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とある「ゆとり世代」がドラゴンクエストⅠ・Ⅱを終えて思った事。

Game

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先日、こんな記事が話題となった。

ドラクエ7雑感:スマホ脳になったことを思い知らされる:村上福之の「ネットとケータイと俺様」:ITmedia オルタナティブ・ブログ
http://blogs.itmedia.co.jp/fukuyuki/2013/02/7-84a9.html

この記事に対する「スマホ脳」批判や「旧作の文脈を知らないから仕方ない」という反応を見て、私は「果たして、『スマホ脳』で済まされて良い問題なのだろうか」と疑問を抱いた。敢えて2013年の今、ドラゴンクエストⅠ・Ⅱを遊んでみたらどうなるのだろうか――

wiiUを手に入れ、リビングの隅で埃をかぶっていた我が家の黒いwii。彼を自室に持ち込み、年末以来の一仕事をしてもらった。ドラクエ25周年記念パックを動かす為である。

今回のドラゴンクエストトライアルの概要を説明する

  • 使用するゲームソフトは任天堂wii専用ソフト
    『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコンスーパーファミコン ドラゴンクエストⅠ・Ⅱ・Ⅲ』
  • 使うコントローラは「クラシックコントローラpro」
  • 「どこでも中断セーブは使わない」
    wii版では「どこでも中断セーブ」が使えるのだが、これは戦闘中にセーブ出来てしまうため「はぐれメタル戦でセーブし確実に仕留める」などの稼ぎに使えてしまう。極力この機能を利用しない事にした。
  • 「当時の文脈」を感じる為、攻略wikiの閲覧を「本格的に行き詰った時」に限定した。攻略本も手元にないのでほぼ手探りである。 また、SNSで現在の状況を「つぶやく」事で、全国のロトの子孫たちに助けを求めた。これは「友人との情報共有」の再現である。
  • 「当時の文脈」とは言え、Ⅰ・Ⅱ共にSFC版でプレイする事にした。
    理由は単純で、「べんりボタン」の存在と「漢字交じりのメッセージ」が欲しかったからだ。プレイ途中に幾人もの人に「FC版の辛さを味わえ」と言われたが、小学生の時分にSFC版のⅡを船入手前に投げてしまっているため、それのリベンジも兼ねてSFC版のⅡを選択した。
    なのでSFC版なのに辛いとか言っているのか」などと思うかもしれないが、辛いものは辛いので「ゆとり世代の一人はこう思ったのだなあ」と感じで頂ければ幸いである。

なお、私が近年もっともやり込んだゲームがベセスダソフトワークスの「fallout3」であることを、予めことわっておく。

※2013年3月4日、「君の死は無駄にならない」「紋章を受け継ぐもの」を追記
※2013年3月5日、「余計な推察」について一部変更


ドラゴンクエストⅠ編

世界を旅する、という行為

まず感じたのは、「何処へでも行ける」という自由さである。どこへ行っても良い。これはOblivionやFallout3と繋がる所がある。活動の拠点を置いて、少しずつ捜索の範囲を広げていく。最初は弱かった主人公も少しずつ強くなり、慣れる頃にはリムルダールまで行くことが出来た。

明らかに開かなそうな扉が何処に何個あったのか、「○○というアイテムは××出来るらしい」という噂含め、徹底的にメモ帳に書き込んでいく。割と面倒くさい。だがこれをやらないとドン詰まりになるという嫌な予感がする。「ゴーレムは笛の音が苦手だ」「竜王の島に行くには3つの物が必要だ」という情報が分からなくなる。「TIPS」や「用語メモ」にまとめておいてほしいものだ。

そして「セーブ」がラダトームの王様しかないのが酷くきつい。これでは「やり直す度にラダトームから始まる」わけで、嫌でもプレイ時間が増えていく。移動速度も遅い。ルーラも自分の知っている「街から街へ」でなく「ラダトーム」への帰還なのでなんとも。

が、これは「早くクリアしたい」から と考えているから気になるのであって、「今日はこのダンジョンを行けるところまで攻略する」「今日はここまでいけた」と区切っていけば遊べていたわけだ。しかもどうアイテムを集めたっていい。マイペースに、何日もかけて、時にはダンジョンの1フロアだけ終えて帰る。ゲームクリアは設定されている物の、「戦う事自体が目的」のように感じられた。

