは双方向性の娯楽である。インタラクティブな娯楽である。この場合のインタラクティブとは何か。
 
クリックすると、クッキーが焼ける。
 
プレイヤーがクリックすると、クッキーが焼ける。これはインタラクティブである。ボタンを押すと数字が変わる。影響が及ぼせる。楽しい。
 
物を買う。クッキーの生産量が増える。クッキーの生産量が増えるということは更に物が買えるということだ。数字がどんどん増える。楽しい。
 
そのうちプレイヤーはある事に気付く。クッキーの生産量は、費やした時間に比例する。即ち、クッキーとは時間を変換して得られた数字である。クッキーは時間を費やさねば得られない。
 
プレイヤーはどの設備を、どのタイミングで、どう購入するか考えだす。どうすればより効率的にクッキーを焼けるのか。いつ、いくらの物にクッキーを支払えばそれの元は取れるのか。クッキーは投資となった。楽しい。
 
プレイヤーの目の前に、ランダムに金色のクッキーが現れた。クリックすると、クッキーがドバーッと溢れ出した。楽しい。異様にクッキーが増える。楽しい。
 
そして気付くと、プレイヤーの目の前にはとにかく放置しないと買えないほど高価なアイテムだけが残った。最早1クリックではさして世界に影響が無い。手応えがない。変わらないものに関わっても面白くない。
 
その時、プレイヤーはクッキークリッカーをクリアする。
 

ゲームポルノ

さて、クッキークリッカーとは何なのか。
あれは、剥き出しのゲームである。クッキークリッカーはまごうこと無き、ゲームなのである。
 
例えば日本のRPGのことを考えてみよう。敵と戦う。なんやかんやあって倒す。金と経験値が手に入る。その結果強くなる。楽しい。
 
バトルとは金と経験値を増やすための儀式に過ぎない。「レベル」も「装備」も「スキル」も「金」も、全てはプレイした時間を変換したものである。時間をゲーム内に物質化し、ゲーム内の数字にしたものである。
 
つまり、クッキークリッカーと本質的には変わらない。与えられるダメージが大きくなる楽しさも、クリティカルの爽快感も、整っていく準備の楽しさも、クッキークリッカーは全て内包している。
 
行動すると数字が増えることは楽しいのだ。己の行動が蓄積されていく様を見るのは楽しいのだ。普段はそれを冒険というたのしいおはなしや、装備というアイコンや、キャラクターという泥人形が覆って演出してくれているのである。
 
それをクッキークリッカーは、あまりにも露骨に、目の背けようがない程につきつけてくるのだ。
 
最早それはポルノだ。
「ゲームの楽しさ」をそのまま短時間で濃厚に消費するためのポルノだ。
クッキークリッカーはゲームポルノ以外のなにものでもない。
クッキーを採掘し、タイムパラドックスを解決し、ババアの意識を統合し、光をクッキーにするポルノだ。
 
 
そして一部のプレイヤーはとある考えに至る。
「クリックを自動化出来るのではないか?」「フリーソフトで1秒に1000回クリックするとかあるんじゃね?」
「ここに僕がいる必要はあるのか?」
 
チートである。
時間を変換するしかないと気付いた一部の者は、システムをハックする。ゲームというプログラムを、プログラムにし尽くす。
どう入力すればどう出力されるのか。
それはある種、ゲームに最も誠実に向き合う者である。
 
そして当然のように、彼らを非難する者も現れる。
「そんな風にして何が楽しいのだ」
「そんな風に焼いてもゲーム寿命を早めるだけで勿体無い」
「そうやって遊んでもなんにもならない」
「自分で焼いてこそ達成感がある」
クッキークリッカーというゲームが、そんなゲームだと突きつけられたからこそ、人々はチートを嫌悪する。
 
 
クッキークリッカーをゲームと呼んでいいのか、あんなものをゲームと呼んでいいのか、僕は今でも少し躊躇う。だが、あの時。人生のうち数日をクッキーを焼くことに費やしたあの時間。たしかに私はクッキークリッカーというゲームを、ゲームとして大いに楽しんでしまったのだ。
 
ああ。
勇者の冒険は、クッキーだったのだ。
出来上がっていく街は、クッキーだったのだ。
叩き出したダメージは、クッキーだったのだ。
艦娘も鎮守府も、クッキーだったのだ。
アイドルもプロダクションも、クッキーだったのだ。
課金ガチャもSSレアも、金色のクッキーだったのだ。
 
 
あなたはどんなクッキーが好きだろうか。
クリームを挟んだものだろうか。
アーモンドを混ぜたものだろうか。
育成だろうか。
コレクションだろうか。
スキル制だろうか。
ハクスラだろうか。
ローグライクだろうか。
装備の充実だろうか。
アイドルだろうか。
光の戦士だろうか。
サーヴァントだろうか。
ババアだろうか。
 
クッキークリッカー
あの日焼いたクッキーは、ゲームの歯応えの正体を暴いてしまった。
チョコチップのほろ苦さと共に。

メタルギアライジングリベンジェンスめちゃめちゃ面白いじゃねえか

PC版メタルギアライジングリベンジェンスをクリアした。

 
メタルギアソリッドは1とインテグラルと2とサブスタンスと3とツインスネークスと2HDと3HDとHDに入ってた初代とピースウォーカーとゴーストバベルしかやったことが無い。
つまりアシッドも4もオンラインもやって無い。
 
