お金を払っても得られるのは「正しさ」だけの時代で漫画村利用者を糾弾してもしょうがないと思う。

 

 

S.H.フィギュアーツ カメラ男

S.H.フィギュアーツ カメラ男

 

 

Heartsnative (初回限定版)

Heartsnative (初回限定版)

 

 ↑このアルバムしぬほどすき

 

 初音ミクが生まれてから10年経ちました。
つまりフルコーラスの楽曲が無料で聴けて当たり前という文化が確立されてから10年という事です。みっくみくにされた皆さん。もう10年経ったんですって。早いね人生。

 前書きはほどほどにしましょう。

 

 商業漫画から同人誌に至るまで、DRMにもアプリにも縛られずChromeからアクセスさえすれば読めてしまうWebサイトが話題になり、さらにその存在を当然のものとして受け入れる世代の登場が話題になって久しいです。

 さて、ここで「それは不正コピーだ!犯罪だ!」という事を一旦棚に上げます。棚に上げた上で「正規版」「非正規版」と括り、正規版と非正規版の違いでも考えてみましょう。

 

正規版

  • 発売、配信日に地域差や紙バージョンとの差が設けられている事がある
  • アプリのDLやID取得、クレカ支払い等煩雑な手順を要求される
  • 手に入るデータが縦1200ドット、下手すると1024ドット
  • 手に入る紙バージョンは大きさが決まっている
  • ストレージ(現実の本棚含め)が圧迫される
  • スマートデバイスの場合、SDカードに保存できるとは限らない
  • 絶版が存在する
  • 正しい

 

非正規版

  • 紙バージョンの早売りや配信サイトからのリリースの最速から
    時間をおかずアクセスが可能になる
  • ブラウザからアクセスさえ出来ればいいので
    アプリ、デバイス、決済に縛られない
  • 手に入るデータは公式配信されてるデータより高解像度
    下手すれば縦3000ドット=12.9インチのiPad Proでの閲覧にも耐える
  • 当然閲覧側のデバイスに大きさが依存するので
    4インチクラスのスマホからテレビでも読むことすら可能
  • ブラウザ上のアクセスなのでストレージは圧迫されない
  • SDカードやHDD等に保存する事によりファイルの置場を
    コントロール出来るし、持ち運びや受け渡しが出来る
  • 当然、絶版など存在しない
  • 正しくない

ザッと書くとこの通りです。
もちろん、正規版と非正規版で話の流れや台詞、BGMや展開が変わるわけがありません。つまり得られる体験に違いは概ね無いと言っていいでしょう。

 

 タイトルにも書きましたが、お金を払って得られるのは「正しさ」しかありません。「社会的な徳」と言い換えてもいいでしょう。他者の事を考えたり、他者からどう思われるかを考えない場合、1円にもならないものです。しかも他人もやっているのであれば「徳」なんてものは軽々と吹き飛びます。

 

 NO MORE 映画泥棒の映像を観たことがあるでしょうか。
あの「お前らの中に不正な撮影を行っているやつが居るかもしれない!怪しいやつを見かけたら係員に言いつけろ!鑑賞中にパトランプが鳴り響きそいつはいなくなるぞ!」なんてことを金払って観に来た人に毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度やるアレです。

 

NO MORE映画泥棒 写真集~みんなでブレーク・タイム

NO MORE映画泥棒 写真集~みんなでブレーク・タイム

 

 あの映像の後半が非正規版の利便性を克明に描いているんです。
ポップコーン君とジュース君はタブレットからパッと検索し、1タップでDLする。その手軽さ。あのmp3をDLする光景が何よりも「非正規版を利用する人」が「非正規版を利用する理由」を表してしまっているんです。家までパトランプ君が来なければあのまま二人は好きな曲を聞きながら楽しく過ごしていた事でしょう。全世界のカジュアルコピー利用者と同じように。

 

 ではどうすべきか。そんな事音楽業界とゲーム業界がとっくに答えを出しています。要は「非正規版」よりも「正規版」のが便利に、早く、手軽になってしまえばいい。それだけの話です。「大人の事情」なんて、消費者は知ったことじゃありません。「今、それをすることが出来ない」という障壁や結果だけが大事です。時代は動いてしまった、それに対して追従しなければならない。いつまで赤松健先生だけがあんなに叫び続けなければならないのですか。

「お前は正しくない!」と糾弾して人が動くでしょうか。SNS等で堂々と口汚く罵る作者や出版の人間の姿を一番観ているのは誰でしょうか。得られる体験は同じなのに今更「良心に訴える」しか無いのは悪手にも程が有るんじゃないかと私は思います。