「ストーリーを追いかけてさっさとクリアする」というゲームの作りだと、ダンジョンやワールドマップというものは物語の連続性を殺いでしまい、間延びした印象を与える物だが、ドラゴンクエストの場合はそもそも話があってないようなものなので、「今日は○○を手に入れた」で一区切り終えることが出来る。

「冒険・探検」を楽しむ人と、「ストーリークリア」の為に最短を走りたい人。
RPGはいつからか、そんな風に二種類の人間を相手するようになったのかもしれない。


ドラゴンクエストⅡ編

ストーリーと探検の合間で

とにかくマップが広い。広すぎる。後になってWikipediaで調べたら「ROM容量の増加で出来る事が増えた。マップが広い。1のマップ全部入ってる」と書いてあってなるほどとは思ったが、流石に広すぎる。山でばっつりマップが区切って有り、移動速度の遅さとエンカウント制バトルなのも相まってどんどん体力が削られていった。「ラーの鏡」を手に入れるまでは本当にしんどかった。なんなんだあの海岸沿いの道は。山だらけじゃないか。

それと、とにかく戦闘がシビアだ。ラリホーマホトーンが必ず効くかと思いきや効かない。ベギラマイオナズンを連続で唱えられるとザコ相手でも簡単に死ねる。良く言えば歯ごたえがあるが、移動距離が長いのに毎度毎度これだと心が折れそうになる。体力回復の手段は「薬草」か「ベホイミ」かとなるのでMPの管理が重要になった。いのりのゆびわでMPを回復することもできるが、壊れてしまうのでおいそれと使えない。街から街まで悩みっぱなしだ。この緊張感がドラクエ2ならではで、この作品をクリアした人達の高評価に繋がっている。と考えられる。

今作も船を手に入れてからは世界中を巡ってのアイテム集めで、世界地図を竜王の城に行って手に入れてからは地図を見ながらの大航海だ。船での移動がメインなわけだが、世界地図が無かったら正直詰んでいたと思う。航海中に偶然世界樹の葉を手に入れていたから良かったものの、下手すればサマルトリアの王子が寝たままラスボスに挑んでいたかもしれない。とことんヒントが少ない。大海原では頻繁に地図を開く必要があり、専用のマップボタンが欲しくなった。

この世界地図だがなんと(敢えてこう書く)SFC版の追加要素らしい。流石に私には世界地図無しでの航海は無理だ。断言する。

私はアレフガルド→北に行って沈没船を発見→そのまま西に向かって世界を一周しザハン(犬から金の鍵を得る)→そのまま西に行ってペルポイ(ろうごくの鍵)→行く場所が無くなったので河を遡上してみたら見つけたテパの順で、そこまで街自体のギミックでは詰まらずストレートに行けた(テパで良く分からないが手元の鍵を使ったらあっさり水門が開いた)ので迷いはしなかったが、一度しか使わない水門の鍵を運悪く見つけられなかった場合、相当時間を要しただろう。雑誌・友人に関わらず攻略情報は必須だったろうなあ思った。良くも悪くもプレイヤーにすべて任せており、プレイヤーにはまさに「世界中を調べ尽くす」事が求められるなあと感じた。

そしてロンダルキアへの洞窟。敵の攻撃力が異様に上がる。何度も落とし穴に落ち、ふらふらと迷って何時間も戦う羽目になった。いのりの指輪が壊れないからよかったものの、昔の小学生がやったら1フロア攻略ごとに1日を費やしていてもおかしくない。スーパーファミコン版だから落とし穴が残ったままだったが、もしこれがファミコン版だったらと思うとぞっとする。

ラスボスダンジョンは良いのだが、その前に地上に残してきたミンクのコートを思って金稼ぎを開始したのが悪かった。ハーゴンの神殿到達時点ではレベルがまだ30を超えておらず、幾度もイオナズン連発で死亡してしまい、所持金はすっからかん。このレベル上げ兼資金稼ぎの時間は苦痛でしょうがなかった。ストーリーを進めたいのに、「すんなり着すぎた」ために足踏みを強いられる。知恵を絞れば低レベルクリアも出来たのだろうが、私には無理な話だった。