そーいう人間が、2015年にもなって20ドルでPC版を買ってやってみた結論はこうである。
 
 
 

受け継がれるミーム

ああたらこうたら言われていたストーリー展開、僕は大好きだ。
サイボーグ連中は皆、揃いも揃って「戦いの中でしか自分を表現できない」「戦いの中でしか生きられない」ような奴らだ。戦う直前直後にメタルギア特有の豆腐メンタル化した主人公へのキレッキレの説教は健在だし、その変態度合いも凄くいい。
てちてちくっついてきて偵察役をやってくれる犬も良いキャラしてる。可愛いよねえ。
 
 
そして豆腐メンタルの雷電。ムービーやイベントでは建物を垂直に駆け上がったりウォールラン出来ちゃうのにプレイアブルシーンではひょこひょこジャンプしかしないあのヘタレ。
あいつはああやって育てられた(2の主軸だ)訳だし、そうやって受け継いでしまったものを捨てるんじゃなく受け入れて次に"活かし"ていくという話は、決して誰得シリアスでも何でもない。モンスーン戦の吹っ切れるシーンの「Jack is Back」なんか最高にシビれる描かれ方だったと僕は思う。
 
己の振るう暴力や、戦う相手についてひとつも考えないヒーローなんてのは嘘だと僕は思う。考えて、覚悟を決めて、「それでも」と武器を手に取り拳を握る。それでこそヒーローなんじゃないかな。そうやって、大衆の為の英雄が要らなくなった世界で、もういちど誰かが「ヒーロー」を描き、また誰かに伝える物語。それは紛れもなくメタルギアミームなんじゃないかなと、雷電の後ろ姿を見ながら考えたのである。
 

上院議員という世界の遺物

さて、メタルギアライジングリベンジェンスを語る上で外せないのがアームストロング上院議員である。一応、本作のラスボス。メタルギアを降りたほうが明らかに強いメガネ。鍛え方の違うメガネである。
 
このアームストロング上院議員、本筋の裏で何をやってたかというと「戦争が管理され、経済として行われる現代をぶっ潰す!個人がその思想、理想の元に戦う世界を作る!」っつー、杉田やらなんやらが聞いたら泡吹いて倒れそうな野望の為にウキウキで動いていたのだ。
 
 
かつてのメタルギア世界の大統領であるソリダスは、「愛国者」によって情報統制された世界を開放し、サンズオブリバティとなることを望み、そして死んだ。ソリダス亡き後の世界。「愛国者」なき世界。しかし、マスコミの情報に踊らされる衆愚は衆愚のままだった。それを見ながらこの上院議員は「情報強者め!」と宣い、真に人々が戦える世界を作る為に戦うのだ。……というのは、なるほどメタルギアのラスボスである。
何の言い訳も出来ないぐらい、メタルギアのラスボスである。
 

 
正直、リキッドやソリダスの演説にも負けない説得力だ。そして、リキッドやソリダスに負けない魅力を持ったボスである。その理想が成った時、世界はその痛みに耐えられず、多くの血が流れるだろう。弱者は強者の理想の為に虐げられるだろう。確かにアメリカに育てられ、アメリカを体現した男かもしれない。
 

 
だが、同じように「アメリカに育てられ」「アメリカに殺しを教えられ」「アメリカを受け継いだ男」である雷電は、アームストロングと鏡に写したように相似でありながら、決定的に正反対だったのだ。即ち、雷電は「弱きを助ける」為に刀を振るうのだ。
 
決定的に正反対だとわかったなら、やることは一つ。歴史は生き延びたものが作るのである。
 
彼がきちんとシナリオに絡むのは、最終チャプターだけだ。それでも彼がプレイヤーに強烈な印象を残すのは、「余りに正しすぎる」その筋肉と眼鏡と笑顔があるからだ。
 

 
システムは、放っておいても生き延びる強者のためでなく、システムが救わねば搾取され死んでしまう弱者のためにある。そのシステムすら破壊しかねないのなら、倒すしかない。メタルギアライジングリベンジェンスのラスボス戦は、そんなありとあらゆる物が詰まった炎と筋肉と斬鉄剣のバトルである。燃えないわけがない。
 

 
雷電は「誰かを助ける」というあまりにも"人間過ぎる"純粋な願いを叶え続けるために、人間の身体を失っても戦い続けることを選んだ。個人の枠を大きく超えた力を保ち、「ヒーロー」として、新たな世界のシステムとして「俺の戦い」をおっ始める瞬間で幕が降りるメタルギアライジング。スタッフロールの始まりに僕は小さな拍手を送っていた。
 

 
長々と書いたが、メタルギアライジングリベンジェンスは間違いなく、どうしようもなく、メタルギアなのだ。
 

あと一歩及べなかったシステム達

さて、そんな血(国内版ではケフィア)と筋肉の物語であるメタルギアライジングの背骨であるバトルシステムの話に移りたい。
 
メタルギアライジングは2000年代の3Dアクションの総決算であり、決定版のようなゲームだ。だが、それ故に、どこか一歩進めなかった所も散見されてしまうゲームでもある。
 
