コロナ禍で他人に疲れ果て、ひたすら100年前の道具を直す動画を観ている。

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 お久しぶり。

 何故ブログを書いていないかと言うと、今年はコロナ禍で尚の事ストレスを溜めまともにゲームをしていないからだ。ゲームはおろかアニメもウマ娘2期から観ていないし、漫画も殆ど読んでいない。映画館にはもう1年以上行けていない。そんな事をしている間に実家の3匹の猫は2匹虹の橋を渡り、祖母は帰らぬ人となった。線香の一つも上げにいきたいところだが、東京から北海道に帰っていい状況じゃない。仕事でウレタンマスクだったり、ノーマスクだったりするような不特定多数の客とあまりに接触しすぎている。

 ともあれ、じゃあ何をしているのかと言うと通勤時に会社の金でビジネス新書やらを読んだり、寝る前に今回紹介する「レストア動画」を観ている。

 冒頭に紹介したのは1891年のラチェットドライバーの修理動画だ。ピンの一つ一つに至るまで分解し、旋盤を用いて磨き、時にネジをイチから作る。だいたい20分で1つが直っていく。それらを観ている理由について語りたい。

 

「はいどうも」から始まらないのが良い。

 レストア動画は基本的に「はいどうも」から始まらない。朽ちて錆びついた「今回のお品」がテーブルにドンと置かれたり、ガレージや庭に置いてあったり、ゴミ山でそれを見つける場面から始める。そして殆どの動画では誰も喋らない。ただただ、淡々と道具が分解され、鉛テストされ、やすりがけされ、砂吹きされていく。

 これが良い。よいと言うより「素人の話を仕事の外でまで聞きたくない」んだと思う。特に男性が少し高い声でしょっぱなに挨拶してくるとそれだけでイラっとする。前置きも聞けて10秒までだ。加えて感情たっぷりに…特に”芸人の真似事のように”話したり用意してあるものに対してツッコミを入れたりしていると寒くて今後そのチャンネルが二度と表示されないように報告を入れたりしている。

 ポップノイズなど道具の使い方に起因する部分、防音環境の整わなさに起因する反響音。そして話者自体の滑舌の悪さ。「あー」だの「えー」だのを編集せず間延びさせるものが本当に年々無理になっている。そしてレストア動画には基本的にそういうものが無い。

 ただただ、物が直されていく。それがいい。

 

 「分解」が良い。

 レストア動画は道具の全体の確認に始まり、片っ端からそれを分解していく。基本的に状態が悪ければ悪いほど困難を極める。ネジ穴が錆で詰まっていればやすりで削り、インパクトドライバーを打ち込んででも回す。バーナーで炙ってでも回す。油をダッバダバにかけてでも回す。棒を別途溶接してでも回す。それでも回らなければドリルでネジに穴を空けてでも回す。リベットで止まっていれば削り、なかなか抜けないようであればプレス機械を持ち出してでもぶち抜く。

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 この分解工程が動画の半分を占める。これらは一種の「挑戦」ですらあり、レストア動画の鉄板モノとして「めちゃくちゃに錆びた万力」の修理がある事からもおわかりいただけると思う。現代の叡智を持って100年前の物を分解しその機構を丸裸にしていく過程は非常に面白い。

 「清掃」が良い。

 特に古いものは表面が錆で覆われて層のようになっており、それをガシガシ剥がすと本来の姿が徐々に明らかになっていく。そのうえで錆び除去液のバケツに突っ込むと、バケツが真っ黒になるほど錆が出る。時折よく分からんが電気を流してシュワシュワさせてもごっそり出ている。それが良い。ふかわりょうがゴミ屋敷を掃除する番組を思い出す。錆と一緒に塗装も砂吹きで剥がされ、鈍色に戻ったものを丁寧にヤスリがけしていく様は感動的ですらある。

 

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 このプレステ直すやつとか特に良い。

 「組み立て」が良い

 穴や破断した箇所や削れた箇所を溶接で塞いだり直したり、そしたら次は組み立てだ。ひとつひとつを塗装し、ネジやボルトやナットをニッケルめっきして、バラバラにしたものをもとに戻していく。分解する時に観ているはずだが、すっかりきれいになった部品を一つ一つ組んでいくさまを観ていると「良くこんな物を人間は作ったものだ」と感心しきりだ。

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 そしてもう一つあるのが「最初の状態じゃ何に使う道具なのか良くわからない」とか「部品はわかるがこれがどう機構として動くのか分からない」というのが少しずつ氷解していく。これがよい。一昔前なら何度もCMを挟みながらクイズ番組にでもなっていただろうと思う。

 車輪や採鉱があって工学があって機械が出来て鋳造が出来て、などとシヴィライゼーションのような事を考えながら観ていると、最後に答え合わせが来る。直ったそれの動作テストの時間だ。

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 「そんな事をする道具があったの!?」という驚きが時々ある。しかしそれは確実に「誰かが欲した」から作られ、使われ、そしていつか使われなくなって捨てられたという事実にすら至らない浅はかな考えだったのだなあと省みることすらある。全ての道具は一度誰かに求められ、そして誰かの生活の側にあったのだ。

 

 ぜひ一本見てみて欲しい。そのうち「このチャンネルは倍速のところが多すぎる」とか「このチャンネルは仕上げが甘い」とか好みまで出てくるだろう。別に10秒飛ばしで観ても、話を聞いているわけじゃないから問題はない。ただただ道具が分解され、そして直っていく。それが今の私にはたまらなく心地が良いのだ。