レベルアップの甲斐あって、ハーゴンもシドーも一回の挑戦で倒すことが出来た。全体攻撃に対し必死にベホイミをかけながらローレシアの王子の通常攻撃をサポートしていく感じはまさにドラクエ。ヒリついたいいラストバトルだった。


さて、無事にドラクエⅠとⅡをクリアしたので、いろいろと書かせてほしい。
まず……ドラクエが面倒と感じた人を「あなたはゲームに飽きたんだろ」「おっさんになっただけだろ」と非難するのは半分正解で、半分間違っている。

なお、ここからの文章は私自身遊んできたゲームの経験談や、「こうだったのかもしれない」という推測が多々ある事を予めことわっておく。

移動と冒険

あれだけの広い世界を、ランダムエンカウントでのろのろと歩いて旅をする……というのは、まず「探検するのが面白い!」と思わないと無理な話だと思う。少なくとも、私にとっては「無限とも思える、広大な世界が心から楽しい!」と、手放しで絶賛は出来なかった。サマルトリアの王子を見つけるためにとぼとぼと荒野を歩いた時間は、下手すると「苦痛」な部類に入ったかもしれない。

イマドキのゲームはゲーム開始時点でルーラが使える。ルーラが使えるという事は、行きたい場所が分かっているのに何分もかけて、時に戦闘を挟んでまで移動しなくていいと言う事である。「冒険・探索をしたい人」には苦痛では無いだろうが、「やりたいことをさっさと済ませたい人」には苦痛で仕方ない。例えば先の例では「サマルトリアの王子の人探し」なのだから、ローレシアリリザサマルトリアをうろうろはしたくなかった、という事だ。

例え旅の扉があろうとも、その扉から目的の街までの移動と戦闘すら煩わしい。それなりにレベルが上がって、戦闘で手に入る経験値がしょぼく感じるようなら尚更だ。Ⅱの後半の、フィールドや海での実入りの無い戦闘は退屈だった。トヘロスを唱える手間だってメニューを開いて、呪文を開いて、人を選んで……何ステップも必要だ。

別に私が「冒険・探索」を嫌っている訳ではない。例えば私が大好きな「fallout」や「The elder scrolls」というゲームシリーズでは、ドラクエ1の「ロトの墓」や「岩山の洞窟」のような「そんなに重要でもないけど入ると楽しいダンジョン」が沢山あり、メインシナリオに関係ない所でも、それこそ「冒険・探検」していて楽しかった。そんなダンジョンを見つけるだけでも経験値が手に入るし、世界地図を見ると「見つけた場所」が表示される。「自分がどう探検したか」の足跡まで見れるのが、嬉しかった。

だけども、ドラクエ2にはその「今まで君はどこどこに行ったよ!」というのが無いのが、ちょっと寂しかった。そして、知った場所へイベントを進めるために何分も歩いたり船で航海して移動するのが、つまらなかった。

事実として

  • ドラクエ3以降では「一度行った場所へはどこへでも飛べるルーラ」が採用された。
  • ファイナルファンタジーは10でワールドマップを取り去る選択をした。世界は地図でなく、いくつもの「通路型のフィールドマップ」で繋がっていた。
  • クロノトリガースーパーマリオRPGではワールドマップで敵が湧かず、闘うのは選択して入場した「ステージ」に限定された。そして、シンボルエンカウント式になり、ダッシュの採用もあいまって快適な「ステージ探索」が行えるようになっていた。
  • マザー2ではザコに触れると一撃で吹き飛ばせた。というか敵シンボルが逃げる。

という風に、移動関係の改善は行われているので、「ドラクエ2のルーラの仕様」にぶつくさ言っているだけ という事を留意していただきたい。

シンボルエンカウントでは「どこで戦うかが見える」以上に、「モンスターの生態」を描くことが出来るし、何より「戦闘を避ける」という自由もある。ダンジョン最深部で、通路の入り口で、「巨大なボス」を見かけた事だってあったはずだ。ランダムエンカウントが劣っているという話では無く、より豊かな「表現」が後世のゲームにはある。私はそれを見てきた。という話である。ランダムエンカウントのある女神転生だって好きだ。

いずれにせよ、この手の「瞬間移動」や「高速移動」の手段は、古いゲームだと入手時期がゲーム中盤となっている。絨毯が空を飛んだり、飛空艇が飛んだりするまで。ルーラが何処にでも飛べるようになるまで。退屈な地上の旅をプレイヤーは強いられる。探検の楽しいプレイヤーも、そうでないプレイヤーも。そこで「ついて行けない」というおっさん勇者も出るのではないか。