ニンジャソードを使った戦闘は頗る楽しいのだが、敵の体力ゲージが見えないため「何の攻撃がどう強いのか」がプレイヤーに情報が与えられない。かつてマッドシティで娘を攫われた市長としてマッドギアをぼっこぼこにしていた頃から、「没入感」の旗印のもとUIを取り去ってしまった2000年代風に悪くなってしまったのだ。結局僕は最後まで、何の攻撃が強いのかわからなかった。何の攻撃でどうダメージが出ているのかわからないから当然である。
 
またシノギを使った戦闘は慣れれば正に愛と悲しみのバッサリ感を楽しめるし、やみつきになる中毒性を秘めている。それ故に2000年代のゲームが抱えてきた「3Dアクションゲームにおけるカメラ問題。及びカメラ位置によって生じるスティック入力方向問題」がここでもここぞという時に現れてしまうのが非常に惜しかった。
 
シノギは「攻撃の来る方向に合わせてスティックを倒してからボタン入力」なわけだが、折角ニンジャソードを持っているのならこれはスティックによる方向入力を省き、全方向のガードにした方がより良くなったように思える。
 
真上から捉えるのであればまだしも、現状のカメラでは「シノギを受け付けられるようにキャラの位置を把握してスティックを倒す」という、余計なワンステップがプレイヤーに挟まってしまうように感じた。
 
この「スティックを倒す」の悪い所が露骨に現れるのがモンスーン戦である。詳しくは周りのクリア勢に聞いてみよう。僕はキレました。
 

 
自由切断システムはハッキリ言ってアイテム収集の為と一部ボスの為にしか機能していないように思えた。というのも、斬撃は左スティックで調整して縦横に切ったほうがお手軽なのである。
 
もちろんその自由切断を滾る漢の滅多切りに注いだボス戦は†最高†である。いや、最THE高である。特にメタルギアのブレードを奪ってQTEやらせようと思ったお前。あんたは偉い。
 
それ故に好き嫌いがはっきり分かれるのが、アームストロング戦の「連続投げイベント」だ。今までアイテム収集か一人のボスの追加装甲を剥ぐぐらいしか使ってこなかった「切るべきところを正しく切る」という筋肉を要求される。システムを使い切るからこそ激アツな象徴的イベントなのだが、さして右スティックを正確に操作して正しく切ることを楽しいともなんとも思っていないプレイヤーは、正しく切れなかっただけの理由で即死するのだ。
※正確には100ダメージ。初期体力だと即死。
 

 
カメラに慣れ、シノギに慣れてからのメタルギアライジングは本当に夢のようなひとときだ。敵の繰り出した攻撃に合わせてシノギ、反撃で相手を真っ二つにして体力を回復、遠くから撃たれた弾をニンジャランで弾き、滑り込みからのコンボ……うーん。絶え間なく入力を要求され、その結果スバシャア!奪!スバァン!するの、最高。
 

QTEも別ゲーもお前なら許すぞ雷電

アクションゲームで嫌われるのがQTEとシューティングや強制スクロールなどの別ゲー化だが、もうメタルギアライジングなら許しちゃっていいと思う。ほんとに。
 

 
だってお前、メタルギアRAYのミサイルを渡って建物を駆け下りてバッサリだの、突き落とされたビルをドローンハックしてかっ飛ぶだの、メタルギアの脚を一本ずつぶった斬るだの、あそこまで盛り上げられたら「馬鹿じゃねえの」「天才か」と言いながらコントローラ握り直すしかないじゃないか。
 

 
一瞬スローモーションになってボタンを表示する所もそうだが、そもそも斬撃モード自体がそこまでの流れを断ち切るものであるため、プチイベントとして機能しているのも大きいだろう。とにかく、いきなりナイフで襲われたり、犬に齧られたりするアレらとは全く違うし、ボタンを押す指に力が入る名QTEが山盛りだ。メタルギアライジング最高!
 

遊べ。男の子。

 
メタルギアライジングリベンジェンスは目で摂取し、指から染み込むサイバープロテインである。細かい所は目につくが、そんなことはニンジャランで駆け抜けるうちにどこかに行ってしまうのだ。
 

 

ありがとうプラチナゲームズ
 

ありがとう筋肉。
 

ありがとう上院議員
 
2待ってます。

それでもテザリングをするというお前もしくはテザリングを擁護するお前へ

 

んで、これは前回の記事の裏面だ。

 

cr.hatenablog.com

 

つまるところテザリングでのネットゲームってのは、お前が遊べりゃ他人がどうなろうがどうでもいいって考えてる点でチート(ゲーム改造)で暴れ回るプレイヤーと全く変わりがない。
 
試合そのものがどうなってもいい。自分が楽しければいい。その考え方はコールオブデューティで空を飛んで、マシンガンの速さで空中から爆弾をプレイヤーに撃ち込んで、壁越しに敵の場所を全て透視して殺して「一人だけ楽しくなる」やり方と同じなんだ。
 
この指摘に対し「じゃあお前もテザリングすればいいじゃん」というのは何の意味も持たない。何よりそんな方法で対抗して勝ってもそんなものはひとつも嬉しくない。そんなものはフェアじゃないからだ。ズルにズルで対抗して勝ってもクソったれでしかないからだ。
 
