男は生まれながらにおちんぽに負けている。
おちんぽに負ける【慣用句】
(主に女性が)セックスの快楽に抗えなくなる事。
-ホットミルク大辞典 第二版(民明書房 刊)
世はまさに大くっ殺時代である。
今や金髪ロングだろうがタイトスカート眼鏡だろうが、おちんぽに負けている。いい加減にしろ。金髪にも眼鏡にも罪はないのだぞ。
しかし、最近思うのである。
女性より、よっぽど男性のほうがおちんぽに負けているのではないか?と。
これはアッー!だとかそういう方向の話ではない。より、本来の意味でおちんぽに負けているのは、男なのではないだろうか。もっと言えば「おちんぽに負けさせよう」としている時点で、男はおちんぽに負けているのである。
つまり、「犯してやろう」「気持ちよさで屈服させよう」とやる男は、おちんぽに負けているからそうなるのである。セックスの快楽に飲まれてしまったから、自分本位の刹那的な快楽のために行動してしまうのである。
そう。竿役の種付おじさんも、寝取り役の浅黒肌ウェイも、彼らはみなおちんぽに負けてしまったのだ。
また、これらは決してフィクションの枠の中に納まらない。例えば「愛してるならナマでいいでしょw」などと避妊具の使用を拒否するような人間もおちんぽに負けている。
社会的にどうなるかを顧みず、伴侶がいるにもかかわらず他の女に手を出したり、他人の女に手を出したりするのも、やはりおちんぽに負けた結果と言える。
いや、もっといえばおちんぽに負けるのは相手やパートナーとの同意が無い時とは限らない。
試験前に二人きりで勉強しているときにムラっときてしまうあの瞬間。男はおちんぽに負けてしまったのだ。そして「すいません。おちんぽに負けたのですが、そちらはどうですか」とパートナーにお伺いを立て、そのまま保健体育の勉強をしたり、時にビンタを食らうのである。
さらに言えば、「刹那的な快楽の為に時間を費やしてしまう」こと自体、おちんぽに負けているのかも知れない。
美少女キャラの薄い本を買い、えっちなDVDを借り、様々なおかずを用いてセルフバーニングを敢行する男は、やはり「おちんぽに負けたのだ」と称されるべきだろう。おちんぽに負けた男は、シリコンのちくわや、時に自らの尻にすら手を伸ばすという。
おちんぽに負けずに生きられるほど、人は強くないのだ。
元はと言えば、生物はその連鎖で繁殖し、子を成し、次の世代へ命を繋げてきたのだ。言い換えてみれば、人間は遺伝子レベルでおちんぽに負けているのである。そもそもの話をすれば、日本とはおちんぽに負けた男女一組の神によって作られた国である。古事記にもそう書いてある。
では逆に考えてみよう。おちんぽに勝つとはどのような状態、どのような人を指すのだろうか。
おちんぽに負けるファクターが遺伝子や生命の営みそのものにあるのであれば、人の一生は「おちんぽに負けた」か、「まだおちんぽに負けていない」という2つにわけられるはずだ。そして「おちんぽに負けぬまま天寿を全うする」その時、人はおちんぽに勝ったと言えるのである。
もしくは「一度おちんぽに負けるも、悟りをひらき、煩悩に打ち勝った者」こそ、おちんぽに勝った者だと言えるだろう。
煩悩、欲の炎に飲まれる事なく……
世と自らを焼く炎を吹き消し……
涅槃に至った一人の男……!
おお、貴方は……!
ブッダ……!!
世の男性の皆さん。
おちんぽに負けないように、強く生きていきましょうね……!