移動について「そんなこと無いよ」と言う人はちょっとだけ待ってほしい。「ファイナルファンタジー5」の、シーフの「ダッシュ」アビリティを有り難がった覚えは?最近のゲームで「通常移動をダッシュ/徒歩」と切り替えられるなら、まずは「ダッシュ」に設定しないか?ゲーム終盤まで律儀に「船」に乗っていた覚えはある?「しのびあし」は?こうやって考えていくと、ゲームは気付かぬうちに「便利」になっていて、現在のゲームを楽しむ人間は21世紀なりに「便利」であること前提で遊んでいる。

次に何をするの?

イマドキのゲームは「クエストログ」と言って、次に向かうべき街や場所、そして今までに何をしたかまで事細かに教えてくれる機能が付いている。もう書き留めておく必要もない。最新作のドラクエ7リメイクだって、あらすじ機能が搭載されているご時世だ。

それだけでなく、「ちょっとした噂」を聞いたりしただけでサブクエストが発生する。これはメインクエストと絡まず、スルーしてもいいものの、クリアしたらしただけ良いアイテムが貰えるというもの。ドラクエ2で言えば「みずのはごろも」なんかがまさにそれだ。イマドキのゲームなら、織機や糸の位置まで教えてくれる。

当時の文脈では、プレイヤーをサポートする物が「村人の証言」しか無かった。全ての街の全ての人の話を聞かないと、うまく回らないように出来ていた。ドラクエⅠ・Ⅱでは該当するイベントはないが、時には全ての人に話しかけないと、イベントが進行しない事すらあった。「全員と話さなければいけないのであれば、全員広場に集めて整列させろ」と私が思ったのは、一度や二度の事ではない。

「次に何をするか分からない」……何をしても先に進まない状態で安定してしまったゲームに、興味を持ち続けるのは思ったよりも難しい。攻略情報をどこからか手に入れるか、ゲーム内メッセージの全てを把握して自分のやってない事を見つけ出す根気が、ドラクエ2には必要だと思った。プレイヤーには、そういう根気が期待されていると思った。

ボディーブロー

ターン制RPGの宿命で、自分がコマンド入力した後は状況が過ぎ去っていくのをただ見守る事しか出来ない。敵が1体だとしても5秒。敵が4体も出れば15秒以上待つこともある。これを合算していけば、「戦闘中でコントローラを握っているのに、画面をぼーっと見ている時間」が出てくる。コアなプレイヤーであればあるほど、その時間が長くなっていくはずだ。

ファイナルファンタジーなんかは何を誤ったのか、召喚獣の演出で1分もプレイヤーを待たせる道に進んでしまった。流石に悪いと思ったのか「高速」オプションも付きはしたが……所詮添え物の演出を、あの会社は勘違いしたようだ。また、敵味方含めてアニメーションすることも相まって地味な待ち時間が発生する。全員に「たたかう」を指示した後、次の\ピローン/まで待つのが嫌!というのは「FFは好きじゃない人」の常套句だ。……ドラクエの記事なのにFFの話を出してしまった。しかし、演出や待ち時間という話をするうえで、FFは避けて通れないと思う。

イマドキのゲームであれば演出もオールカット出来、下手すれば1秒後には次の入力する機会が巡ってきたりする。正確には「演出をカットする」という設定があったり、早回しできたりする。「見ない自由」がある。ポケットモンスタースーパーロボット大戦Civilizationなんかがいい例だ。RPGのコマンド戦闘は自分が死なないように回復しつつ、相手に攻撃を与え続けるリソース管理ゲームであり、画面と音の演出はその添え物でしかない。「段々遊ぶのがかったるくなってくる」事の正体の一つが、この「コマンド入力後の暇な時間」だと思う。