ちゃんと勝って、ちゃんと負けたいんだ。ゲームってそういうもんだろ。違うか。
 
みんなちゃんとゲームする為に金払ってんだよ。ゲーム機だって買ったしゲームだって買ってるし回線費用だって払ってんだよ。ケーブルテレビやレオパレスの回線にうんざりして引っ越した奴だって僕は知ってるよ。そうやって、そこまでして皆「ちゃんとした最低限の環境」を揃えてんだよ。
 
キャーガチ勢コワーイじゃねえよ。たかがゲームなんぞにマジになってんのがプレイヤーって奴なんだよ。マジになってんのにちゃんとしてくれないお蔭でゲームが台無しになるとか最悪だろ。しかも反省の色無しどころか開き直るとか最悪も最悪だろ。
 
回線引くの嫌なら遊ばないでくれよ。「たかがゲーム」なんだろ。たかがゲームなんだから遊ばなくてもいいはずだろ。「たかがゲーム」ってそういう事だろ。たかがゲームって何なんだこの言葉よォ~ッ!クソッ!クソッ!
 
とりあえずよ。光ファイバー前提で組まれたシステムにさ。ケータイの回線なんぞで飛び込んでゲームを壊したりさ、「たかがゲームなんだから」とか擁護とかさ、ちゃんとゲームやりにきてる人らへの侮辱以外の何物でもねえだろ。違うか?違うならどう違うか僕に説明してくれよ。なあ。おい。聞いてんのか。聞いてるだろ。その答えを教えてくれってんだよ。なあ。

テザリングという名の悪意のない悪。あるいはようやく「やりたい事」がわかった君へ。

アレだよアレ。なんかイカで盛り上がってんじゃん。なんだっけ?デザート?確かにポン酢で食うとうまいよな。僕は生姜醤油派だけど。イカ。

 
で、アレよ。テザリングよ。すっげー平たく言うと「ドコモのケータイ回線にノーパソとかゲーム機とか繋いでネットやる」って奴。あれすげー便利だよな。ワイファイ?しか対応してない僕のZ3 compact tabletもGalaxy S5にぶら下げたらお外でネット出来るもんね。テザリングのお陰で家にもう光ファイバー引かなくて済む!万歳!21世紀万歳!
 
とは、イカなかったのよ。
 
ハッキリ言うとね、テザリングの「ネットが出来る」ってのは「ネットサーフィンが出来る」とか「メールが見られる」とか、相当甘く見ても「低解像度の動画を生放送する」程度のものなわけ。リアルタイムに通信して殺し合うような最新鋭のアクションゲームとか無理なわけ。しょぼいから。いや、言いたいことはわかるよ?ニコニコをスマホでめっちゃ楽しめてるのに何でイカできないのって言いたいんでしょ?
 
あのね。ゲームってスゲースペック要んの。画面作るために機械に高ぇー部品積んでその性能の看板で馬鹿な信者が殴り合いの戦争やるぐらい。もちろん回線だってリッチな奴が要るの。ケーブルテレビと一緒のやつとか、レオパレスと一緒のやつだと弾かれたりそもそも遊ばせてすら貰えないゲームもあったりすんの。
 
そこにアレっすよ。「ケータイ回線でゲームやりたいんすけど」とかいう奴ら登場よ。
 
その結果どうなるかって言うとさ。まず「気持ちのいい試合」は出来なくなるよね。互いの腕とかそういう話ですら無くなって、ちゃんと当たらない、通常であれば倒す判定になるところで倒せず、理不尽な返り討ちにあったりする。
 
その次に部屋が壊れるんだわ。テザリングのブツ切れ回線で飛び飛びのデータに合わせる為に、他の……そうだな。イカの人数なら他の7人だ。7人全てがガックガクの壊れかけの部屋で遊ぶ事になる。
 
そして、最後にはテザリングくんが試合すら成立させられず、糞すぎる回線故のエラー判定で部屋から切られる。すると、残された味方も、敵も、皆不幸せになる。人数差もそうだけど、「ゲームシステムに前提とされてる人数」では無くなった時点でそれはもう公式なものでは無くなる。残された人らは「折角良い試合をしていたのに、居なくなったやつのせいで試合そのものがダメになってしまった」と思うだろうね。
 
ここまで読んだならわかるだろうけど、「楽しく遊べばいいじゃん」というその「楽しく遊ぶ場」を率先して破壊していく悪意なき悪が、オンラインアクションゲームに於けるテザリングって訳だ。しかもイカの場合は、テザリングで遊んでる側はそうやって人を不幸にしてる事に気付いちゃいないってのがこれまた酷いことになってる。
 
待て待て待て。そんな顔で睨むな。「たかがゲーム」とか「でも俺はゲームしたいんだ」とかいろんなこと言いたげな顔で睨まないでくれ。そもそもノートパソコンやゲーム機と一緒にポケットワイファイばら撒いてたなんたらカメラ連中も悪いんだ。わかってる。だけども、落ち着いて聞いてくれ。
 
テザリングで、ネットゲームは、あそんじゃだめだ。対戦相手も、味方も、bot(AI)じゃない。君と同じようにお金を出してゲーム機を買って、ゲームを買って、上手とか下手とかじゃなく、真剣に遊ぼうとしている人たちなんだ。何よりそんな風に遊ばれるゲームが可哀想だよ。
 
 
スプラトゥーンしか遊びたいものが無いのにネットに金払うのはちょっと……ってのも分かる。今の家のネットの回線がそもそもクソって人の事情も分かる。だけども君はゲーム機を買ってまで遊びたいゲームがあって、そして今、回線を引いてまで遊ぶべきゲームに出会ったんだ。「やりたい事」がようやく見つかったなら、もうやるべき事も一つのはずだ。
 
何より、それは皆やってる事なんだ。皆それぞれ回線引いて、ゲーム機買って、ゲーム買って、そうやってマジになったり、ムキになったりしながら楽しんでいる。

ペット可の物件を探すよりも、風呂トイレ別の物件を探すよりも光ファイバー対応の物件探しは簡単なはずだ。大家や管理会社に掛け合えば、壁に穴をぶちあけて光ファイバーを部屋に引き込んでくれるところだってある。

だから、テザリングでネットゲームをしてる人は回線を引こう。そして、ゲームを壊さなくなったら、思いっきり僕と遊んで欲しいんだ。

DDR歴10年だけどリフレクビートっていう音ゲーが良く出来てると思う理由を述べたいの

どうも、DDRを10年やってますが未だに『MAX300』のEXPERTのクリアすら安定せず『FLOWER』のEXPERTのクリア判定がDからCにさっぱり上がらないR-Grayです。 『アルストロメリア(walk with you remix)』のEXPERTのフルコンを繋いでもC判定で釈然としない日々が続いています。

で、最近リフレクビート始めました。
『回レ!雪月花』や『Sakura Reflection』、『sigsig』のHARDをようやくクリア出来るようになり、『snow prism』や『Anisakis』に殺され続ける日々を送っています。当面は難易度9フォルダの曲のクリア埋めが目標といった所でしょうか。

という訳で今回はリフレクすげーなって言う話だけしにきました。

「クリア」が優しい

音ゲーには「クリア」と「スコア詰め」という、二段階の指標があります。一定の基準を満たし、兎に角クリア判定を貰えば「クリア」となります。その先にあるのが「スコア詰め」であり、如何にミスを少なくし、プレイの正確さを高めていくかの話になります。

リフレクはその「クリア」が優しい。
まず「広い判定エリアの中で触っておけばGOOD判定」に始まり、ゲージ制でない上に「空打ちのBAD」が無いので安心して押しに行けますし、何より達成度が70%を超えていればそれだけでクリア判定。「特定の箇所で大きくミスをしたからクリアすらままならない」とはならないのです。

開始30秒で閉店を食らう世界であるDDRから来た私にはこのやさしさは衝撃的でした。何せ「クリア」の間口が異様に広いので、ゴリラ(音ゲーの為に人間であることを止めた人々)とも譜面の話が許されるのです。ここらへん、リズム天国と似通った部分があります。「平凡」でも「パーフェクト狙い」の人でも、とにかくクリアさえ出来ればゲームには褒めてもらえるしクリアした人としてその世界に居られるものです。

ゲームに「クリア」と「未クリア」というものが存在する限り、「クリア出来ない」というのはそれだけでプレイヤーの心に暗い影を落とします。リフレクの場合それが緩い事により、「クリア出来た!」というモチベーション向上の提供に成功しているわけです。

※AC版の救済措置及び70%以上でクリア扱いはjubeatとも共通していますね

常にランダム、だからこそのTOPオブジェクト

DDRではシングルプレイだとパネルが4つな事もあり、正規の譜面から90度回転させるか各矢印の割り当てを別のものに割り振ってプレイするランダム――↑↑↑↑が→→→→になるようなオプション――で遊ぶのがせいぜいでした。(なお家庭用移植のものには所謂S乱があったりします)

それが悪いという話では無く、リフレクは通常のノートがランダムに降ってくるのでもう私にとってはそれだけで新鮮なのです。毎プレイ毎プレイが新鮮。なのにそのアクセントに落ちてくるTOPオブジェクトは固定で、この対比が凄く心地よいのです。TOPオブジェクトが担当するのはピアノの音だったり、時に\にゃん にゃん/だったりして、そのTOPオブジェクトの使い方が曲ごとに違うのも面白いところですね。

他にもロングノーツを押さえながら別の指でノートを捌く事を要求されたり、TOPと通常ノートでトリルがあったりと曲ごとの特色が「押させ方」にも出ているのが実に楽しい。皆もリフレクやれ。

「押すと音楽が鳴る」ではなく「音で確認する」「音でアレンジする」へ

音ゲーと言えば「ボタンを押して音楽と一体になる」というものですが、これは「失敗すると音楽が途切れたり鳴らなかったりして残念なものになる」なんて可能性も内包しています。また全てのノートに音を割り振らねばならない為、既存の楽曲を取り込むのが難しく、カバー音源になってしまったり時には既存曲のみキー音の無いプレイになってしまう事もあります。

キー音の無い音ゲー(そう!例えばDDR!)はその点既存曲に合わせてリズムに乗り、時にメロディに合わせてボタンを押したり踏んづけたり北斗百裂拳を筐体にかましてきました。リフレクの面白いところはエフェクトだけでなく、このノートに触れた時のヒット音自体もカスタマイズ出来る所。そしてこのヒット音で上手に出来ているかを確認でき、更に楽曲のアレンジが出来るところです。