時間のかかる戦闘、遅い移動速度、売り買いのしにくいお店のUI、細かい物が積もり積もって、ボディーブローのように効いてくる。

そう、もしもドラクエが出来ないなら、それは「おっさんになった」からなのだろう。おっさんになったからこそ、ゲームの不親切や押しつけがましい演出、移動のダルさが耐えられない。見た目の新鮮さだけでは、洗練されていないシステムを遊びきれない。喜んで「無駄に時間のかかる事」は出来ない。何故なら、ゲームとは「最も効率的な動き(最適解)を考え、試し、理想に向けて最適化していく事」に他ならないからだ。だからこそ、「目の前のシステムの非効率・無駄な手順」を見逃す事なんて、もう出来なくなる。

確かに、ドラクエ1も2も面白かった。世界中を旅する感触は唯一無二の物だった。だからと言って、「今の洗練されたゲーム」を知っている人々が、今この文脈に触れて、無条件に楽しめるかと言われると、首は縦に振れない。


君の死は無駄にならない

ドラクエの「特徴」、いや「特長」と胸を張って言いきれるのは「死んでも経験値やアイテムが引き継がれる」という所だと思う。ダンジョン攻略中に全滅した場合、そのままタイトル画面に戻ってしまうタイトルもある。その場合、引き継がれるのはプレイヤーの知識だけ。ダンジョン内でのレベル上げや、何分も歩いて手に入れた宝箱のアイテムも無駄になってしまう。

そうやって無駄にされると、どうなるか。プレイを再開して数分、下手をすれば数時間は「やり直す」ために費やされる。ゲームに「それまで」を無駄にされた上に、「それから」も無駄にされるのだからたまった物では無い。ローグライクやwiz系でも無しに「無駄」になるのは、誰も幸せにならない選択だと思う。

その点、ドラクエは死んでも「死んでしまうとは情けない」と王様になじられるのと、所持金が半分になる以外は影響がない。「同じ道をもう一度歩かなくていい」というのは、「安心して思いっきり冒険できる」と思う。これは子供にも、そしておっさんにも優しい。(それにしても王様は50ゴールドとどうのつるぎしかくれなかったくせに何様のつもりだ!)

 

紋章を受け継ぐもの

皆がやっていた」……ドラゴンクエスト2をプレイし、また記事を書いている時に先輩勇者達から幾度も言われた事だ。どうやら聞くところによると、ジャンプには堀井雄二が自らゲームコラムを書き、この「文脈」を少年たちに広めていたらしい。その中に「友達と情報を交換するのもゲームのうち」という記述も、あったらしい。

らしいらしいと聞き伝えられた事ばかりで申し訳ない。だが、私にとってはこの「ドラクエ2の熱狂」というのは生まれる前の話なのだ。なので、知識として知ることはできても、体験は絶対にできない。だから、「ドラクエ2」とは作品単体の評価ではなく、「一つの時代」の思い出として、先輩勇者の中に残っているんだと、と私は思った。

私が遊んだのは「ぼうけんのしょ」でセーブ出来て、いろんなところが便利になって、ブリザードザラキを連続して唱えてこないSFC版だ。多くの人の心に残っているFC版ドラクエ2の事は分からない。「ふっかつのじゅもん」を何度も紙に書いて、何か月も遊んだ先輩勇者が、どれだけドラクエ2を愛していたかは聞いているけれども。

今、おっさんになった勇者がドラクエを新たに始めたらどうなんだろう。おっさん勇者は、他の勇者に「はなす」事が出来るのだろうか。「何だよ何だよ攻略wikiや攻略本なんか読みやがって!」などと先輩勇者が言うのも分からなくもない。ただ……今、この2013年に、「はなす」相手は居てくれるのだろうか?ゲームを進めるためには、イベントをこなしたり、アイテムを見つけなきゃいけないのに。

「めのまえに だれも いない」「そのほうこうには だれもいない」

もしかすると、おっさん勇者が「ドラクエ」を面倒くさがってしまうのは、ドラクエをやって、また翌日学校で同じ「勇者」と「はなす」事が出来ないからなのかもしれない。


アフタードラクエ

ヒリついた戦闘が楽しくて、レアアイテムを探すためにダンジョンに潜って、手持ちの魔法アイテムを管理して……というRPGのキモになる部分は、家庭用ゲーム機向けにチュンソフトが「不思議のダンジョン」シリーズにして独立販売し始めてしまった。お堅いローグライクを、とっつきやすいドラクエのキャラの皮で包んだものだ。レベルアップの楽しさも、アイテムを探す楽しさも、およそドラクエに関して「ゲーム性」と言われたもののほとんどが不思議のダンジョンに詰まっている。というのは言い過ぎだろうか?