ジャストで叩ける、ジャストで叩き続けられているのがコンボ表示だけでなく音で楽しめるというのはリフレクの大きな長所ではないでしょうか。

plusは4曲500円

bemaniwiki.com

さてiOS版のリフレクですが800曲を超える楽曲が配信されており、コナミオリジナル曲も版権曲もよりどりみどりです。ゲームセンターで3回遊んで100円な事を考えれば、4曲3譜面遊び放題で500円は決して高くない部類に入ると言えます。plus限定、つまりiOS版でしか遊べないような版権曲にもきっちり難易度9~10の譜面が用意されているのも嬉しいところ。

従来ならば家庭用移植のソフト自体がリリースされるのを待たねばならなかった最新曲も、コナミの機嫌次第では割とすぐ配信されます。すっふぃーんくすーとか出来ます。また特定のアーティスト及びアニメについてのパックなども出ているので、観てみてはいかがでしょうか。

前述のとおりリフレクはキー音で音楽を完成させるタイプの音ゲーではないので、レトロゲームBGMのメドレーからアニメのエンディング…のシングルのカップリング曲まで遊べたりします。ここら辺の懐の広さが凄いと思います。リフレク。

※リフレクを持ち上げていますが配信パックはjubeatと共通の物も多いです

iPadが最新ゲーム機になる日

ことスレートデバイスのゲームは軽視される傾向が強い(もしくは始めるのは無料とは言うもののなアレソレ)ものですが、リフレクビートに限っては売り切りのパックを買ってiPadに指紋をべったべたにしまくって遊ぶに足る良いゲームだと感じています。

iPad2でも快適に動作しているので、お手元にiPad2移行のiPadがある人は遊んでみては如何でしょうか。もしくは100円握りしめてゲーセンで初めてみましょうコメントで「あのあのあのあのあの」って連打する事から始まるリフレクもあると思うんです。

REFLEC BEAT plus

REFLEC BEAT plus

スプラトゥーンとかいうイカしたシューターの再発明の話をしたい

f:id:crs2:20170716220432j:plainイカだ。 イカである。 世界を塗り替える時が来たのである。

というわけで今日はスプラトゥーンのご紹介です。

イカに至るまでの悲しいお話

CoD4以降、あのバトルフィールドですらCoD化から逃げられず、ギアーズオブウォーはヘタレてTDMなどというルールをメインに据え、HALOはインフィニティスレイヤーなんてものを作って自ら不評を買いに行きました。

チームデスマッチルールがお遊びとして成立するためには、狭く細長い数本の通路の押し合いが必要でした。それを考えずにチームデスマッチルールでだだっ広いマップを遊ばせたところ、悲しい悲しいかくれんぼと押し込みのゲームが出来上がってしまいました。

嫌が応にも敵と遭遇する。索敵すら必要ない。だからこそあのゲームのチームデスマッチはそこそこ面白かったのです。そこを真似られなかったゲームは、どこまでも悲しい対戦を生み出していきました。

地点を奪い合う。旗を奪い合う。爆弾を設置する。

さて広いマップに、目的地が、奪うべき場所が、守るべき場所が生まれました。そうなると、プレイヤーはどう動かねばならなくなるでしょう?この場所を守るならこの道を押さえたい。この道を抑えるにはこのオブジェクトが重要だ。あの場所を奪うにはその前にあの地点を奪って敵を叩きやすくしなければならない。「マップの攻略」と「その時々の戦術」が求められるようになります。

これはチームデスマッチと全く別の筋肉を必要とします。殺すだけでは勝てません。

だからこそ深みが生まれ、だからこそヒリつくほど面白くなるのですが、それ故に味方との連携や、現状の把握能力が必要とされます。一言で言えばチームデスマッチと比べ、オブジェクティブ(目標のあるルール)は難しいのです。

オブジェクティブには単純化が必要でした。

四角いマップをぐるぐると回るのは難しい。だから一本道にしたほうが楽です。バトルフィールドシリーズの傑作「バッドカンパニー」の「ラッシュ」ルールは「デモリション(爆破)」という旧くからあるルールの素晴らしいアレンジルールでした。両サイドから試合を開始し、2つある箱が破壊されれば事態が進行して仕切り直し。誰でも行くべき場所が分かりやすく、誰もが嬉々として殺し殺されました。

一本道を突き進む爆弾に付き添い、それを巡る戦いを繰り広げるのが「チームフォートレス2」の大人気ルール「ペイロード」です。これも素人目に見ても「どこに行かなければならないのか」「何をやったら相手が嫌がりそうか」が一目でわかる作りでした。互いのサイドからじゃないと最短アクセス出来ない一方通行が「抑えるべきポイント」を強く意識させ、そこを打開する事が状況の変化に繋がると遊んでいるだけで自然にわかるのです。

しかし、新作の「タイタンフォール」ですらオブジェクティブをメインに据える事ができませんでした。タイタンフォールを遊ぶプレイヤーたちの多くは未だチームデスマッチから抜け出せず、オブジェクティブのために作られたマップを巨大なジャングルジムとして駆け回るだけのゲームを選びました。

今一度、オブジェクティブには革命が必要でした。 それをやり遂げたのが、スプラトゥーンであったと言えます。

あ、ここまで前置きです。

世界を「塗り替える」という事

スプラトゥーンの勝負は「塗った面積」で決まります。まずこれにより、チケット制度やスコア制度のような「消化試合」感が無くなり、最後まで緊張感を持って望む事が出来ます。特に地点制圧ルール及び爆破ルールで問題であった「完遂出来なかった時の徒労感」が無いのはモチベーションの維持に大いに貢献していると言えるでしょう。そしてもう一つ。スプラトゥーンのマップの床面積は思ったよりも広くありません。「狭いマップ」で争うから当然なのですが、それによって「競る」ことが簡単になっています。

「塗った面積」ということは、従来の「目標」以外もマップが意味を持ち始めます。なにせ「広間」を押さえていても「通路」が塗られていては最終的な勝利もそうですし、イカ移動によるアクセスの速度も変わります。ですから、プレイヤーは「どの通路を押さえておくとどうなるのか」をじっと通路を見ながら学ぶことになります。

「相手に塗られた場所」を歩くと動きが遅くなり、ダメージを受けます。なので原則として飛び飛びに塗られることはなく、厳密には「裏取り」というのが実は存在しません。従来のシューターの嫌われ者の「サプレッサー使い」の動きがシステム側から殺されているのです。塗るという行為は「塗り面積を増やす」だけでなく、目的とする場所へ移動するためにも行われます。そうするとマップで「何者かがここを塗り始めた」というのが一発で分かりますから、UAVやspotのようなものがなくても誰かがそこにいることがプレイヤーにも伝わるのです。

ジャンプもイカしています。緊急脱出からリスポン直後の戦線復帰まで使えるのでどんでん返しが起きやすいのです。「膠着状態」というのは拮抗しているのではなく「攻めあぐねている側が一方的にやられている状態」でありますから、それが起きないようにシステム側からのサポートがされています。ビーコンによるジャンプ地点追加も使いこなせば、「塗り替え」は難しいことではないでしょう。

「塗る」というシステムは、実によくできています。 だからと言って、スプラトゥーンが全く新しく、また殺しが重要でないかと言われれば違う所があると思います。

縄張り争いの末に、殺す。

スプラトゥーンの偉いところは「一方通行の道がマップ中央まで伸びている」という所です。この手のゲームは一旦押し込まれると巻き返しが難しくなるのですが、少なくともこの「一方通行」があるおかげで攻められすぎないように、また巻き返しが起きやすいように作ってあります。ここら辺は過去のゲームの研究がかなり成されているとみてまず間違いないでしょう。

塗り続けるためには何が重要でしょうか。塗るためにそこに居続けることです。そこに居続けるということは、生き残り続けるということです。生き残るということはどういうことでしょうか。

殺しにくる奴らを殺さねばならないということです。殺せば思う存分塗ることが出来ます。

殺されてしまえばマップ端まで戻され、また待ち時間が発生します。その間にマップの勢力図は文字通り「塗り替えられ」てしまうのです。またこのゲーム、塗れば塗るほどゲージが溜まって必殺技のようなものが使えるので、それを使うためにもやはり死ぬわけには行きません。

そのためには、相手のイカ野郎をゲソ揚げにする必要が有ります。

スプラトゥーンの直接の勝敗は「塗った面積」で決まります。ですがそれを決めるのは「どれだけ人手が足りていたか」であり、それは殺し合いで決まってしまうものです。なのでスプラトゥーンが「殺さなくていいゲームか」と聞かれれば、答えは否です。ナワバリバトルは殺しが全てではありませんが、より「塗り替える」ためには鉄火場でイカを蜂の巣にし、ローラーでイカせんべいにし、チャージャーで的確にイカリングにしていく必要が有ります。

相手のインクの上ではダメージを受け、移動が遅くなり、しかも潜伏=リロードも隠れるのも不可能。しかもこのゲームのリロードは一瞬ではありませんから、生き残り続けるのは簡単ではありません。殺される時は一瞬で殺されてしまうのです。

はっきり言って、上級者同士のガチバトルは墨を墨で洗う仁義なきバトルになるでしょう。

ですが、スプラトゥーンはそこに至るまでの間口の広さが半端ないです。まず誰がやってもそれなりに楽しめるオブジェクティブのゲームだなんて、久しぶりではないでしょうか。とりあえず初心者はわかばで撃ち殺すかローラーで轢き殺すかやってりゃいいと思います。

イカは過去に学ぶ

いくらマップがあろうがクソだらけじゃ話になりません。そんなことはコールオブデューティバトルフィールドが長いシリーズの歴史の中の様々な悲劇で証明しています。システムとルールがよくできてるなら、マップってそんなに数は必要ありません。むしろたった一つのマップをキャラと装備の組み合わせでやり続けるのだってありでしょう。それで一億人のプレイヤーを獲得したゲームだってありますよ。

武器とギア(衣類)のアンロック及びカスタマイズは既存のシューターまんまです。自由に付け替えるのではなく、ある程度かっちり固まってる中から選ぶというのもいいのではないでしょうか。プレイヤーに選択肢を与えすぎると、時に魔物が生まれてしまうことがありますから、与える選択肢をあらかじめ少なくしておくのも開発側のお仕事です。