また、フリーバトルのあるシミュレーションRPGなんかはどうだろう。
これは街中を歩き回らなくても、「ショップ」を選択すれば買い物ができる。メインシナリオを進めたければずっとメインシナリオを選択して話を読み進めていいし、レベル上げがしたければフリーシナリオでひたすら稼いでも良い。メインシナリオの幕間に「街中を動き回るイベント」を入れれば、「自分で話を聞いて回る」という事も出来る。もちろん、それすらもプレイヤーにやらせずにADVパートで全部喋らせてもいい。何より「ターン制」で「属性もある」し、只のコマンドバトルと違って「移動」まである。敵の数もある程度まとめて出せるから、戦闘の数自体の削減にもなる。

同じ見下ろし方でも戦闘にアクション性を持たせてはどうだろう。とやるとYsやゼルダの伝説などのアクションRPGが出来上がる。3Dにしてキセルを持たせればゴエモンの、武器を二本持たせれば武蔵伝の始まりだ。敵に接触したらバトル開始どころか、敵に殴りかかって一瞬で戦闘を終わらせることが出来る。ダンジョン探索だって二段ジャンプやフックショットでお手の物だ。

町人の話を聞いて、ダンジョンへ向かって、一つのちいさなお話を終わらせる。通りかかった建物や洞窟を探索し、お宝を手に微笑む。そういう遊び方をドラクエとは別のやり方で提供したのが「オープンワールド系」と呼ばれるゲーム達だ。それらのゲームは、ダンジョンの数がドラクエの比ではない。「ダンジョンを次々攻略するのが楽しかった」人には、ドラゴンボーンとしてスカイリム地方を旅するゲームが用意されている。

成長要素に限らなくたっていい。「様々な人の話や証拠から推察し、一つの真実を導く面白さ」なら地方裁判や学級裁判で逆転したり論破したりするゲームが今でも人気だ。映画やアニメにだってなった。

 

そんな感じで、「洗練されたシステム」に「特定の要素に特化した内容」を乗せたものが、2013年現在。世の中には溢れている。「洗練されたシステム」は、「プレイヤーの面倒を見るシステム」と言っても良い。プレイヤーの代わりに教え、プレイヤーの代わりに覚え、プレイヤーの代わりに説明する。より「娯楽」らしく、ゲームはプレイヤーを「おもてなし」する。

炊飯器の登場で、指定した時間にご飯が炊けるようになったように。
全自動洗濯機の登場で、人間が脱水機に衣類を移さなくてもよくなったように。
ゲームのシステム自体も少しずつ、確実に洗練されてきている。

それらのような「新開発のゲームシステム」に、「経験値稼ぎを日本円で済ませますよ」というのが生まれた。「レア装備や強い仲間は通常のプレイを延々と稼ぎを繰り返しても出ることは出ますが、金を払うと早いですよ」というのが生まれた。それがソーシャルゲームの一つの側面であり、「面倒くさくなくなったゲーム」の現在形の一つである。良いか悪いかは別にして、「最新」ではある……例えその金を払って無くす面倒くささ「作られた面倒くささ」だったとしても、20年以上前から店のアイテムの値段やボスの強さでそういう足踏みを強いた部分は確実にあった。と私は思う。ドラクエの方がずっとずっと良心的なのは言うまでもないが。

そう考えていくと、「ドラクエの文脈」というのは、今となっては「古臭い」と思う。
だけども私は、ドラゴンクエストが「要らない」とは絶対に思わない。

勇者。

「新しいゲーム」じゃなく、「ドラクエ」を遊びたい。船の上でうみうしに襲われたい。レベルをひたすらあげたい。小さなメダルを集めたい。ドラクエ的欲求は、ドラクエでしか解消できない。ドラクエは切り捨てず、特定の事に特化しないからこそ、「世界を旅するゲーム」であり、ドラクエであり続けているんだと思う。

経験を得て己を鍛え上げ、世界中の人々の声を聴き、世界中のアイテムを集め、魔王や神と戦う者。そんな根気と勇気を持った人だけが、「勇者」になれるんだと思う。楽しいだけじゃない。試されるんだ。

勇者になるのも楽じゃない。

ところで、wii版の123パック……プレミアついてるんですが……