そしてスプラトゥーンは「撃っても不利にならない」「当てなくても支援になる」のが新しいのです。既存のゲームで強かったのは「殺す時以外、撃たない」立ち回りであり、どういう攻撃をしても「当たらなければどうという事は無い」というのは三倍速い赤い人の言う通りでした。しかしスプラトゥーンは「自軍の色じゃない所」だと足が鈍り、ダメージを受けます。なので敵を見かけたらとりあえず撃っても良いのです。潜れないという事はリロードも出来ない訳ですから、このゲームは根本的に「殺す時以外も撃ちまくって良い」「当たらなかった弾も塗られるから割と影響でかい」という、イカれたトリガーハッピーの為のゲームなのです。

プレイヤーの一撃が、世界を「塗り替え」て行きます。自分の行動でゲーム世界が変わっていく、それが楽しくないわけがないのです。

スプラトゥーンは今までにない全く新しいゲームでも、人殺しをしなくていいゲームというわけではありません。過去の偉大な傑作や迷作たちを研究し、スパッと遊んでスプラっと塗れるように作られた「最新」のゲームです。

この素晴らしい「再発明」を、今食べないのはもったいないでしょう。揚げ物は揚げたてが一番美味しいですし、何より後から来たって「揚げたて」の味は味わえないんですからね!

Splatoon (スプラトゥーン) [Wii U]

Splatoon (スプラトゥーン) [Wii U]

百見は1プレイにしかず。あるいは「他人の物語で物を語るな」というだけの話。

ハロー、親愛なるゲーマー諸君。一か月ぶりだね。ジョン・ヘンリーR-Gray大統領だ。少し話をしたい。

arrow1953.hatenablog.com

最近、とあるゲーム記事……正確には、他人のプレイ実況動画とwikipediaを貼って「こんな風にトンデモらしいっすよ」と書いただけの記事がなかなか注目を集めております。ここで問題とされるのは「遊んでいない事」。即ち「エアプレイ」で何か語ってしまった事です。

ゲームとは創作物を食べる娯楽の中でも特殊なもので、「インタラクション」すなわち相互作用により成り立っています。映画や読書に音楽と違い、ゲームはプログラム及びそれを通じた他人との相互に作用しあう事によって展開していきます。つまりプレイヤーはただの「受け手」ではなく、正に"play-er"なのです。

yarukimedesu.hatenablog.com

「プレイしていない」ことが、着火の原因説。私は、ゲームのレビュー記事は書かないので、味知の領域ですが、「プレイしてない」というのは、禁忌なのかも知れない。 最近は、実況動画とか、プレイ動画とか増えているから、プレイしないでレビュー書くこともできそうだけど、どうなんじゃろうか…。

プレイしないでレビューを書くなどというのはあり得ません。 何故ならば、プレイ動画というのは何処まで行っても他人のプレイでしか無いからです。自身の経験に基づかないレビューは「○○さんはこう難しいと思ったらしい」「○○って人はここが楽しかったらしい」と只の伝聞の塊になります。直接ゲームに触れず、コントローラを握らなかった者にゲームそのものを語る権利はありません。

他のものに例えると簡単に飲み込めるかも知れません。「見てない映画について他人の感想を元にクソ映画だと言い切った」「行ってもいないレストランを他人の食べログ感想を元にゲロマズな店だぞと言って回った」だとか、プレイもせずに書いたレビューというのはそういうのと同等の行いになります。もう一度言いますが、「プレイしないでゲームのレビューを書く」というのは、あり得ません。

togetter.com

そういう事を嬉々としてやってる人々や、そういうゲームのスキャンダル情報を取り上げて煽るブログが存在するのも事実です。ですがそれは何処まで行っても、何を言っても「遊んだ事のない人の意見」でしかありません。だってあなた、遊んでないじゃないですか。ゲーム。「つまらなさそう」「酷そう」「ダメそう」だとしても、「つまらなかったのだろう」「ここが酷かったに違いない」「こんな所が駄目だったと思われる」と言い出すと知ったかぶりとなります。

「そのゲームの話をするな」という訳ではありません。話題にするのは問題では無いのです。しかし「語る」となると話は変わります。「誰が買うんだこんなゲーム」と、他人のプレイ動画を引っ張ってきて、遊んでもいないのに語ってしまったのです。シメに「欲しくなってきた」と言おうが、何処まで行っても遊んでいない人の文章でしかありません。

そもそも知名度だマイナーだというのは「ゲームそのもの」の事を語るならば、「プレイヤーである自分とゲーム」という一対一の関係に入る余地が全くなく、必要ありません。しかも「誰が買うんだこんなゲーム」という言葉は、ゲームと共に実際に買って遊んだ人間すら馬鹿にしている非常に強い言葉ですから、燃えるべくして燃えたとしか言いようがないでしょう。本人にその意図があろうがなかろうが、言葉を選べなかった時点で情熱もクソもへったくれもありません。という訳でこの言葉を贈らせてもらいます。

エアプ乙です。

追記:

fujipon.hatenablog.com

遊んだ人の記事です。

3年B組金八先生 伝説の教壇に立て! 完全版

3年B組金八先生 伝説の教壇に立て! 完全版

Amazonで現在中古2120円です。どうでもいいですがADVで6万本は売ったって事は昨今の基準からするとうたプリとかダンガンロンパ2の初週売上ぐらい売ってる訳で、更にCESA GAME AWARDS(現:日本ゲーム大賞)で優秀賞を受賞したゲーム相手にマイナーだの誰が買うんだだの言う事でもないような気もしています。

9th CESA GAME AWARDS | 受賞作品